発達障害 -07 小学校(低学年)

この上なくいい状態でもって入学の日を迎えた息子であったが、そううまくはいかないのが人生だ。
運が悪かったと言えばそれまでだが、息子は担任との相性の悪さによって、退化していくこととなる。

1年のときの担任は、その年に転任してきたばかりの頭の固い人だった。
私は当初から発達障害のことを説明し、理解を求めてきたつもりでいたが、伝わってはいなかったのだろう。
当初、息子は息子なりに頑張っていたと思う。
だからその分、合間の休み時間は息抜きとしてとても重要だった。
そこで好きなこと(紙飛行機を作って飛ばす)をして気分転換できていたからこそ、次の時間を頑張ることができていたと言える。
ところが、それが突然奪われた。
息子のクラスは、休み時間に紙飛行機を飛ばしてはいけないということになったのだ。
「誰かの目に入ったら危ないので禁止にしました」「何かあったら私のせいになってしまうので」
楽しみにしていた時間を奪われて、息子は途端にやる気を失った。
授業中に席を立つようになった。
床に寝転がったり、全然違うことをするようになった。
そうなって担任は私に言うのだ・・・「困っています」と。

また、この担任は、息子が学校の敷地内で拾った、息子にとっては面白い形をした小石を持ち帰ることを禁じた。
「いますぐそこに戻しなさい」「学校のものを持ち帰ってはいけません」「何かあったら私のせいになるのだから」
さらには、息子の気持ちが壊れつつある中、何らかの叱責を受けてついに息子が廊下でパニックを起こしたときも、この担任はただただ叱りつけるだけだったという。

私はたまらず、療育センターに電話をかけた。
このような相談をするのは初めてだった。
自分の声が震えていたのを覚えている。
この電話で、私はスクールカウンセラーというものの存在を知った。

予約をして、これまでのことをわーーっと話した。
相談の席には児童支援専任の先生も同席していて、メモをとっていた。
カウンセラーはうなずきながらじっと聞いてくれる。
私が「休み時間に紙飛行機を飛ばすことが切り替えになっていたはずだ」と言うと、カウンセラーは「仰るとおりです」と言った。
また、小石を戻させられた話をすると、カウンセラーは「なぜ持ち帰ってはいけないのでしょう」と首を傾げた。
そうだよね? おかしいよね? 変なのは担任だよね?
私の頭はそればかりになった。
あちらのカチカチの思考や保身のために息子の心は犠牲になっている、たまらない、あんなにいい状態で入学したのに何てことをしてくれたんだ、どうしてくれるんだ。
30分くらいしゃべったと思う。
スクールカウンセラーというのは、こちら側の相談にもあちら側の相談にものるから、板挟みと言えば板挟みだ。
私の耳には入ってこなかったが、担任も言いたいことがあってこの人にぶちまけたりしたかもしれない。
何が言いたいかというと、要は、相談しても何も変わらなかったのである。
ただ、翌年度、担任は転任後わずか1年で、また転任していった。

しかし、時すでに遅しだ。
息子はもう、まともに授業を受けられなくなっていたし、ちっとも席に座っていられない、教室も出て行ってしまう、パニックも起こす・・・と、まるで幼稚園に入ったばかりの頃のようなダメっぷりに戻ってしまっていた。
児童支援専任の先生が特別気にしてくれていることはわかっていたが、常に付いていてもらえるわけでもない。
それで、入学当初は考えていなかった通級指導教室の利用を考えるようになった
療育センターで行われた説明会に参加し、承認を受けるための手続きを進めた。
その過程で校長先生と話をする機会があったのだが、驚いたことに先生は私に謝罪をした。
当時の担任が、廊下で息子を叱りつけているところを見たことがある。あまりにも酷い叱り方だったので「やめなさい!」と言ったのだが、言うことをきかなかった。私の方針に合わない方であったということで、1年限りで転任いただいた。息子さんには本当に申し訳ないことをした。と。
本当に、運が悪かったとしか言いようがない。

しかし、その後の担任は素敵な先生たちばかりであった。
中でも、すっかり落ちてしまった息子を見事に救い上げてくれた2年時の担任がすばらしかった。
彼女は新人の先生だったが、福祉を専攻していたのかと思うほど特性のある子供への対応の仕方を知っていて、安心してお任せすることができた。

ところが、最低の状態を脱し、通級の手続きも進んでいた頃、事件が起きたのである。

つづく。

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発達障害 -06 幼稚園

最初の面談で専門機関の受診を促されたその後の幼稚園での様子について書こうと思う。
ちなみに、個人面談は常に最後に組まれ、他の子の4~5倍の時間をかけて行われた。
本気で向き合ってくれていることがよくわかったし、本当にありがたいと思った。
とても、とても、感謝している。

まずは、療育センターに通う前のことから。
担任以外の先生に話かけられる度にパニックになっていると聞いた私は、ひょっとしたら息子は知らない顔を怖がっているのではないかなと考えた。
それで何をしたかというと、入園式で撮った集合写真を拡大して、机に飾ったのだ。
子供たちの集合写真と、先生たちの集合写真を、両方。
すると、息子はしょっちゅうそれを見るようになった。
先生たちの集合写真のほうを特に熱心に見ていたように思う。
で、どうなったか。
パニックを起こさなくなった。
ここまで効果が出るとは思っていなかったので、やった私が一番驚いた。
だって、ただ写真を飾っただけだ。
たったそれだけのことで、彼の幼稚園生活は一変した。
私は専門家じゃないし、当時はまだ診断も受けていないから誰に相談するでもなかったので、パニックがなくなった本当の理由はわからない。
でも、ほんのちょっとの工夫の有る無しが大きな違いを生むということを実感した出来事だった。

次に先生が困っていたのは、切り替えができないことだった。
室内遊び、片付け、外遊び、学習、お昼・・・。
園では決まったスケジュールに沿って生活していくことになるのだが、その切り替えが息子にはできない。
やめさせようとするとモーレツに抗われ、外遊びからはいくら呼んでも帰って来ない。
これを解決したのは療育センターだった。
園でこういうことになっていると相談をしたら、実にあっさりと解決策を示された
「1日の予定を、目に見える形であらかじめ教えてあげてください」
「できれば写真で」「もっと言えば本人の写真がいい」と言うのだ。
園にそれを伝えると、それを満たすスケジュール表がすぐさま作成された。
透明のポケットが取り付けられた縦長の表で、活動内容の札と、その活動をしている最中の息子の写真が、その日の予定に合わせて入れ替えられるようになっている。
息子は自らそのスケジュール表を眺めるようになり、一声かけるだけで作業を終わらせたり外から戻ってきたりできるようになったという。
これには先生もびっくりで、私と同じことを感じてくれた。
「ほんのちょっとの工夫でこんなに違うんですね」と。
また、このスケジュール表は、他の子たちもよく見ていたらしい。
そりゃ、発達障害じゃなくたって今日の予定には興味があるだろうし、写真ならわかりやすいよね。

次の困り事は、読み聞かせなどをしている最中に席を立って別のことを始めてしまったり、みんなで一緒にするべきことに参加しなかったりすることだったが、これについては、それでよしとされることになった
というのも、「こういうときには席に座っていなければならない」と教え込むより、「それが苦手な子もいる」と知ってもらうことのほうが子どもたちには有益だ、と園が判断したからだ。
先生はこう説明したらしい。
「お絵かきが苦手な子もいるよね。かけっこが苦手な子もいるよね。それと同じで、じっとしていることが苦手な子もいるんだよ」「だから、そういうお友達を見たら、苦手なんだなって思ってあげてね」と。
息子は救われただろう。
私も救われた。

それから、息子は教室を飛び出して行方不明になるという迷惑もかけていたのだが、これについても園が対応してくれた。
園は、先生をひとり、巡回要員として配置してくれたのである。
先生は、飛び出してくる息子をキャッチする。
キャッチして、別の部屋へ連れて行く。
連れて行って、気が済むまで他のことをさせてくれる。
息子は、飛び出して捕まっても暴れることなく、職員室でおとなしくお絵かきをするようになった。
先生はいつも、息子の気が済むまで付き合ってくれたらしい。
感謝しかない。

報告を受けたことの中で、なんの手も打たなかったのは弁当給食だ。
息子は、幼稚園での3年間、白いご飯にしか手を付けなかった。
はじめに報告を受けたときは、息子は自宅でも知らない料理や見慣れない形のものは口にしないので「そりゃそうなるか」と思ったが、このままでいいのだろうかと療育センターの担当医に相談すると、「気にしなくていい」と言われてしまったのである。
「そのうち、あれはなんだったのかと思うほど食べるようになりますから」と。
「栄養面は他の2食で補える」「無理に食べさせると心の面でマイナスになる」ということだったので、園にもそれを伝え、残してごめんなさいと謝った。
なお、担当医の予言が現実となったのは、小学2年のときだ。

園ではそんな感じでお世話になりっぱなしだったから、療育手帳の発行時に「こういったお子さんを2人以上受け入れている幼稚園には補助金の制度がある」という説明を聞いたときは、「これだ!」と思った。
これは絶対にもらってもらわなければならない。
園が息子の他にもう1人受け入れているかはわからないが、せめてその制度をお伝えして、うちの療育手帳だけでも役立ててもらわなければ!
個人面談でその話をすると、担任の先生は丁寧にメモをとってくれた。
やがて副園長先生から「申請させていただいてもよろしいでしょうか」と言ってもらえたときには、本当に嬉しかった。
補助額は、年間78万円程度だったと思う。
微々たるもので、巡回先生の人件費にもならないが、数々のご恩に対して他にお返しできるものがなかったから、むしろ私のほうが助かった。

こうして息子は大変幸せな幼稚園生活を送ることができ、心身ともに健やかにのびのびと育ち、明るく元気いっぱいで卒園を迎えた。
とりわけ、心の面で目一杯プラスに振り切った状態で次のステージへと送り出してもらえたことは、どれだけ感謝してもし足りない。
年長時に、今まで一度も参加しなかった運動会の準備体操を、代表として前に出てまでやっている姿を涙なくして見ることはできなかったし、卒園式で、みんなと同じように並んで礼をして証書を受け取れるようになるなんて、入園当初には想像でもできなかった。
なんという成長。なんという喜び。
また、息子への配慮に止まらず、周りの子にも多様性を教えるいい機会と捉えてそれを実践してくれたことは、この国の未来にも繋がることであり、心から称賛したい。
この先の社会で共に生きていく人たちの中に、そういった特性への理解が根付いている人が、少なくともクラスメイトの数だけはいる。
涙が出そうだ。

かくして、息子は最高の状態でもって、小学校へと上がることになった。

つづく。

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発達障害 -05 療育センター

地域療育センターには、数ヶ月に1回の頻度で通うことになった。
利用を希望する人があまりにも多く、その頻度が精一杯だったとも言えるが、それを不満に思ったことはない。
現状を知り、アドバイスをもらい、それを試して、報告する。
基本的にはその繰り返しなので、そのくらいが丁度いいとも思う。

うちが世話になった療育センターでは、0歳~小学6年生までを対象として、診療やカウンセリングなど多くのサービスを受けることができた。
うちの息子は広汎性発達障害、すなわち「心身の発達の遅れ」をフォローしてもらっていたので、それ以外の、例えば身体的な障害を抱えている人のためのサービスなど、知らない部分もたくさんある。
また、療育プログラムやグループ診療といったものともご縁がなかった。
従って、私が話せることはとても少ない。
少ないが、参考になることもあるかもしれないので書いておく。

まずは、診療
医師、心理士、言語聴覚士などの専門家が直接様子を見、また細かな検査をして、医学的診断や評価をする。
現状を正しく知り、どう向き合っていくべきなのかを考える上で大事な第一歩と言える。
しかし、その評価が全てだと鵜呑みにすることはお勧めしない。
その時々の本人の調子もあるし、もともと得手不得手がガタガタに出るそのガタガタ度合いの僅かな差に一喜一憂していても仕方がないからである。
結果は「傾向」であり、「対策を考える上での参考になる」程度に思っておいたほうがいい。
そんなことより重要なのは、その先を知っている医師の助言だった。
多くの似たような子を診てきた人の予言とも言える数々の言葉には真実味があり、私は大層励まされた。
「今これで悩んでいます」→「必ず収まります」といった具合に。
そんなまさか、とてもそうは思えない、信じられない、と思うのだが、実際そうなっていく。
なお、発達の程度を数値化するような検査を毎回行うようなことはしない。
そういった検査は年に1度行われ、その結果は療育手帳の発行などに用いられた。
ちなみに、診療は一般的な保険診療と同じ扱いである。

そして、相談
といっても、しょっちゅう電話をかけて担当ソーシャルワーカーを独り占めするようなことをしたわけではないし、今それを想像してなんじゃそりゃと思ったので、そういうことはしてはいけないと言っておきたい。
担当ソーシャルワーカーさんは、当然ながらひとりで何人もの子を担当している。
相談するにしても、主旨や要点をまとめて拘束時間が短くなるようにしてあげて欲しいものだ。
私はこのサービスを、主に制度についての質問や、幼稚園や学校との連携のために利用した。
ただ、このあたりのやり取りはややこしくて、療育センターだの福祉保健センターだの特別支援センターだのが同時進行で、どこで何を相談したのか記憶は曖昧だ。
ひとつ言えるのは、使える制度について知っておくことは大事だということ。
例えば、専門家に幼稚園や小学校に直接様子を見に来てもらって、先生たちにアドバイスをしてもらえる仕組みがある。
例えば、療育手帳を取得したなら、私立幼稚園等特別支援教育費補助費という補助金を幼稚園が申請できる可能性がある。
そういったことを知っているか否か、活用できるか否かの差は大きい。
知識と情報を合わせもった人と繋がれたことは、大変ありがたかった。

そんなこんなで、幼稚園での様子は劇的に改善していくのである。

つづく。

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発達障害 -04 受診

幼稚園で指摘をされたものの、「専門機関」がわからない。
私はとりあえず、かかりつけの小児科医に相談した。
息子が乳児の頃からお世話になっているので、説明もしやすいと思ったのだ。

幼稚園でそのような指摘を受けたことを話すと、医者も看護師も「ああ」という反応をした。
その反応に、私こそ「ああ」と思った。
それっぽいと思ってはいても、指摘はしてくれなかったんだなぁ・・・。
なにゆえそう思ったのかについて訊きはしなかったが、思い当たることはある。
抱っこされていた息子が突然大きく反り返って机に頭をぶつけそうになったり、極度に暴れて大人3人がかりで押さえつけなければ注射を打てなかったり、専門知識がある人から見れば「異常」と思えることは多々あったことだろう。
馴染みの小児科医は、「そういう分野に詳しい先生が診察をする日があるから、その日にもう一度来るといい」と言った。

再び同じ小児科を受診。
紹介された詳しい先生と話をする。
とはいえ、その人も「より詳しい」だけで、いわゆる「専門家」ではない。
「自分の知り合いに優秀な人がいる。そのクリニックに話を通しておくから診てもらうといい」と、専門医を紹介しただけだ。
しかし、どこへ行ったらいいかもまるでわからなかったので、言われるまま、そのちょっと遠い場所にあるクリニックへ行くことになった。

受診した日のことは忘れない。
土砂降りの雨の日だった。
駅に着いたときにはずぶ濡れで、すでに気分は最悪だ。
1時間ほど電車に揺られ、ビルの2Fだったか、少し高い位置にあるクリニックに入った。
そのようなところは初めてなので仕組みも何もわからない。
待合室に成人男性がひとりいるから、小児専門というわけではないらしい。
心療内科・精神科」と書いてある。
幼稚園の先生が言った「専門機関」というのは、ここで合っているのかな・・・。
診察室と呼ぶには広めの部屋で、私と息子は先生と机を挟んで向かい合って座った。
専門医は「様子を見させてください」と言って、息子にあれこれ話しかけてくる。
息子はそれを無視。
先ほどまでそんなでもなかったはずだが、完全に機嫌が悪くなっている。
こうなると何にも反応を示さなくなり、ひとりの世界に閉じこもってしまう。
様子を見るどころではない。
専門医は絵本を見せたり、興味を引きそうなことを言ったりするが、息子はついに席を離れ、ロールカーテンが下ろされて足元に近い位置しか見えていない窓の前に座り込んでそこから動かなくなった。
ただただ、その狭い隙間から窓の外を見ている。
近寄ってあれこれ見せようとしても見向きもしない。
好きなトーマスの話やグッズをチラつかせても反応さえしない。
すっかり塞ぎ込んでしまった。
専門医は、その様子もじっと見ている。
「いつもこんな感じですか?」と訊かれ、「そうです。こうなっちゃうと戻りません」と答えると、専門医はメモ紙を取り出し、私に向かって話し始めた。
広汎性発達障害の疑いがあります。私のところではその診断をすることはできないので、療育センターで診てもらってください」
・・・うん??
知らない言葉が複数出てきて、何だかわからない。
私は、「広汎性発達障害」「療育センター」と書かれたメモ紙を渡された。
専門医は「疑い」とは言ったが、「おそらく間違いない」とも言った。
「これまでに定期健診などで指摘されたことはありませんか?」
一度もなかった。

ここで定期健診でのことを少し書いておきたい。
区役所などで行われる乳幼児検診(4ヶ月児、1歳6ヶ月児、3歳児)には、子供の発育や発達を成長の節目で確認し子育てを応援するという目的があるらしい。
検診時、うちの息子は服を脱ぐのも着るのも嫌がって大泣きし、医者の前でも暴れてろくに診察させない、身長も測らせないなどなど大騒ぎで大迷惑だったのだが、発達障害は見逃されてしまった
それなのに、どういうわけか私の精神状態には過剰に反応し、この冷淡な性格が虐待に繋がるとでも思ったのか、「ケアをしたい」などと申し出されて驚いた。
人と関わるのは好きじゃないので、寄ってこられたら余計にストレスだから目一杯断ったが、どうしても一度家に行くと言ってきかない。
それで結局来てしまったわけだが、別段おかしなところもなく、息子ともキャイキャイやっていたし、担当者はニコニコと帰っていった。
その際も、変な遊びや妙な反応など、彼は発達障害の特性をチラつかせていたのだが、やはりそこには気付いてもらえなかった。
乳幼児検診で注目すべきは子供の様子であろうに、なんともお粗末だ。
私が精神的に参っていそうに見えたとして、その原因が子供だとは考えなかったのか。
親の様子を気にするなとは言わないが、まずは子供の様子を気にして欲しかった。

話を戻す。
診断名を確定させるのはここではないと言うのなら、ここで訊くべきはその病名のなんたるかより、「療育センター」とは何であるかだ。
専門医はざっくりと説明した。
療育センターとは、障害のある子供の診療や支援などをする公的機関である。そこで正式に診断してもらって、必要なサポートを受けていくことをお勧めする。ただし、療育センターの予約は非常に取りづらい。数ヶ月は先になってしまうだろうから、すぐに動いたほうがいい。
私の頭の中は謎だらけだったが、つまりここも、幼稚園の先生が言った「専門機関」ではなかったということなんだなと思った。
随分遠回りをしているような気がする。
しかし、無駄だったということもない。
私の場合は「療育センター」を知るきっかけになったし、その療育センターにおいても、他機関での診断があったことで、話がスムーズに進んだからだ。

家に帰り、自宅の住所がどの療育センターに属するかを調べ、電話をかける。
聞いたとおり、初診の予約が取れたのは数ヶ月先だったと記憶している。

つづく。

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発達障害 -03 気付き

息子が「普通」ではないと気付いたのは、幼稚園の先生だった。
初めての個人面談の時だったと思う。
先生は言いにくそうにしながらも、言うのがこの子のためという信念をもって、園での様子や園側の見解を伝えた上で、専門機関の受診を勧めてきた
私は驚きはしたが、「なんですって!?」とは思わない。
「へえー!」と思った。

このときにはまだわかっていなかったが、あとになって思えば、幼稚園に入る前から「変」ではあった。
しかし、私を含め家族はみんな個性的だし、友人も個性的だし、そういう個性もあるかと思ってさほど気にしなかったのである。

例えば、息子は後追いを一切しなかった。
バイバイをしてみせると、手のひらを自分に向けてバイバイをした。
絵本を読んであげても無反応。
いないいないばあで笑ったこともない。
だっこやスキンシップを喜ぶこともなく、とにかくよく眠った。
同じ銘柄の粉ミルクしか受け付けず、馴染みのない食材はすべて拒絶。
同じ食材でも形が違うと食べなかった。
哺乳瓶の吸い口をストローなどに替えようと試みたときの死闘は忘れない。
腹が減ろうと頑として口にしなかったので、結局私が折れた。
感覚が過敏なのかと思うと逆に鈍いこともあり、トレーニングパンツを履かせても「気持ち悪い」とは思ってくれず、大でも小でも平然と垂れ流した。
トレーニングパンツなんか何のためにあるんだ!? と、2日で挫折。
5枚組で買ったが、うち3枚は未使用のままゴミになった。

行動に関しても特殊ではあった。
「どっちがいい?」でどちらかを選ぶことができない。
同じことの繰り返しを飽きることなくやり続ける。
また、記憶の仕方が独特で、形が同じならどんな絵柄の板パズルでもミスなく完成させたり、カルタの裏面の模様を見て表面の文字をすべて言い当てるなど、天才かと勘違いさせられそうになることも多々あった。

しかし基本的には困ることだらけで、いわゆる「ちゃんとしていなければならない場面」でちゃんとしていられたことはない。
健診も参拝も結婚式も、泣きわめいて迷惑をかけた。
走れるようになると、すぐに走っていなくなるようになった。
そうしていつも同じ場所を行ったり来たりして遊んでいる。
店員に捕獲され、カウンターの角で身を縮めて全身を恐怖で震わせていたときはさすがに憐れに思ったが、その反省が活かされることもない。

話を幼稚園に戻す。
先生から聞いた園での息子の様子は、これまでの様子を「個性」と捉えていた私に、このままではいけないのではないかと思わせるものだった。
一番衝撃的だったのは、手洗い場で蛇口から水を出し、一日中それに触れているという報告だった。
そんな様子は家では見たことがない。
また、担任以外の先生に話しかけられるとパニックになって両手で顔を覆って縮こまったり、接触を恐れて教室や廊下の隅で頭を角に付けて動かなくなってしまったりするという。
異常な事態だ。
さらには、こちらの話がわかっていないのではないか、と言葉の発達に関しての不安も伝えられた。
これに関しては、それはあり得ると思った。
なぜなら、この時点(3歳)で彼がしゃべっていたのは彼独自の言語であり、家でも彼との会話は成り立っていなかったのだ。

幼稚園の先生は、いわば子供の専門家だ。
その人が「これはおかしい」と思うのであれば、それはおかしいのだと思う。
だが、おかしいことが問題なのではない。
一日中水に触っていたり、部屋の角に頭を付けていたり、そんなのが楽しいわけがない。問題はそこだ。
せっかく入園したのに、逃避と思えることばかりしている息子が不憫に思えた。
教えてもらえてよかったと心から思った。
息子をその状況から救い出してやらなければならない。
しかし「専門機関」とは何なのか?
私は、とりあえずかかりつけ医に相談してみることにした。

つづく。

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発達障害 -02 はじめに

私の息子は発達障害だ。
その中でも、「広汎性発達障害(PDD)」という名称に分類される特性があると診断されている。
とはいえ、今から十数年前(2008年頃)のことだ。
今ではその名称も「自閉症スペクトラム障害(ASD)」に変更されているらしい。

発達障害には大きく分けて3つの特性がある。

・自閉症スペクトラム障害(ASD)
・注意欠陥・多動性障害(ADHD)
・学習機能障害(LD)

この3つの特性は独立しているわけではないので、複数の特性を併せもっている人もいる。
症状の出方は人それぞれなのだ。
そして、その重さも人によって全然違う。
自分や身近な人の特性を知ることは、その対処法を学ぶ上でとても重要。
だが、厳密に判定する必要はないと私は思っている。
なぜなら、境目があるものではないから。

大事なのは、ざっくりでいいから、各特性について知っておくこと。
そうすれば気付ける。
気付ければ学べる。
学べれば対処できる。
対処できれば問題が改善されるし、場合によっては回避できる。

例えば、自分の子供が発達障害の疑いをかけられたなら、プラスに捉えるべきだ。
なぜなら、その先の生活は、それまでよりもずっと楽になる。
対処できるようになるから。
施設などから指摘をされると「障害者扱いされた」と怒り出す親もいるらしいが、愚かなことだ。
子供の幸せを願うなら、一刻も早く対処してあげなければならない。
最も恐ろしいのは、周りとうまくいかないことで起こる二次被害なのだから。

ちなみに、うちの息子はPDDで、LDとADHDはない、と言われた。
しかし親からすると、ADHDがないとは思えない。
診断なんてそんなものだ。
詳しく細かく検査を受けて、どの数値がどうだのこうだの、前回と比べてどうだのこうだの、そんなものは参考にしかならない。
それより、目の前の子と向き合おう。
「検査でADHDがないと出たから、うちの子は違います」と言い切ることになんの意味がある?
日々、「そうきたか」「そうなるか」と手探りで進めて行くのが子育てだろ。

実はたくさんいるであろう、グレーあたりを彷徨っていながら発達障害であることを認めたがらない人たち、そしてそれを取り上げるメディアは、「障害」という言葉を意識しすぎていると思う。
でもそれ、個性だから。
いわゆる「変わり者」ってだけ。
そして、そういう人たちが時代を開拓してきたのだよ。
人と違うということは宝なのだ。
悩むより慣れろ。
苦しむより楽しめ。
私はいつもそう思っている。

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発達障害 -01 ★必読★注意点

発達障害というカテゴリーを作って投稿するにあたり、言っておかなければならないことが2つある。

ひとつは、私が書けるのは、白でも黒でもないグレーあたりに位置する自分の子供のことだけだということ。
私は私が経験してきたことだけを書く。
どんなことがあって、どう対処してきたのか。
何を思ったのか。
したがって、重度でお悩みの方たちの参考になるようなことは書けない。
当然配慮もできない。
そこはご了承願いたい。

つぎに、私はかなり強気な性格だということ。
「発達障害だからお荷物扱いされても仕方がない」なんて思わないし、「発達障害だから多めにみてほしい」なんてことも思わない。
感情論より理論を重んずる。
したがって、かなり辛口だ。
「障害があって不幸」「もっと気遣って欲しい」という甘々思考な人は読まない方がいい。

以上。
責任は取れないので、ご理解いただける方のみ、先へお進みください。

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歯列矯正 -05 ワイヤーとマウスピースの体験比較

私の旦那は、ワイヤーによる歯列矯正をしたことがある。
歯の外側に取り付ける昔ながらのやつだ。
もうかなり前のことだから今はだいぶ進歩しているだろうと思うけど、旦那いわく、それは地獄であったらしいから、この機にマウスピース矯正との比較をしてみたいと思う。
(期間や費用は個人差や医院によるところが大きいため、比較対象から除外。また、単に旦那の体験と私の体験を比較しているだけなので、結論を出すつもりはない。)

痛み
ワイヤー矯正は、締め付けが痛すぎたらしい。
1ヶ月に1回の検診時に1ヶ月分の締め付けをするわけだから、それは痛かろう。
マウスピース矯正は10日ごとに新しいマウスピースに交換して進めるので、単純計算でワイヤー矯正における1回分の締め付けを3回に分けて行うようなものだから、その分痛みは少ない。

見た目と手間
ワイヤー矯正は目立つし(歯の内側に取り付けるものはそんなことないと思うが)、外せない。
部品も細かいので、詰まった食べ物を綺麗に落とすのが結構手間。
マウスピース矯正は目立たないし付け外しが可能だ。
歯に加えてマウスピースも磨かなければならないが、マウスピースはまるっと洗えるので大した手間ではない。
ただ、外出先で付け外しとなると、このご時世ではちょっと厳しいかなぁとは思う。私はやりたくない。
定期検診の頻度は、ワイヤー矯正が1ヶ月に1回で、マウスピース矯正が1.5~2ヶ月に1回。
検診時に締め付けを強めるワイヤー矯正の検診がが2ヶ月に1回だったら、うちの旦那は死んでいたかもしれない。

飲食
ワイヤー矯正に飲食の制限はない。
マウスピース矯正にも飲食の制限はない。
ただ、マウスピースには「飲食時には取り外す」「1日22時間装着する」という約束事がある。
装着22時間を守ろうと思ったら、間食はほぼ無理。
装着中は水しか飲めないというのも、人によっては相当なストレスになると思う。

怪我
ワイヤーは金具が剥き出しなので口内が傷付くことがある。
マウスピースは歯全体をつるんと覆っているので、口内が傷つくことはない。
なお、ワイヤー矯正で旦那が何より辛かったと主張したのは、口周りに外部から衝撃を受けたときの惨事だ。
血まみれ傷だらけになり、その傷にずっと金具が触れ続けるので直らないし痛いし痛いし痛いし・・・うん、実に痛そう。
つるりとしたマウスピースにその心配はない。
マウスピース矯正で怪我をするとしたら、装着時に口内の肉を挟み込むことくらいか・・・。
実際挟み込んだことがあるが、小さい血豆ができてちょっと痛かった。
ほんの少し気をつければ済むことなので、気をつけたらいいと思う。

その他
ワイヤー矯正は、旦那にとって「二度と経験したくないことランキング」のトップ3に入るらしい。
マウスピース矯正は、今のところそんなランキングを思い浮かべたくなるような出来事は起こっていない。
私の場合は、むしろ矯正前・・・。
あの4本の抜歯なら、そのランキングに入る可能性はある。

以上、体験の比較でした。

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歯列矯正 -04 マウスピース編(初装着)

無事(ではないが)抜歯が終わり、いよいよ矯正が始まることとなった。
とはいえ、マウスピースによる矯正はマウスピースがなければ始まらない。
型取りやスキャンで現状を細部まで正確に把握し、PCで最終形態までの動きをシミュレーションしたのち、それを何十段階にも分け、その数だけマウスピースを作る。
海外への発注ということで、コロナ禍ということもあり納品まで時間がかかりそうだと連絡を受けたが、それでも半月くらいで品物が届いた。

ところが、そのまま装着というわけではないらしい。
歯にアタッチメントなるものを取り付けて、マウスピースがしっかり固定するようにしなければならないのだと言う。
そんなの聞いてないし。
聞いていないが必要だというのだから仕方がない。
歯に、歯と同じ色をした固い突起が局所的に作られていく。
舌で触れるとかなりの違和感がある。
「えーこんなのやだー」と思ったが、今後はデフォルトがマウスピース装着になるので、素の歯に突起が付いているからといって特に問題はない。
どういう仕組みかは知らないがアタッチメントの強度は大したもので、1週間経っても取れなければ、矯正が終わるまではまず取れないというのだ。
私の場合は1週間後の診察で1個取れていた。
再度取り付け直され、今日に至るまで取れていないので、今後はこのまま最後までいくのであろう。

さて、いよいよ装着。
歯科矯正用のマウスピースはプラスチックっぽい素材でてきていて、透明で薄い
歯全体をまるっと覆うため、前歯にアタッチメントがついている、もしくは目の前で取り外しでもしない限り、周囲の人に矯正中だと気付かれることはなさそうだ。
実際、私の旦那は気付かなかった。
痛みについては、新品を付けたり外したりするときには多少感じるが、装着中ずっと続くような痛みではない。
数日も経てば付け外しの時でさえ気にならなくなる。
そんな調子で、だいたい10日に1度、自分で新しいマウスピースに切り替えていく。

装着目標時間は、1日22時間
飲食および歯磨きの時以外は装着しっぱなしということだ。
説明されたときは「なるほど」と思ったが、やってみると結構シビア。
3食+歯磨き3回を2時間で済ますとなると、1食+歯磨き1回=40分。
私はもともと歯磨きに時間をかけるタイプだし、抜歯箇所はより手間がかかるし、外したマウスピースを歯ブラシで磨く作業もあるし、なんだかんだで10分くらいはかかってしまう。
そうすると、食事に使える時間はわずか30分だ。
ところがこの食事がまたやっかいで、4本も歯を抜いているものだからとにかく食べづらい。
その上矯正中とあって噛み合わせが最低で、ちっとも咀嚼できない。
頑張って咀嚼しようとすると、多発している不自然な隙間に食べ物が挟まりまくるのですごく不快だ。
不本意だが、咀嚼半ばで諦めて飲み込むしかない。
大して味わえないし楽しめないし何しろ慌ただしいし、マウスピース矯正のデメリットは飲食かなと思う。

そう、「飲」もなのだ。
というのも、マウスピース装着中に許される飲食は水だけで、例えばコーヒーなどを食間に飲むことはできない。
飲めないわけではないが、装着中にそれをやると、その成分で歯を浸し続けるということになる。
色素沈着はもちろんのこと、糖分が含まれていれば虫歯のリスクも高まろう。
というわけで、飲食に関しては相当ストイックな生活を余儀なくされる。
無論、間食もできない。
いちいち外して洗って歯を磨いて・・・という作業が面倒でなく、かつトータルで2時間しかない非拘束時間をオーバーせずにいられるならいいが・・・。
ちなみに、私は言われたとおり水以外の飲食は朝昼晩以外せずに頑張ってきたが、それでも新旧マウスピースを並べると、旧マウスピースは明らかに変色している。
言いつけを破ってマウスピースを装着したまま水以外の飲み物を摂取していたらどんなことになっていたのやら・・・。
なので、この先も言いつけを守り続けると思う。

今現在(2021年02月21日)、私は5個目のマウスピースを装着中。
見た目の実感はまだないが、マウスピースを交換した際の痛みが次の交換時にはほとんどなくなっているという状態をかれこれ4回経験してきたので、結構動いたってことなんだろうなぁと頭で理解している。
アタッチメントも取れていないし、経過は順調そうだ。
次の受診は来月の上旬なので、その際にまたレポートする予定。

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歯列矯正 -03 抜歯編(3本目+4本目)

2本同時抜歯の1本目は、1週間前に抜くはずだった、八重歯の下に生えている歯だ。
最初に「前回のこともあるので、今日は始めから割ります」と宣言された。
いい判断だと思う。
ひどい作業音と力業も、3度目ともなれば驚きもしない。
思った通りこの歯も屈強な根を持っていたらしく、割って大正解だった。
普通の抜歯よりは時間がかかったものの、これまでの2本に比べればびっくりするぐらいすんなりと終わった。
先生の機嫌もよさそうだし、いい調子ではないか。

4本目の抜歯に取りかかる。
これが終われば抜歯は完了だ。
医者も、大きな山をいくつも乗り越えて、気が緩んでいたのかもしれない。

結果的には、この歯が最難関だった。
この歯は、単に舌側に倒れちゃってるだけではなかったのだ。
まるでお辞儀をするように腰をくの字に曲げて、その下に驚きの根っこを有していたのである。
これも最初から割っていればよかった組だったに違いない。
2本目と同じく普通に抜こうとしてしまったがために、とんでもなく面倒なことになってしまった。
最後の最後で、よりにもよって、根っこが歯茎の中で折れてしまったのだ。
さあ大変だ。抜くに抜けない。だって折れてて掴めないから。
じゃあどうするんだ。
とりあえずレントゲンを撮る。
あーあるある。これをなんとかせねば。
「削ります」そうだよねぇ、掴めないんだから削るしかないよねぇ。
かつてない音と痺れを味わう。これは何の罰か・・・。
歯茎に残る歯の欠片を、少しずつ慎重に削っていく。
再びレントゲンを撮る。
まだあるねー。もうちょっと削らないと。
この歯1本に、かれこれ2時間かかっている。
医者の中座が増えていく。私は居たたまれない。
だからかといって「もういいですよ」と言うわけにもいかない。
しかし、ついにその時は来た。
「少し残っていますけど、このくらいだったら同化するので問題ありません」
ん?・・・諦めた?
これ以上頑張る必要はないという医学的な見解に基づく判断ではあると思うが、とてもそうは捉えられない。
時間があったなら、もう少し頑張っていたはずだろうから。
だが、いくらなんでも時間がかかり過ぎた。
戻った待合室の混みっぷり。
悪くはないのに、罪悪感で肩身が狭くなる。
どうせ止まらない血の処置なんてどうでもよかった。
すっかり夜になってしまって、家のこともできていない。
色んな意味で気力が尽きて何もする気になれずにいたとき、今日1本目の抜歯部分に血餅ができていることに気付いた。
最後の抜歯に悪戦苦闘している間に固まったのだろう。
ささやかな慰めだった。

かくして、抜歯は終了
ちなみに、最後の抜歯箇所はしばらく鈍く痛んだが、削りきれなかった根っこが悪さをするといったこともなく、今では「そんなこともあったっけ?」てなもんである。

マウスピース編へつづく。

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