発達障害 -12 中学校

息子は、小学5年生の途中で通級を終わりにしてから療育や支援を受けることはなくなり、2021年春には高校生になる。
とはいえ、中学時代に何も問題がなかったわけではない。
些細なことではあるが、参考までに書いておこうと思う。

まず、彼は新品のジャージの膝を、身に着けた初日に破いた
どれだけはしゃいでいたのか、どうやら膝スライディングをしたらしい。
どのような状況だったのかはさっぱりわからない。
ただ、やりかねないと思ったし、やっても不思議ではないというか、そうきたかという感じで、しかしながら怒りもあったので、この破れたジャージを3年間着なさいと言い、本当にそうした。

次に、彼は夏の制服の膝を、衣替えをした直後に破いた
笑うしかない。おまえはジャージで散々叱られたのにまだ破り足りないのか。
「裁縫=ボタン付けor靴下の穴塞ぎ」である私に、膝の穴を覆い隠すなどという高度な補修ができるはずもない。
苦労の末、膝は漫画のような見事なツギハギに仕上がった。
ふと気になって冬の制服の膝を確認すると、テカテカになっている。
なるほど、冬服のほうが生地が厚い分、丈夫なんだなと感心した。
いやちがう、ジャージで怒られて数ヶ月は反省できていたのかと思ったがそうではなく、たまたま破れなかっただけで彼の行動は変わっていなかったということにガックリした。
おのれ小僧、このツギハギ制服も3年間着てもらうからな。
で、本当にそうした。

膝は破り足りたのか、次に狙われたのはボタンだ。
最初は「もともと縫い付けが甘かったのかもしれない」と渋々付け直しをしていたのだが、しっかりと縫い付けたにもかかわらず数日後にまた取れ、縫い直しても今度は2個いっぺんに取れたり、果ては3個全部が取れてしまったりして、これは違うぞと気が付いた。
何をしているのかは本人に自覚がないためわからない。
しかし、何かをしていることは間違いない。
付き合いきれず「自分で付けろ!」と言い放ち、自分で付け直させた。
息子が家庭科でボタン付けを習ったことは知っている。
ものすごく不器用で、なんじゃそりゃな出来だが、構うものか。
自分でしでかしたことは自分で尻拭いしてもらわねば。
その後、ボタン全部取れちゃう事件は何度か繰り返された。
自分で付け直すという手間がかかるとわかっているのにやっちゃうのだから、どうしようもない。
出来は相変わらず酷いが、縫い付けるスピードはだいぶ速くなった。
学習してほしかったのはボタン付けではないんだがな・・・。

目に見えて身長が伸び始めた頃、「靴が痛いんだよね」と訴えてきた。
「今はかかと踏んでる」などと言う。
感覚が鈍いのか、昔から靴のサイズが小さくなってもちっとも報告しない子だったので、私がマメに気に掛けるようにしてはいたのがだ、今回はこんな早期に、しかも自分から言ってきたなと思ったら・・・
「うわ!!」
靴擦れなんてもんじゃない、靴剥けとでも言おうか、真皮までいっちゃっている。
こんなの痛いに決まっている。
こんなになるまで何も言わないのが何故なのかはわからない。
そこまで痛みに鈍いのか、気にならないのか、面倒なのか・・・。
靴は即刻買い直し、靴剥けにはキズパワーパッドを貼ってやった。
「これすげえ! 痛くない!」
とキズパワーパッドを絶賛し、普通に靴を履けることを喜んでいる。
いやちがう、これがあれば大丈夫なんじゃない、こういう事態にならんようにしてもらいたいんだ・・・。

洗いに出されていたズボンの膝に結構な血が付いていたことがある。
「あんた怪我してない?」と訊くと、何やらごにょごにょ言って誤魔化している。
とっつかまえて膝を見ると、
「うわ!!」
またしても強烈な怪我が、洗い流されもしないまま、ドロを巻き込んでぐじゅぐじゅになっていた。
言いたいことしかない。
しかし、洗うことも処置することも報告することもせず隠し通そうとしていたのだから、どこから指摘したらいいのかわからない。
私が何事もギャンギャン言うから、これを言ったら怒られるとでも思ったのだろう。
この子には、今今の自分にとって楽な道を選ぶという習性がある。
あとで痛い目を見るとわかっていてもそうしてしまうのは、先のことを想像する力が弱いという発達障害の特性ゆえなのかもしれないが、「じゃあ仕方がない」というわけにもいかない。
「傷、ましてやこんな汚れた傷をそのままにしておくなんて、場合によっては命に関わる」と言って聞かせた。
食い込んでしまっているドロを取り除き、消毒をして、という作業に息子が悲鳴を上げる度、「怪我した直後にやっていればこんなことにはなっていない」と言ってやる。
その後も、痛がる度に、「酷い状態で放置していたからだ」としつこく言った。
学習できたかどうかはわからない。
手応えはないが、繰り返していくしかないのかなと思う。

中学時代に起きたあれこれは、個人的なことに止まらない。
中学校という新しい場所でのきまりごとを理解できていなかったために起こったこともある。
定期テストだ。
模試や受験という似たような状況を経験してきているのだからわかりそうなものだったが、大きく違う要素がある。
周りにいるのがクラスメイトだということだ。
だから彼は、テスト中に隣の席の子に話しかけてしまった
これが試験官に見つかり不正行為として学校に報告され、私をも巻き込んだ事件へと発展。
数日にわたる謹慎処分のあと、校長や生活指導の先生たちから親子揃って説教をされ、もうしませんと誓約書にサインまでさせられた。
不正行為というか、知らなかっただけなんだけどなぁ、と私は思った。
定期テストなんて初めて受けるのだから、決まり事とか最初に教えてくれたらよかったじゃん?
知っていて当然と思うのかな? でもなんで当然? 誰か教えた?
教わりもしないものを、空気読んで悟ったりしないよ?
不正行為としてこんなにも厳しく取り締まらなければならない大事なことなら、なんで最初に説明してくれなかったのだろう。
配慮が足りねぇんだわ。
「申し訳ございませんでした」と書かされたけど、私はそうは思っていない。
教えていなかったそちらこそ悪い。

なお、息子はいじめのない学校生活を目指して中学受験を頑張ったわけだが、いじめというほどではなくても、嫌がらせやちょっかいはちょいちょいあるようだ。
ちょっと変わっているというのはどうしても標的になりやすい
しかしそれも嫌だと言うので、私はこう言った。
「ちょっかい出すのが虚しいと思えるほど、高みに行けばいい」
中途半端に手の届く位置にいるから、邪魔したり意地悪したりして困らせてやろうと思われるのだ。おまえは、そいつが足元にも及ばないくらい上の人になってしまえ。相手にしてらんないんだけど? と見下してやれ。デキるヤツは一目置かれるから、周りも先生もおまえの味方になる。おまえにちょっかい出すのは分が悪いと思わせてやれ。
ゆえに(かどうかはわからないが)息子は勉強を頑張り、上位の成績をキープし続け、いわゆる「デキる子」として周囲に認識されるようになった。
おかげさまで(かどうかはわからないが)ちょっかいはその後静まっていたが、その頃には仲の良い友達(のグループ)ができていて、息子の関心は徐々にそちらへ移行。
そうすると成績が下がってくるわけだが、もはや自分を孤高にしなくても仲間がいるので、不安はない。
たとえ嫌がらせを受けたとしても、彼らが味方になってくれる。
ちなみに、一度付いた「デキる子」というイメージは成績が下がっても失われず、試験の度に本物のデキる子にライバル視されたり、個別面談の度に先生に「もっとできるだろう」と言われたりすることになるのだが、本人は全く気にしなかった。
楽しく過ごせりゃそれでいいのだろう。
異論はない。

中学校生活は、だいたいそんな感じで過ぎていった。
なお、彼が中学生になって一番始めに特性を発揮したのは、バスだった。
バス通学の彼は、乗車する区間のバスアナウンスを宣伝の電話番号に至るまですべて暗記した。
まだ入学して間もない頃のことだ。
興味を持つということが彼のスイッチで、それが入ったときに彼がみせる業は、到底凡人では成し得ない。
将来何かすげーことに興味を持ってくれたら面白いことになるんじゃないか!? と、つい思ってしまうが、今のところそんな気配は全くない。
最近では歌のメロディーと歌詞、ドラマの台詞なんかを異常な感度で取り込んで、ひとりで楽しんでいるようだ。
まあ、その特技がいずれ何かの役に立てば儲けもの、くらいに思っておくのが正解かなと思う。

さていよいよ高校生だ。
せめて、制服を破らないという成長を見せてもらいたいものだ。

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「発達障害 -12 中学校」への2件のフィードバック

  1. コメントを求められているとは思いませんが、コメントを残すフォームがあったので送らせていただきます。
    文才と一言で片付けるにはもったいないほどの素晴らしい文章を書かれますね。わたくしも長くブログを書いておりますが、過去記事全て読みたいと思ったことはこちらのブログ以外近年ありません。
    息子さんへの思いや対応を読ませていただき、感動で涙が出ました。深い愛で特性を認め、見守ることが大事だということはわかってはいるものの、なかなかうまくいかない日々です。しかし、何か光のようなものを示していただいたような気持ちに勝手になっています。これからも読ませていただきます。

    1. まむしさん、はじめまして。
      お褒めの言葉を悲鳴を上げて読みました。私こそ、近年ない経験をさせていただき震えております。

      息子に対する私のモットーは、「他者とは比べない」「他者には潰させない」という単純なものです。逆に言えば、「一個人としてダメなのは自己責任」ということになります。そんな冷酷な私の元でも、息子は捻くれもせず育ちました。人の想いに涙できる優しいまむしさんの元に光が差さないはずはありません。楽しみですね!

      このような灰汁の強いブログに宝石のようなコメントをつけてくださり、ありがとうございました。
      書いてよかったです。

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