小学5年生の始めに、前年度の通級指導教室で同じ係として活動した人と、子供の進路のことで話をする機会があった。
引き継ぎをするために登校したので、その人の子供はすでに中学生になっている。
聞けば、私立の中学校だという。
もともとは受験をさせようとは思っていなかったらしいのだが、この機に環境を変え、うまくいっていない人間関係や偏見をリセットして、再スタートしたほうがいいのではないかということになったらしい。
息子さんもその気になって、塾通いを頑張ったのだそうだ。今は電車に乗って楽しく登校していると教えてくれた。
中学受験なんて全く考えていなかったので寝耳に水だったが、なるほど、いい機会ではあるかもしれないな、と思った。
うちの息子は、どちらかというといじめられっ子だ。
除け者にされたり追い回されたり、年下の子にさえなめられる。
しかし、なんだかんだ一緒に遊んでいるし、1人で抱え込んでしまうようなこともなかったので、さほど問題視してこなかった。
ところが、改めて息子が進学することになる公立中学校について調べてみると、まるでいい話が出てこない。
その荒れっぷりが近隣では有名だということも初めて知った。
私の当時の勤め先に、その中学校の卒業生がアルバイトとして入って来たので、ここぞとばかりに「そんなに酷いの?」と訊いてみたが、「酷いすね」と返される始末。
これはさすがに真剣に考えなければいけないのではないかと思い、息子に相談してみた。
「あんたが行くことになる中学校は、だいぶ荒れているようだよ。でも、友達の大半はそこへ通うし、家からも近い。そこへ行かずに、私立の中学校を選んで行くこともできるけど、友達とは別れることになるし、家からも遠い。何より受験をしなければならない。あんたはどうしたい?」
「いじめがあるのはいやだ」
「受験をするということか」
「する」
そういうことなら、とっとと動かなければならない。
私立中学校の情報を得るために、分厚い本を買い、合同説明会に足を運び、資料とにらめっこする日々が始まった。
また、私立受験では中学校の先取りを特殊なやり方で解く問題が当たり前に出題されるから、学校の勉強ができるだけでは太刀打ちできず、塾通いが必須であるということもわかった。
塾の情報も集めて、早急にどこに通わせるか検討しなければならない。
ちょうど、通級の卒業を決めた頃だった。
その時間を塾に充てられると思った。
塾はすぐに決まったが、塾長には「遅いです」と言われた。
私立中の受験に、5年生の夏から勉強するのでは遅いと言うのだ。
私立ならではの特殊な計算とはそんなにも難解なのだろうか・・・。
しかし、その遅さを挽回しようとしてくれたのか、塾はとびきりの先生を息子の担当にしてくれたのである。
東大卒の元中学校数学教師だ。
しかも大ベテラン。
現役を引退し、塾のお手伝いをしてくれている、塾にとってもありがたい神的存在の先生だった。
息子はその先生にマンツーマンで、算数のみならず他教科もすべて教えていただけることになった。
環境は万全だ。
あとは息子のやる気だけだった。
先生は実にすばらしい人で、知識や教え方は当然ながら、人柄や考え方までもが尊敬に値した。
先生は息子の変わりっぷりを、「面白いですよ」と言ってくれた。
そうして、そういう特性を「大事にするべき」と言ったのだ。
その上、息子の得手不得手をすっかり見抜いて、常に的確なアドバイスをくれた。
正に、この上ない先生だった。
息子は、おだてられも呆れられもせず、必要なことを最短ルートでガンガン教え込まれた。
そうして休憩時間には、床に座り込んで漫画を読んだ。
塾長に何十回怒られても、ついに直らなかったと聞いている。
塾での時間は、彼にとって、とても有意義であったと思う。
しかしここで、私は頑張る息子の姿に大きな見落としをしてしまう。
息子が発達障害であることを忘れたことなどないが、その行動が彼の意思であるのか特性であるのか判断が難しい場合もあって、このときは安直に、受験をすると決めたのは彼なのだから彼の意思で頑張っているのだろうと思ってしまったのである。
塾は遅れを取り戻そうと、盛り盛りのプランを組んでくる。
夏休みもほぼ返上。
通級に通っていた時間を充てようと思っていた私は甘すぎで、毎週その2~3倍の時間を作り出す必要があった。
息子は頑張った。
文句も言わずに大量の宿題をやり、放課後も休日も塾のために失った。
あるとき、「遊びに行きたい」と口にしたときの息子の様子は忘れない。
「でもまだ終わっていないよ」と返すと、彼はポロポロと涙を流して
「じゃあぼくはいつ遊べばいいんだよ」と言ったのだ。
私は、ハッとした。
この子に何をさせているのだろうと思った。
遊ぶことこそが仕事の子供に、今しかできないことをさせずに、何をさせているのだろう。
卒業までの残り少ない貴重な時間に、友達と過ごさせてやれないなんて。
このときになってようやく気付いたのだ。
これは彼の意思じゃない。特性だったのだと。
決められたことを愚直に守ろうとしていたに過ぎないのだと。
そこに意思がなかったとは言わない。
けれど、泣くほど辛くてもやり抜いてしまうのは、意思にしてはあまりに強く、痛々しい。
もう少し大きくなれば反抗もできるようになるが、この時期はまだ言われたことが絶対で、ただ従うばかりだ。
帰ってくるなと叱ったら、本当に帰って来なくなるような子なのだ。
出て行けと言われて、本当に出て行ってしまうような子なのだ。
知っていたのに、私は見落としてしまった。
だけど、残念なことに「やらなくていいよ」と言ってあげることはできなかった。
ここでやめてしまったら、これまでの苦労が水の泡になってしまうからだ。
いじめのない学校に行きたいという彼の希望は叶えてあげなければならない。
この頃、志望校はまだ定まっていなかったと思う。
私は、彼がのびのびと暮らせるなら、どこだっていいと思うようになった。
もともと「ここ」と思う学校があったわけではない。
ただ、塾通いを始めた頃、彼は「あんまり出来のよろしくないところに楽して入るのと、賢い人たちが集まるところに頑張って入るのと、どっちがいい?」という私の質問に対し「賢いほう」と即答していたため、「頑張るのは当然」という価値観が私の中には少なからずあった。
でもおそらく、それは彼の本当の答えではなかったのだろう。
なぜなら、当時の彼は犠牲になるものがあるなんて想定していなかったはずだ。
例えばその質問をしたときに、「遊ぶ時間を削って頑張る」と言っていたなら、答えは最初から前者だったかもしれない。
私は、選択は息子にさせてきた。
けれど、私は全ての情報を伝えずに彼を欺したのではないか。
彼が失った掛け替えのないものが惜しくて惜しくて堪らない。
これはいじめよりひどい。起こるかどうかもわからない災難より明確にひどい。
辛い目に遭わせているのは私だ。
受験なんてしなくてよかった。もっと遊んでいればよかったのだ。ずっと遊んでいればよかったのだ。
でもそれは言えない。
大事な時間を犠牲にし、信じて頑張ってきた息子にそれを言ってはいけない。
努力が実を結び、自分の力でいじめのない未来を勝ち取る喜びを味わわせてやらなければいけない。
受験をしてよかった、この学校を選んでよかったと思わせてあげなければいけない。
しかしこの段に来て、私にできることなどほとんどない。
私は何もしてあげられない。
だから、ただただ励ました。
「あんたはものすごく頑張っている」
「あんたは偉い」
「努力は絶対無駄にはならない」
「楽しい未来が待っている」
息子がだいぶレベルの低い学校を選んだときも、私は何も言わなかった。
彼が自分で選び、のびのびと楽しい時間を過ごせることより大事なことなんてない。
そりゃそうだ。
そのために受験を選んだのだ。
受験の波に流されて、目的を見失うところだったよね。
「どうせなら」と欲張るところだったよね。
目的は十分達成された。
合格発表で自分の受験番号を見つけたときの息子の満面の笑み。
あれをこの先もずっと、忘れちゃいけないんだ。