発達障害 -11 告知?

発達障害関連の本を読むと、告知は極めて大事だとか、慎重にするべきだとか書いてある。
なので私も、「そうなのか」と思って過ごしてきたが、今となっては「そうだろうか」と思えてならない。
なぜなら、私は告知をしなかった。
というか、告知をする必要がなかった

私は一般的なお母さんとは違う。
息子の中学校で、「自分を知る」という名目で行われた自己分析(性格判断)調査でもはっきり出たが、いわゆる「優しさ」が欠落しているのだ。
「協調性」の数値もかなり低い。
その分、「厳しさ」や「論理思考」「明るさ」などが極めて高くなっている。
その上、独特の価値観と信念を貫く INTJ だ。
一般的でないどころか、よくお母さんをやれているなぁとさえ思う。
私は無償の愛を提供する温かな存在ではないし、見本にしてはならないほど社会性に乏しい人間だ。
けど、それを欠点だとも思わない。

私は、息子が幼かろうが発達障害だろうが、ありのままの私でい続けた。
私は、息子が何かやらかすたびに、大人げもなく大騒ぎし、私が被る苦労を嘆いて顔を歪め、文句を言いながら渋々後始末をした。
不平不満不機嫌の類いを子どもに見せるべきではない、などと思ったことはないし、逆に、すばらしいと思ったときには、対象が人でも物でも自分でも、これでもかというほど褒めちぎった。同じことでも、話題に上るたびに何度だって熱を込めて褒めた。
相手の気持ちを察するのが苦手な特性がある子にとって日本のお察しください文化は酷だという思いもあったため、多少は意識的に表に出したところもあったかもしれないが・・・。
なんにせよ、私はこの十数年、ここぞとばかりに堂々と「一般的なお母さん」を放棄し、思考を恥ずかしげもなく垂れ流し、全身で喜怒哀楽を表現しながら、「お母さん」をやってきたのである。
それが息子に、「この人は正直すぎて面倒臭いが、わかりやすい」とでも思ってもらえていたならばしてやったりだ。

伝えたいことや伝えるべきことは、日常にいくらでもある。
いくらでもあるのだから、わざわざ「大事な話」などと身構えるより、私は日々にちりばめて伝えたい
何だって教えてやるから、逐一学んでほしい。
日常のすべてがタイミングだ。
私はそう思っている。

というわけで、私は息子の特性についても、日頃から容赦なく指摘をしてきた。
だから、わざわざ改めて教えなくても息子はわかっているのだと思う。
自分が、いわゆる「普通」ではないということを。
テレビで発達障害の特番があったりすると、私は「これは見とけ」と視聴を促す。
息子は「あー」と言う。
以前、その自覚をそれとなく訊いてみたことがあるが、返事はこうだった。
「まあねぇ」
それで十分だと思う。
自分は「障害」なのだと、深刻に捉える必要なんてない
また、深刻に捉えさせる必要もない。

そもそも、私には、境目のはっきりしないグラデーションのような症状をどこで線引きするのかがわからないし、線引きをする必要があるのかさえわからない。
程度の差こそあれ、誰にでも特徴的な部分はあるはずで、そのひとつひとつを「これは障害か?」と考えることなどまずないのに、ほんの少しそれが際立っていたら「障害」として線引きをするというのは、おかしくないか。
難があるなら、それについての対処を学ぶ。
線を引こうと引かなかろうと、やれることは同じだ。
なら、なぜ線を引くのだろう
どうして分けたがるのだろう。

ちょっと変わってる子なんて、昔からたくさんいたではないか。
「あいつ変わってるなー」で済んでたじゃない。
それを「障害」として区別してしまったら、途端に変わってしまうんだよ。
周りも。本人も。
見る目が変わるし、不要に傷付いてしまう。
もちろん、気付きや対処はとても大事だ。
でも、わざわざレッテルを貼る必要はないのではないか。
そんな区別よりも、息子の中学校で行われた自己分析調査のように、全員が自分自身を知ることのほうが有用なのではないか。
やってみればわかるが、誰にだって得手不得手はあるし、長所も短所もあるのだ。
その十人十色の折れ線グラフや円グラフをみんなで見せ合えば、多様な個性への気付きや理解にも繋がる
キミは「普通」、キミは「障害」と、どこで分けるのか、そもそも引く必要などあるのか、きっと疑問に思うだろう。
そういったことをすべての子供たちに経験させてあげられたらなら、無用で無益な慣習など、自然と消えていくのではなかろうか。

今回のタイトルの「?」には、そういった思いも込められている。
そんなに身構えなくてもいいんじゃないの? わざわざ大ごとにしなくてもいいんじゃないの? という。
ただ、隠し通すことだけはやってはいけない
大事なのは、自分の特性を知り、それに対処できるようになることなのだから。
保護者として護ることばかり考えていてはいけない。
子どもに自分の力で生きていくための社会性を身に付けさせてやることこそが、親の仕事だ。
私は息子に、「おまえはそこがダメなんだから工夫をしないといかんよ」と事あるごとに指摘をしてきたが、「わかってんだよ」と返されるようになってきたことを喜ばしく思っている。
言われなくとも自ら工夫するようになることが最終目標ではあるが、中学時代の私がそこまでできていたかといえばそうではないので、そこは焦らない
まずは、自覚があればいい
自分には工夫が必要なんだということをわかっていればいい

息子は最近(2021 年、15 才)、表現がストレート過ぎる私を面白がるだけでなく、呆れ顔で「およしなさい」「落ち着け」などと諭したりもするようになった。
人を客観視できるようになるとは大した進歩である。
そうなのだよ。ダメなところがあるのはキミだけではないのだよ。
無論、子どもだけでもない。
自尊心をもって前に進んでいってくれればと思う。

つづく。

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