この上なく良好な状態でもって入学の日を迎えた息子であったが、そう上手くはいかないのが人生だ。
運が悪かったと言えばそれまでだが、息子は担任の先生との相性の悪さによって退化していくこととなる。
1 年のときの担任は、その年に転任してきたばかりの年配の人だった。
私は当初から発達障害のことを説明し、理解を求めてきたつもりでいたが、担任の心には伝わらなかったのだろう。
当初、息子は息子なりに、新しい環境で頑張っていたのだと思う。
だからその分、合間の休み時間は息抜きとしてとても重要だった。
息子はその時間に好きなこと(紙飛行機を作って飛ばす)をすることで、気分転換を図っていたのだと推察される。
ところが、それが奪われた。
息子のクラスは、突如として、休み時間に紙飛行機を飛ばしてはいけないということになったのだ。
「誰かの目に入ったら危ないので禁止にしました」「何かあったら私のせいになってしまうので」
楽しみにしていた時間を奪われて、息子は途端にやる気を失った。
授業中に席を立つようになった。
床に寝転がったり、全然違うことをするようになった。
そうなってしまってから、担任は私に言うのだ。
「困っています」と。
加えて、この担任は、息子が学校の敷地内で拾った小石(息子にとっては面白い形だったらしい)を持ち帰ることを禁じた。
「いますぐそこに戻しなさい」「学校のものを持ち帰ってはいけません」「何かあったら私のせいになるのだから」
さらには、気持ちが壊れつつあった息子が、何らかの叱責を受けてついに廊下でパニックを起こしたときも、この担任は、ただただ叱りつけるだけだったという。
私はたまらず、療育センターに電話をかけた。
このような相談をするのは初めてだった。
自分の声が震えていたのを覚えている。
この電話で、私はスクールカウンセラーというものの存在を知った。
予約をして、これまでのことをわーーっと話した。
相談の席には児童支援専任の先生も同席していて、メモをとっていた。
カウンセラーはうなずきながらじっと聞いてくれる。
私が「休み時間に紙飛行機を飛ばすことが、息子にとっては切り替えになっていたはずだ」と言うと、カウンセラーは「仰るとおりです」と言った。
また、小石を戻させられた話をすると、カウンセラーは「なぜ持ち帰ってはいけないのでしょう」と首を傾げた。
そうだよね? おかしいよね? 変なのは担任だよね?
私の頭はそればかりになった。
担任のカチカチ思考や保身のために息子の心は犠牲になっている。堪らない。あんなにいい状態で入学したのに何てことをしてくれたんだ。どうしてくれるんだ。
30 分くらいしゃべったと思う。
スクールカウンセラーというのは、保護者側の相談にも先生側の相談にものるから、板挟みといえば板挟みだ。
私の耳には入ってこなかったが、担任も、この人に何かしらぶちまけたりしたのかもしれない。
何が言いたいかというと、要は、相談しても何も変わらなかったのである。
ただ、翌年度、担任は着任わずか 1 年で、また転任していった。
しかし、時すでに遅しだ。
息子はもう、まともに授業を受けられなくなっていたし、ちっとも席に座っていられない、教室も出て行ってしまう、パニックも起こす・・・と、まるで幼稚園に入ったばかりの頃のような状態に戻ってしまっていた。
児童支援専任の先生が特別気にかけてくれていることはわかっていたが、常に付いていてもらえるわけでもない。
それで、入学当初は考えていなかった通級指導教室の利用を考えるようになった。
療育センターで行われた説明会に参加し、承認を受けるための手続きを進めた。
その過程で、校長先生と話をする機会があった。
驚いたことに、先生は私に謝罪をした。
1 年時の担任が、廊下で息子を叱りつけているところを見たことがある。あまりにも酷い叱り方だったので「やめなさい!」と言ったのだが、言うことをきかなかった。私の方針に合わない方であったということで、1 年限りで転任いただいた。息子さんには本当に申し訳ないことをした。と。
本当に、運が悪かったとしか言いようがない。
しかし、その後の担任は素敵な先生たちばかりであった。
中でも、すっかり落っこちてしまった息子を見事に救い上げてくれた 2 年時の担任はすばらしかった。
新人の先生だったが、福祉を専攻していたのかと思うほど、特性のある子供への対応の仕方を知っていて、安心してお任せすることができた。
ところが、最低の状態を脱し、通級の手続きも進んでいた頃、事件が起きたのである。
つづく。