通級指導教室は、かなり人気があるようだ。
すべての学校にあるわけではないし、受け入れられる子供の数も限られているから、大抵の場合は空きを待つことになる。
うちの場合もそうだった。
申し込んでから1年近く待ったと思う。
最初に空きが出たと連絡をもらったときは、年度の途中だった。
クラス構成は何人で、何年生の子と一緒で、曜日と時間はこうで・・・と説明をされ、それでよければすぐに手続きを進めるし、途中参加はちょっとということであれば、次年度からにすることもできると言われた。
2年生になって相性のいい担任のもと、だいぶ落ち着きを取り戻しているところだったので、次年度からでお願いすることにした。
いよいよ申し込むという段には、それなりに葛藤もあった。
指定された通級指導教室がある小学校は、そこそこ遠い。
そこへ通うためには、授業を途中で抜け出す必要がある。
学習面の心配もあるが、それ以上に、途中で抜けることが他の子たちにどう思われるか不安だった。
通級には、そういったリスクに見合うだけの価値や効果があるのだろうか?
「正直悩んでいる」と校長に伝えると、校長は「学校としては、是非行って欲しいと思っている」と言った。
「行く価値があるかどうかは、行ってから考えればいい。今あなたが手にしているものは、チャンスだ。それが欲しくてたまらない人はたくさんいる。ぜひ活かしてほしい。行ってみておかしいと思ったら、いつでもやめて構わない。正直に言うと、学校としても通級とのパイプが欲しい。あなたが行くことでそれを手に入れることができる。専門的な学習をする機会が得られることは、先生たちにとっても大きなプラスだ」
こりゃ行くしかないと思った。
3年生になり、いよいよ通級が始まった。
希望者が多いため、最多でも週1回しか通うことはできない。
息子は水曜日の午後のグループになった。
私は毎週、小学校にチャリで息子を迎えに行き、4時間目の途中で抜け出させて大急ぎで帰宅、昼ご飯を食べさせ、バスで駅まで行って電車に乗って、通級指導教室のある別の小学校まで息子を連れて行った。
チャリを封じられる雨の日は地獄だった。
なお、授業を途中で抜け出すときは、堂々と出るという方法をとった。
あらかじめ担任と話し合って決めたことだが、子供たちのノリは大変よろしく、教室を覗き込む私の顔を見つけると「あ!迎え来たよ!」「行ってらっしゃーい!」「ばいばーい!」「最初はグー!じゃんけんポーン!」と、毎回明るく元気に送り出してくれた。
授業が中断されてしまうので、私は毎度先生に深々と頭を下げたが、おかげさまで息子はいつもニコニコと教室を出ることができた。
抜け出す理由として先生は、「特別に勉強したいことがあって、別の学校にも通っている」と説明したらしい。
なのでたまに「何勉強してんの?」「むこうの勉強難しい?」などと訊かれることがあったようだが、「いろいろ」「難しくない」と素直に答えて事なきを得ていたようである。
通級のクラスは、6名。
各クラスは、同じ学年とひとつ違いの学年との2学年混合で編成されていた。
もう何年も通っている子もいれば、うちのように初めての子もいる。
彼らが教室で指導を受けている間、保護者は別室(待機室)においてその様子をモニターで見ながら、この1週間の出来事や相談事などを順番に報告した。
待機室には聞き役の先生がひとりいて、その報告を細かくノートに書き込む。
子供たちを指導する先生と一緒に、2人で1クラスを担当するという仕組みだ。
指導が終わると、指導していた先生が待機室に入ってきて、その日の報告をしてくれる。
そのようなことが、年間30回くらい繰り返された。
待機室には、親同士の交流の場という役割もあった。
同じ程度の障害を持つ子の親だから似たような問題を抱えているし、その経験談は興味深いものがある。
話をする側としても、それを吐き出すことで泣いたり笑ったりできるし、泣いたり笑ったりしてももらえるので、下手に抱え込まずに済むというメリットがあった。個人的にいいと思ったのは、そういう交流がそこ限りであったことだ。
通級に通っていることを人に知られたくないという人もいるため、この場を超える付き合いには発展しなかったのである。
その分、その場においては包み隠さぬ暴露っぷりで、それがまたよかった。
割り切れる場があるということは、隠したいと思っている人には特にありがたいだろうなと思う。
ただ、面倒だったのは、所属校に比べて非常に少ない人数の中、役割を分担しなければならなかったことだ。
また、一度やったら免除というわけにもいかない。
長く通っていたら何度もやることになる。
いわゆる、グループ代表や会計係、さらには、その通級指導教室全体としての代表、会計、書記、図書などの仕事だ。
OB会のような団体も存在したので、そちらとのやりとりや、別の通級指導教室の団体と連携して講演会などを企画することもあった。
また、もっと手を拡げてアンケートや署名活動を行い、自治体や国に支援の拡充を訴えていくような活動も。
当然ながら、その大きな活動をまとめる団体の代表、役員、書記、広報といった仕事もある。
絶対数が少ない中でそれらの役を決めるのは、それはそれは大変だった。
大抵の人は、通級の日に子供に付き添うという困難を乗り越えるので精一杯だ。
その上、月1で役員会があったり、イベントで駆り出されたり、あちらの世話こちらの世話と面倒ごとをやらされるのではたまらない。
講演会やら支援の拡充の訴えやらも必要なのかもしれないが、通級に通っている人たちは基本的に目の前の日々の問題で精一杯なんじゃないのかなぁ、負担を増やすのは本末転倒じゃない? プラスαは余裕のある人たちが有志でやればいいのに・・・と私はずっと思っていたが、今は少しは改善されたのだろうか。
さて、肝心の指導内容はどうであったか。
親として思ったことは、こうだ。
「幼稚園みたい・・・」
私以外にも同じ感想を持っていた人は多くいる。
とりわけ、通級1年目の親は「期待していたものと違う」と感じた人が多く、戸惑いを隠せなかった。
かく言う私もそのひとりだ。
通級とは、こういうときにはこう、こういう場ではこうといった、こういう子たちが失敗しがちなシーンでの対応や求められるモラルなど、具体的で実用的なことが教え込まれて身についていく、そういう場だと思っていたのだ。
ところが、モニターに写る指導の様子はまるで幼稚園。
一言で言うなら、期待外れだった。
先生の話し方、接し方、行われているプログラム、どれもが幼稚園レベルだった。
見ていてとてももどかしかった。
あんな姿勢になっている、話全然聞いてないけど注意してくれない、さっき言われたこともう忘れてるけど指摘してくれない、などなどなどなど。
だけど先生は怒らない。口調はずっと甘々。厳しいことも言わない。遊びのようなことばかりやらせている。まさに幼稚園だった。
体育の時間もあった。
順番を守る、みんなで成し遂げるといった「集団生活」という意味では、体育が一番学習っぽい時間であるように思えた。
また、夏にはプールの指導もあった。
しかしまあ甘いので、うちの息子のように水に顔をつけようとしなくても問題ない。
潜らなければ取れないコインを拾い集めるゲームをするけど、ずるして足で取っても怒られない。だめじゃん。
そんな様子だったので、失望して通級を去った人もいる。
私も、これは授業を抜けてまで続ける価値があるのかと本気で悩んだ。
息子に通級について訊けば、「楽しい」「好き」と言う。
そりゃそうだろう。参考にならない。
結局、私にはわからないプラスがあるに違いないと無理矢理思うことにした。
次年度のことを決める面談では、引き続き指導を受けさせたいか、また受けさせる必要があるかといった話が担当の先生からなされるのだが、1年通って言われたことは、「継続した支援の必要があると感じている」というものだった。
空きを待っている人がたくさんいる中、継続を勧められるのだからそうすべきなんだろうと思い、次年度も通うことにした。
4年生時の通級も同じ日程で組まれた。
メンバーもほぼ一緒。
先生は替わったが、先生の甘さやプログラムの内容は変わらない。
そしてこの年度、私は役割を担わされることになった。
何が大変て、こちらで役職を引き受けたからといって、所属校の役員を免除されたりはしないということだ。
ダブルで背負わされていたらどうなっていたかと冷や汗が出る。そうならなかったことは、最終的にじゃんけんまでもつれ込んだことを思うと、本当にラッキーだった。
年度末が近付いたとき、また面談が行われた。
私は、学校での様子が落ち着いていること、相変わらずここでの時間がプラスになっていると思えずにいることなどから、次年度について消極的である旨を伝えた。
すると、日数を減らしてみてはどうかと提案された。
2週に1度のグループがあるので、そちらに切り替えてみてはどうかと。
つまり、支援をここでやめてしまうことはお勧めできないという判断だ。
ではそれでやってみようかと、次年度も通うことにした。
5年生時の通級は,2週に1度、金曜日の午後。
メンバーは4人。
2週に1度のグループは、待機室を使えない。
週1のグループが使っているからだ。
したがって、毎回空き部屋探しから始まった。
モニターもない。
話を聞く先生もいない。
保護者4人でくっちゃべって指導が終わるのを待つ。
要は、通級の卒業を前提としたグループだということだ。
いつ誰が抜けてもおかしくない。
3年の時も4年の時も、私は所属校の担任の先生に「通級に通い続ける必要があると思いますか?」と見解を訊いてきたが、先生たちは申し合わせたように「お答えできない」としか言ってくれなかった。
「学校での様子などはいくらでも教えられるので、判断はそちらでしてほしい」と言うのである。
個人の見解を口にしてはいけないという学校側の方針があったのかもしれない。
近くで見ている人の見解は是非とも知りたいところであるのに、融通が利かずイライラしたものだ。
しかしそれでも懲りずに訊いてしまうじゃないか。
5年生になって数ヶ月、今度の担任にも同じ質問をした。
「必要ないと思います」
え・・・!?
「全然問題ないですよ」
待ってましたーーー!!!
「今まで誰も言ってくれなかったんですよ!? 『こちらからは言えない』とか言って!」
「え、そうなんですか? 言っちゃいましたね。やばかったのかな」
「いいえ! その言葉を待ってました! すぐにやめます!」
息子にそのことを告げると、息子は「まあねぇ」と言った。
「人数も減ってやれることも減っちゃったし、2週に1度だとあんまり仲良くもなれないし、ぶっちゃけ、もう行かなくてもいい」
よっしゃーーー!!!
私はすぐに電話をかけた。
所属校の担任の先生にも報告をする。
「はや!!」
「やめたいと思っていたので、いい後押しになりました」
「やばいな・・・言ってよかったのかな・・・」
「もちろんです! ありがとうございました!」
先生があとでお叱りを受けたかは知らない。
しかし、学校側が先生の見解を封じることには断固反対だ。
子供の近くにいすぎて特性に慣れてしまっているため、感覚が麻痺して自分の判断に自信が持てずにいる親はたくさんいるのだ。
多くの子供を見ている人の客観的な評価は極めて重要である。
学校は責任の有無を気にしてばかりいないで、もっと柔軟に対応すべきだと思う。
かくして2年半に及ぶ通級指導教室が終了した。
息子は今中学生だが、「通級行く意味あった?」と訊くと、こう答える。
「あった」「楽しかった」「息抜きになった」「支えになってた」と。
そうか、支えになってたのか・・・。
「じゃあ、役に立った?」と訊くと、
「立った」「あれでなかなか勉強になってたんだよ」と言う。
遊びを通して、人との接し方などを学べたという思いが本人にはあるらしい。
そうか、学んでいたのか・・・。
安易に奪わなくてよかった。
経験や学びの成果は目に見えるものだけではなく、記憶や経験として刻まれて気付かないうちに役立ったり影響を受けたりするものもいっぱいあるということを、私たちはわかっている。
なのに、つい、先を急いでしまうよね・・・。
焦りや戸惑いが生じたとき、それは無駄じゃないんだと少しでも思えたなら、どれだけ気が楽だろう。
だから私は信じることにした。
目の前の子が笑えていたなら、それはきっと間違いではない。
時が過ぎて、「あのときはよかったなぁ」と楽しげに昔を思い出されてごらんなさいよ。
無駄だったわけがない!
そんな時間を与えてあげられた自分を、褒めてやりたいくらいだわ。