発達障害 -08 小学校(事件)

発端は、息子がクラスメイトの女の子に怪我をさせてしまったことだ。
持っていたものを奪われると思い込んで激しく抵抗した際にそうなってしまったので、故意ではなく事故だったのだが、こちらが「普通じゃない子」で、あちらが「女の子」であったことから、大変な騒ぎにされてしまった
なんであれ、怪我をさせてしまったことは謝らなければならないので、学校から連絡を受けてすぐに先方に電話をしたが、その時点ですでに「連絡が遅い」「何をしてくるかわからない子」という態度で、「うちの子は女の子なんですよ?」と意味不明なことをさも当然に主張してきたので、私も気分が悪くなった。
この人とはたとえこんな事が起こらなかったとしても絶対仲良くなれないと即座に悟ったため、謝るだけ謝ってとっとと終わらせたいと思ったのだが、その後も、ごくごく小さなことで「まだちょっかいを出されている」「反省が見られない」などと学校側に文句を言ってきたらしく、私はまたしてもスクールカウンセラーの予約を入れることとなった。

学校という環境の中で起こったことは、基本的には学校の中で解決するべきなんじゃないのか。何があったのか、どうすればよかったのかをまず話し合わなければならないのは当人たちであって、親じゃないでしょう。そんなことをしていたら子供たちは失敗から学ぶこともできないじゃないか。
まくし立てると、カウンセラーはまた「仰るとおりです」と言った。
しかし、ここでワーワー騒いだところで何も変わらないことは知っている。
感情最優先の生き物に正論は通用しない。
ただ私としては、こちらの見解を形に残しておかねば気が済まなかったのだ。

そして事件は続く。
人との距離感をつかむのが苦手な息子が、よりにもよってその子との距離感を間違えてくれた。
「遊具の上で、おたくの子に突き落とされそうになった」「なにしてくれんだ!!」という怒りの留守電に、私は大層驚いた。
すぐに折り返したが、謝るためではない。
状況の確認をしたかった。
証拠となるものが、そう感じたというその子の主張だけでは、それが本当かどうかはわからない。
そんな確証のないことで私が謝ってしまうわけにはいかない。
もし何もしていなかったら、息子を著しく傷付けることになるからだ。
すると、あちらの怒りが爆発した。
「謝りもしない!!」
「事実かどうかもわからないことで謝れません」
「うちの子が嘘をついていると言うんですか?」
「一方の言い分だけを鵜呑みにすることはできません」
「信じられない! 何も反省してないですよね!?」
「反省はしています。ですが、やっていないかもしれないことでは謝れません」
相手は怒るばかりだ。
しかしだからといって折れることはできない。
息子の名誉がかかっているからだ。
そのうち相手は、決して許せない絞め殺してやりたいくらいの言葉を吐いた。
「おたくの子は、授業中にフラフラしたり教室を出て行ったりしてるらしいじゃないですか」
「それとこれと何の関係があるんです?」
「つまりそういう子ってことでしょ」
「そういう子とはどういう意味ですか!?」
その先はさすがにエキサイトしてしまい、何を言ったか覚えていない。
ただ、こんな女、こんな親、こんな人間、と心の底から人を嫌ったのは、これが初めてだった。

まだある。
その子とばかりそういうことが起こるのも変な話だが、今度は、道路で息子に追いかけられて転んで怪我をしたという。
ついに、現場で直接話をすることになった
私に対して「あなたではだめだ、父親に叱らせろ」と言っただけあって、ついにあちらの父親も登場。
会って早々、母親が「留守電を聞いて折り返してきたくせに、謝らない」と文句を言ってきたので、
「それは、息子を犯人だと決めつけた留守電だったからです」と応じたら、父親の顔をチラリと見て黙ってしまった。
どんな力関係があるのか知らないが、自分の主張が正しいなら堂々としていればいいではないか。
まあ、あちらはどうだか知らないが、うちに限っては父親より私のほうが厳しいし怖いので、「父親に叱らせろ」はちゃんちゃらおかしい提案だ。
自分の価値観を当然に他人に押しつけられるというだけで、この女の程度が知れる。

で、あちらの父親も「女の子」を主張してきた。
似たもの夫婦かよ。
じゃあなにか、男の子なら怪我をしてもいいと言うのか。ふざけんなよ?
あちらの父親は現場検証のようなことを始めて、息子の記憶が曖昧な部分を指摘して「その子は嘘をついている」と言い張った。
息子にしてみたら大して興味のないことを思い出せと言われてもわからない。
それなのに「それはどこだった」「そのときの位置はどこだ」などと問い詰められて、適当なことを口にしたに過ぎない。
また、スケーターだか何だかの名前を勘違いしていたことまで取り上げて「乗っていたのはそれではない、嘘をついている」と言い放った。
実にあほらしい。
こちらとしては、二人でいるときに接触事故が起こって一方が怪我をしたという事実と、その原因について掘り下げたいところだ。
息子が故意に事故を起こす理由はないが、故意でないにしても事故に繋がるような行為があったなら反省させなければならないし、怪我をしてしまった側に謝罪をして、治療費とかが発生するなら負担する、という流れであってほしいのに、そういうことよりも感情論で迫ってくるので話が進まない。
また、相手の女の子が、こういうことが繰り返しあることで親にちやほやされたのか、やや調子にのっている感じが否めない。
「このとき私、本当はちょっと見えてたの!」とか、ダメ押しのつもりかもしれないが、なんともわざとらしい。
この発言はさすがにあちらの親も嘘だと思ったようでスルーしていたが、おたくのお子さんも天使じゃないよね、と言ってやりたかった。

そんなこんなで何も解決しない
あちらにしてみれば、「故意じゃない、そんなつもりはないと言うけど、じゃあなんで何度もこういうことが起こるんだよ」という不信感が拭えない。
それに、大ごとであるにもかかわらず息子の記憶が曖昧で、その上こんなことになっているにもかかわらず目の前で全然違うことをして遊んでいられることが理解できない。
私たち夫婦は、息子の特性について話さずに問題を解決することは不可能だという結論に達した。
それで、「言い訳と思われかねないので言うつもりはなかったのですが」と切り出し、息子が発達障害であること伝えた。
すると母親は、先の電話での暴言に勝るとも劣らない言葉を吐いた。
そんな子と同じクラスは困るんですけど
沈黙が流れた。

やがて、父親が「療育に通わせているんですか」と訊いてきた。
そんな言葉を知っているとは意外だなと思った。
そんなこととは縁のなさそうなあちらさんが、なぜその単語を知っているのだろう?
理由はわからなかったが、うちの子がそういう子で療育も受けていると知ってから、父親の態度はがらりと変わった。
突然「理解者」になり、最終的には「何か助けになれることがあれば言ってください」とまで言った。
あまりの変わりっぷりに、こちらは拍子抜けしてしまう。
母親のほうは、娘に「わざとじゃないってよ」と伝え、幕を下ろしにかかった。
疑問も怒りも山ほど抱えていただろうに、「そういうことならもういいです」という感じだ。
発達障害は免罪符ではないのに。
言っても仕方がないと諦めてもらうために伝えたわけじゃない。
不可解で腹立たしく思えるであろう息子の行動にも、それなりの理由があるということ、悪意などないということを知ってほしくて伝えたのに。
私たちは理解されることを目指したが、されたのは諦めだった
「見逃してあげるべき」と判断したのだろうか。
だが、それは解決ではない。

常々思うのは、特性の有る無しは優劣ではないよねということ。
定型発達の人たちは、発達障害の人たちを下に見る傾向があると思う。
「生きにくくてかわいそう」「理解してあげなくちゃ」「手助けしてあげましょう」などと表現される度に、私は違和感を感じている。
感じ方の違い、捉え方の違い、価値観の違いに、正解も不正解もなかろう。
ただ、多数派と少数派があるというだけのことだ。
多数派は、そちらが正しくて、そうあるべきだと思い込んでいる。
私はそうではないと思う。
集団において多数派が基準とされるのは、それが正しいからではない。そのほうが効率がいいからだ。
そうして少数派は、秩序を乱す厄介者のように思われていく。
日本は特に、その傾向が強いと思う。
違うのに。
その多様性は宝なのに。

そんなわけで、この事件はこれにてぱったり収まった
「何かあれば」などという社交辞令で別れたものの、当然ながら修復は不能。
今に至るまで、互いを見かけることはあっても言葉を交わすことはない。

小学校においては、これが最大かつ最悪の事件であった。
その後の学校生活は「ちょっと変わった子」程度の位置づけで、とくに苦もなく、笑顔で過ごすことができていたように思う。
その一役を担ったのが、3年生から利用し始めた通級指導教室だ。
次は、その体験について書こうと思う。

つづく。

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