アルバイトをしていた頃、たまたまペットの話題になったことがある。
「何が好き?」「犬が好き」なんて皆さん盛り上がっていたんだが、話を振られたので「私はあんまり・・・」と正直に答え、「むかし犬飼ってたんだけどね」と付け加えたら、ものすごく驚かれた。
たまたま通りかかった人にまで「え!?」と振り向かれて、私こそ驚いた。
えーと・・・私は何か変なことを言いましたかね?

似たようなことは旦那の実家でもあった。
私が実家で犬と暮らしていたことを知ったあちらのご両親が、「犬がお好きみたいだから」「会いに来てね」と犬を飼い始めたのだ。
無論そんな理由だけで飼うはずはないが、そういうプラスがあると見込んでいたことは間違いない。
えーと・・・私は犬が好きだと言った覚えはありませんよ?

たしかに、かつて私の実家には犬がいた。
私が小学2年生のときにやって来た雑種の大型犬だ。
彼は生まれて1ヶ月も経たないうちに母親から引き離された。
暗くて狭いバスケットに入れられて運ばれる間、どれだけ怖かっただろう。どれだけ悲しかっただろう。
見知らぬ地で明るい場所に出されたとき、彼は震えていて、ピアノの後ろへ逃げ入ったきり出てこなくなった。
その小さくて丸っこくて弱々しくて愛らしい生き物を、私は可愛いと思った。
飼うかと問われ、飼いたいと答えた。
それで、実は伯母が自分で飼うためにもらってきた子だったのだが、急遽うちが飼うことになった。
それがうちの「犬」だ。
かけがえのない、唯一無二の、私の「弟」だ。

彼のことを語り始めたらキリがないので割愛するが、つまり、私にとって彼は「ペット」ではなく「家族」だったのである。

「犬を飼っていたけど、犬はあんまり好きじゃない」は、そんなにおかしなセリフだろうか。
「弟と一緒に暮らしていたけど、男の子はあんまり好きじゃない」
変か? 変じゃないだろ。
「弟が好き=男の子好き」とはならない。
それと同じことだ。
好きだったのはその子であって、その子が属するカテゴリーじゃない。
私は、うちにいたあの子が好きなのであって、犬が好きなんじゃない。
あの子を好きになったからといって、犬を好きになったりもしない。
あの子が好き、ただそれだけなのだ。

「好きだろうから」と飼われてもね。
「会いに来て」と言われてもね。
それはあの子じゃないんでね。

ペットが死ぬと、すぐ新しいペットを飼う人がいるけど、私には理解できない。
どういう位置づけだったのだろう、少なくとも家族ではなかったんだな、と思ってしまう。
「弟が死んだので、代わりの弟が欲しい」
どうかしている。
いないとさみしい? だから必要?
つまり、愛玩なんだね?
犬は、家族の一員になりたくてなりたくてなりたくてなりたくてなりたくてなりたくてたまらない生き物なのに。

長々書いたが、「あの子が好きなんであって、犬が好きなんじゃない」って主張は、「カレ・ド・ショコラの88%が好きなんであって、チョコレートが好きなんじゃない」ってのに似てるな。
そう考えると、アホらしいっちゃアホらしい。

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