あなたの名前 -02

実家から大学に通っていた頃の話だ。
片道1時間半の通学はなかなか厳しく、また無駄でもあったので、私は大学の近くで一人暮らしをすることばかりを考えていた。駅までの道のりにある信号が赤ならなおさらだ。
とはいえ、赤なので待つ。ただ待つ。
このとき私は相当気の抜けた顔をしていたと思う。ただ時間が過ぎることだけを考えていた中学時代の授業中のように。
それがよかったのかもしれない。
その人が私に気が付いた。

突然声を掛けられて驚いて左を見ると、こちらを向いて止まっているママチャリがあった。前方に小さな子どもが乗っていて、そのすぐ後ろに笑っている女性がいる。

「久し振り! 偶然だねー!」

中学時代の友人だった。

「ほらショウくん、ママのお友達だよ。キレイなお姉さんだね~」

彼女は、当時に比べればだいぶ太ってしまっていた私に躊躇いもなくお世辞を言った。私は戸惑うばかりで何も返せない。

「大学?」
「あ、うん」
「そっか~。頭良かったもんね」
「いや・・・」

言われ慣れていないことをこうも立て続けに言われると逆に感心してしまう。これが社交スキルというものか。すげえな社会人なんだな。
そうこうしているうちに、信号が青になる。

「行ってらっしゃい。またね」
「うん、また・・・」

若いママとぼうやは、ママチャリで右方向へと去って行く。
私は信号を渡った。

中学卒業後、初めての再会だった。
それもそのはずだ。別に仲が良かったわけじゃない。学校以外の場所で会うことなど、在学中にだってなかった。
その彼女が、私に、しかもだいぶ様子の違ってしまっていた私に、気付いた。
それだけでも大変な驚きだったのだが、最も驚いたのはそこじゃない。
子どもだ。
いや、子どもがいたことではない。その名前だ。
ショウくん。
どんな字か訊かなくてもわかった。彼女が「ショウ」と名付けるなら、字は一つしかない。

今なら「推し」とでも言えばしっくりくるだろうか。
当時の彼女は、自分の中にそういった何かを求めていたのだと思う。
しかし、今とは時代が違う。
それゆえ、彼女が求めていたのは言葉だった。それも、心の中心に刻むに相応しい、これぞという一語だ。
社交的だった彼女は、おそらく色んな人に同じ質問をして回っていたに違いない。それが、私にも回ってきた。

「カッコイイ言葉ない?」

そう訊かれて、何故それに行き着いたのかは覚えていない。
おそらくは、彼女が何らかのイメージを口にしたのだろう。
「翔とか」
「ショウ?」
「飛翔の翔」
私は紙に「翔」と書いた。
「飛ぶって意味だよ」
「・・・カッコイイ」
彼女がその字に一目惚れしたのは、見ていてわかった。
「これ、もらっていい?」
そう言って紙を手に取る。無論だ。
「ありがとう!」
彼女は駆け足で教室を出て行った。

その後、私はその字がどれほど彼女に突き刺さったのかを思い知ることになる。
その字は、まず机に彫られた。
彼女の腕にも刻印された。
所有物、提出物・・・あらゆるものに、あらゆるシーンで、その字はまるで彼女の印であるかのように記された。少なくとも、卒業の日までは。
けど、そのあとのことは知らない。
知らなかったのだが。

『ショウくん』

ショウ。
それが「翔」でないはずがない。ずっと大事にしていたんだ。
本物だったんだ。

まだ小さい小さい翔くん。
キミの名前は、ママの心の真ん中に、ずっとあったんだよ。
キミは、ママに愛されている。とんでもなく愛されている。
通りすがりのオバサンにもわかるほど。

『また』なんて日はおそらく来ないだろう。でもいいんだ。
その名前を教えてくれてありがとう。
打って変わって「実家から通っていてよかった」などと思っている自分が可笑しかった。

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あなたの名前 -01

「いいこと」の定義はわからないが、「いいことをしたのかもしれない」と思えていることが一つある。今から30年も前のことだ。当時私は中学生だった。
とはいえ、いいことをしようと思ったわけではない。しかも、全然大したことじゃない。それはただの短い会話だった。

年に一度の林間学校でのことだ。
私はこれから始まるイベントに備えて、女子部屋の入り口の段差に腰掛けて上履きを履いていた。時間に余裕があったのか、履き終えてもそこに座ったままでいたと記憶している。
私の隣には同じように上履きを履いていた女の子がいたが、その子も履き終えた後、なぜかそのままそこに居続けた。

実は、その子とは部活が同じだった。でもあまり話したことはない。別に仲が悪かったわけではなく、タイプが違ったのだ。私は絵に描いたような優等生風の外見だったし、彼女の見た目は完全にヤンキーだった。それだけ違えば、お互いに距離を置こうとするのは、まあ自然だろう。

その彼女が、不意に話し掛けてきた。
彼女は自分の上履きに目を落としたまま、こう言った。

「私、自分の名前が嫌いなんだ」

本気でビックリした。何の話が始まったのか。
彼女は続ける。

「K子なんて、私には全然似合わないよね」

えっ・・・何を言っているのだろう?
その、女の子らしいまあるいイメージの愛らしい名前は、あなたにピッタリじゃないか。
仲良しとは言えないけど、私は知っているんだ。
あなたは、外見はド派手でも、話す言葉は柔らかいってことを。
目立つことばかりするけど、人の迷惑になるようなことはしていないってことも。
笑ったときの目がとっても優しいってことも。
だから、考えるより早く、こう返していた。

「すごく似合ってるよ」

彼女はパッと顔を上げて私を見た。

「ほんと?」
「うん。K子~って感じする」
「そうかな」
「うん」

彼女は「初めて言われた」と言ってまた下を向き、「嬉しい」と何度も繰り返した。
私はただ、自分の中では当然になっていた、秘密でも内緒でもなんでもないことを伝えただけなのに、彼女がそれを知ったことには意味があったのだろう。
彼女のはにかんでいる姿が、とても嬉しかった。
努力も苦労も勇気もいらなかったのに、私はこの子を笑顔にできた
私は、この子にとって「いいこと」をしたのかもしれないと思えた。

なお、それを機に彼女との仲が急上昇、といった漫画みたいなことは起こらない。
私たちはそれまで通りの距離感を保ったまま、卒業の日を迎えた。
廊下に一列に並び、いよいよ学校を去る直前、列を離れてあっちへこっちへ別れの挨拶をして回っていた彼女が、私のところにもやって来た。
「ありがとうね」
満面の笑顔だった。
それだけで十分だった。

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友達の言葉 -07

気持ちが不安定になる年頃ってのがあるんだろう。
グラグラしていて、過敏で、脆くて、何かが変なのだ。どうもおかしい。けどどうにもできない。
その頃のことで真っ先に思い出すのは、自分がそういう状態になったという事実だ。感じたツラさではない。原因に至っては、「なんでそうなったんだっけ?」と考えてようやく思い出す。
つまり、そういうことなんだと思う。若き日の私は、冷静な心や大人の目で顧みれば、何てこたぁない大したこっちゃないことで、とことん墜ちたのだ。

具体的にどういう状態になっていたかと言うと、死んでしまいたくなっていた
高校3年生の秋である。
進路を決めなければならない時期で。でも私は何にも興味がなくて。
何にもないのに「何か出せ」「何か選べ」と迫られ続ける日々は、ただただツラかった。
今なら外野の追い立てなどスルー一択だが、当時の私はまだ若かったし今よりは素直でもあったので、それができなんだ。
それゆえ、ツラさは劣等感へと変わっていったのだと思う。
「自分には何もない」「存在価値がない」「生きていても仕方がない」と。

その日の夕方、私は自室のベッドで体育座りをしていた。
「私なんかいらない」「もう死んでしまおう」
そう決めて涙を流していたとき、階下から親が「あなた宛ての電話だから2階で取って」と言ってきた。
部活以外で顔を合わせることのない同期の男友達からのようだった。
先に言っておくが、恋愛要素は一切無い。
私はさすがに驚いて、子機を自室に持ち込んだ。
「どうしたの?」そう訊くと、彼は「用事があるわけじゃないんだけど」と答え、こう言った。

「どうしてるかなって、ふと思ったんだ」

瞬時に、ボロボロと涙が溢れた。
どうって、今、私は死のうって思って・・・そんなときにあなたは、ふと私のことが頭に浮かんだって言うの・・・?
彼は続ける。
「そしたら、電話をかけてた」
私は涙が止まらない。何も返せない。いや、何もしていないとかぼーっとしてたとか言ったかもしれない。でも覚えていない。
彼は、話題を振ることも詮索することもせず、「声が聞けて安心した」と笑ったあと、「また部活で」と言って電話を切った。

このタイミングで。こんなタイミングで。こんなことがあるのか。こんなことがあっていいのか。嘘のようだ。嘘のようだ。
私は電話を切ったあとで、声を漏らして泣いた。

今でも、何の力が働いたのかと不思議でならない。
私のこれまでの人生の中で、最も奇跡に近い出来事だったと言える。
この電話がなかったら、私は突発的に取り返しのつかない行動に出ていてもおかしくはなかった。
にもかかわらず、たった一言で救われてしまった
「自分なんか必要ない」? 「生きてたって意味ない」?
何を言う。
私のことをふと思い浮かべてくれる人がいるじゃないか。
私の声を聞くためだけに電話を掛けてくれる人がいるじゃないか。
親兄弟や親戚と違って、私の存在を気に掛けることが〝当然ではない人〟が私のことを気にしてくれたという現実は、その時の私にとって、とても、とても、とても大きかった。

「あの時助かったんだよ~」なんて話を、彼にしたことはない。
彼からの電話も、それが最初で最後だった。今では居場所さえわからない。
ひょっとしたら彼は、私に電話をしたことも覚えていないのではないかな。
もしそうであるなら、いつあるとも知れない同窓の席で、「そんなことがあったんだよ」と言ってやりたい。
そして酔いに任せて、いっぱい、いっぱい、いっぱい感謝を伝えたい。

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語彙力と彼

文章を書いているときに、口語として耳にすることがまずなかったり、表記として読めない人がいっぱいいそうな言葉が思い浮かんでしまったとき、私はそれを諦めて別の言葉を探すことが多い。
それは私のイメージを的確に表しているのかもしれないが、伝わらないなら意味がないからだ。

実は、私には言葉をあまり知らない友人がいる。
けれど、彼とはネトゲで知り合ったので、皮肉なことに言葉でしかやり取りができない。
となると、合わせるべきは私だ。
彼が読める、彼が理解できる言葉を選びつつ、こちらの事情や思いを伝えていく。
ところが、そうしているつもりでも、ちょいちょい沈黙させてしまうのだ。
読めないんだよね。「え??」と思うような漢字が。
そのうち私が慣れてきて、うっかりそういう言葉を使ってしまったときには、即座に「読み」を打ち込んで補足するようになった。
彼はそれを喜んだ後、こう言うのだ。
「意味もわかんないw」
私はだいぶ鍛えられたと思う。

語彙力は、あるに越したことはないだろう。
けど、難しい言葉をたくさん知っていても、たいして役には立たない。
無論、時と場合によるが、少なくとも彼との付き合いにおいては無意味ですらあった。
その場における語彙力とは、「同レベルで置き換えられる言葉をどれだけ知っているか」であったと言えよう。
ひどいときには、何度置き換えても「わかんないw」と言われてしまうのだから堪らない。
それゆえ、私の語彙が追いつかないことも多々あった。
そういうときは、表現方法を文章に切り替えるのだ。
つまり、辞書における単語の説明文、あれに倣う。
思い込みで誤った知識をつけさせるわけにはいかないから、知っているつもりでいる言葉も念のため調べ直したりしてね・・・。
ほんと、鍛えられたと思う。

そんなこんなで十数年。
とはいえ、私は突然消えたり戻ったり去ったり帰ったりを繰り返しているので実期間はその半分くらいかなと思うけど、それでも、以前は読めなかった漢字を読めるようになっていたり、以前は説明が必要だった言葉が伝わるようになっていたりするから、嬉しくなる。
そして、感動しているのだ。
伝わるってすごいなって。
言ったことがそのまま伝わる。
「ん?」とも思わず、「なんとなく」でもなく、ちゃんと伝わる。
私はそれが欲しかったのだと、ようやく気付いた。

今でも私は、彼が理解できるように言葉を選んでいる。
でも、それにストレスは感じていない。だって、そうすれば伝わるから。
むしろ、表現のレベルを下げても伝えたいことを曲げずにいられる自分の語彙力を楽しんでいると言えるかもしれない。
この楽しみは彼が与えてくれた。
その楽しみで彼も楽しめる。
まさに Win-Win だ。

小難しい言葉は、それを熟知している人間には心地よくさえあるだろう。
だけど、そうでない人はそこで立ち止まってしまう。その言葉を正しく理解している自信がないから。
自慰目的なら、そんなリスクなど気にせず好きに表現すればいい。
けど、伝えたいのなら、伝わる工夫をするべきだ。
そんな言葉を知っているくらいだ、語彙力がないとは言わせない。
それでもあえてハイレベルな表現を選ぶとしたら、それはただのエゴである。

ところで、いま私はまたしても彼をボッチにさせてしまっている。
他のことに嵌まってしまって・・・複数同時に嵌まれないんだよ! 不器用なんだよ!
いつものことだけど、いつもごめん。
けど、彼はおそらくそれを許容してくれているのだ。
私が「これが彼なんだ」と思ってきたように、それが私なんだと。
だからお互い様だよねと。

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創作と評価

実は、ほんのちょっこし創作の世界に足を突っ込んでいる。
好きがあふれて、かつ供給では満足できなくて、100%自分のために始めた。
にもかかわらず、人ってのはどうしてこう、他人の評価を気にしてしまうのだろうね?
わかっちゃいるんだよ。
なぜなら、そこに評価があるからだ。
評価されてしまうから、気になってしまう。
そんじゃ見えなくしちまえばいいじゃねえのよ。そういう機能もあるだろ。
いやいや、見えなくしても、なくなりはしないじゃん?
あるものは気になる。
そういうことだ。

ここに至って、思い知るよね。
私は自分を弱い人間だとは思っていないが、気にしているという時点で負け組なんだろうなぁって。
誰かとの勝ち負けってことではなく、自己評価が下がって「自分なんか」と思い詰めてしまうってこと。
単なる数字なのに
弱くはないはずの私でさえ、心がざわつくんだよ。

数ってのは怖いもんで、多い方が「より良い」と錯覚させる。
けど、そうかと思うと、いくら多くたってまるで役に立たないことだってあるんだ。
署名とかデモとかさ。
どんだけ集まったって、見向きもされずに無駄になったりする。
こっちは、こんなちっこい数字に怯えてるってのにさ。
数って何なんだろうな?

まあ、とはいえ私の結論は、「気にしない」だ。
だって、私は私のために活動しているのだから、人の評価とかどうでもいいんだよ。
出し惜しむようなもんでもないから晒しているんであって、評価が欲しいわけじゃない。
スタンスは、そう。
で、興味をもってくれた人たちによって評価が増えていくじゃんね?
で、その数を見るじゃんよ。
気になるじゃんか・・・。
そうして、「前のは良かったのに、今回は全然だった」って思うようになっていくんだよ。
他者と比較することがないだけ私はマシなんだろうが、相手が自分だろうと、比べていることを自覚するたびに「青いなぁ」と思わずにはいられない。
悟りを開きたい・・・。

結論。
創作を続けていられる人は、強い人
とりわけ、低評価で長く続けている人は、べらぼうに強い人。
作品よりもその人をリスペクトしたい。

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弱い人

自分から縁を切った人が、一人だけいる。
仲が悪かったわけじゃない。彼女の良いところもたくさん知っている。
一緒にいて楽しかったし、随分笑い合った。
彼女は作業の手を抜くことはなかったし、新しいことを覚えるのも早かった。
また、彼女は料理が得意で、その知識には何度も助けられた。

私と彼女は仕事仲間だった。
同じ業務を曜日で担当していたため、普段顔を合せることはない。
ただ、締め日だけは机を並べて働く。会うのはその時だけだ。
私はその日が好きだった。
毎回、当月におけるお互いのしょうもないミスを指摘し合って、どうしてこんな阿呆ができたのかと腹筋も顔筋も限界まで酷使するのが愉快でならなかった。

けれど、彼女は無理をしていたのかもしれない。
あるいは、途中から何かが変わってしまったのだろう。

あるとき、彼女から電話がかかってきた。
「明日代わってもらえないかな」
体調が悪いと言っていたような気がする。
これといって思うことはない、代われるのだから代わってやる。
ところが、そう日の経たないうちにまた電話がくる。
「明日代わってもらえないかな」
やはり具合が悪いと言っていたように思う。
私は、代われるから、代わる。
この時の私の心境は、正直に言えば「また?」だ。
体調を心配したりはしなかった。
だって私は優しくないから。
ところが、次の電話は「明日代わって」ではなかった。
「しばらく代わってもらえないかな」
通院だの入院だの言っていた気がする。さすがに驚いてあれこれ訊いたはずだが、具体的な理由はまったく覚えていない。
「しばらく」がどのくらいなのかも曖昧なままだったと記憶している。
そうしてその後、彼女は音信不通になった。

どのくらいの間そうだったか・・・。
私は出勤日数が倍になり、収入が扶養控除の枠を超えてしまうことが気になり始めていた。
上司に、事あるごとに「どうなっていますか」と問うが、なしのつぶてだと返される。
そんな折、彼女は突然戻って来た。

締め日、彼女は以前と何も変わらない様子で、「ごめんね~」と仕事を始めた。
健康面のことに首を突っ込むのもどうかと思ったので、
「具合が悪かったんだろうけど、仕事なんだし、連絡はしたほうがいいよ」
と言うと、「うん、そうだよね」と返された。
それで「元通り」にされる。
釈然としないものがあった。

が、「元通り」も束の間。
休日にくつろいでいると、職場から電話がかかってきた。
「彼女が来ない。今すぐ来れないか」
無断欠勤だ。
私は急遽出勤した。
その日の夜、彼女から電話がかかってくる。
「ごめんね。母親の具合が悪くて」
「連絡くらいはできるでしょう」
「ごめんね」
彼女は、ただ「ごめんね」を繰り返す。
うんざりして、一言でも「いいよ」と言うと、途端に別の話が始まって辟易とした。
「休むなとは言わないけど、連絡だけはちゃんとして」
「うん。そうだよね」
もう、悪い予感しかしない。

私は、休みの日でも、職場から電話が来るのではないかと落ち着けなくなっていた。
そうして、思った通り電話は鳴るのだ。
次の休みにも、その次の休みにも。
その間も、夜になればまた彼女から電話がかかってきた。
最初のうちは取ったと思う。
彼女はとにかく謝って、「迷惑かけてごめんね」「もうしないから」「友達でいて欲しい」「仲よくして欲しい」と言う。
けれど、舌の根の乾かぬうちにまた同じ事が起こる。
何度耐えたか忘れたが、ついに私は、夜の電話を取らなくなった。

ある夜、いつもより早い時間に帰宅していた旦那が、電話に出てしまった。
当然ながら私に継ごうとする。
私は、「出ない」と言った。
旦那は驚いたが、継がずに対応してくれた。
彼女とどういうやり取りをしたのか、詳しいことは聞いていない。
だから、何が決め手になったのかはわからない。
ただ、それ以降、彼女からの電話はなくなった。

職場も、彼女をクビにした。
まあ、そうだよなと思う。
彼女とはそれっきりだ。

ひょっとしたら、彼女は何らかの助けを求めていたのかもしれない。
だが、それは発信されなかった。
発信されないSOSなど、私は拾わない
発信できないやむを得ない理由があるならアンテナも張ろうが、そうでないなら捨て置く。
何も、私は「助けてやらない」と言っているわけではない。
助けが必要なら求めろと言っているのだ。
例え何らかのハンデがあっても、頑張って自尊心を高めている人たちがたくさんいるということを私は知っている。
頼まれもしないのに手助けをするのは、エゴじゃないのか。
だから私は助けない。
求められるまでは。

「あんたは強いから、弱い人の気持ちがわからないのよ」
むかし、母親にそう言われたことがある。
確かに、気持ちはわからない。
とりわけ、私にはできないことを、時により平然とやってのける心理は全くわからない。
「弱い人」は、自分を護るために、他者の心を傷付けることがある。
傷付ける勇気はあっても、SOSを出す勇気はない?
そんな気持ち、わかるはずがない。

私には、SOSも出せない相手に「友達でいて欲しい」と伝える気持ちもわからない。
「仲よくして欲しい」と思う相手を繰り返し傷付けてしまえる心理もわからない。
言うなれば「弱い」がわからない。
だって、こんなにも強いじゃないか。

私は、彼女と縁を切ったことを後悔はしていない。
ただ、そうなってしまったことは、今でも残念に思っている。
何を抱えていたにせよ、一緒に笑い合った彼女は、本物だったと思うので。

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社長夫人【毒】

絶対に言わないと決めている言葉がある。
かつて私が言われて、大呆れしたからだ。
それを言われたのは、大学1年のとき。パン屋でのバイト中だった。
誰に言われたのか。
社長夫人に。
なんと言われたのか。

「私を誰だと思っているの?」

ははは。いやほんとに。
何があったのかと言うと・・・いや、詳細は省く。
ただ、店の方針にも、運営にも、衛生にも、心情にも害となる行為であったということだけは言っておく。
私はそれなりに長く勤めていたので、オープンからクローズまでの全作業を知っていたし、ここがどんな仕組みで回っている店なのかもある程度わかっていたんで、すごいストレスだったなぁ・・・。

社長夫人は、ある日突然店に現れるようになったのだ。
一言で言うなら、有閑マダム。まんまそれだ。
お店のこと、商品のこと、アルバイトのこと、どれもこれもなーんにも勉強しないでやってきてな・・・。
私は、漫画や小説に出てくる「いくらなんでもいないよこんな人」ってキャラが、実際にいるということを学んだ。

その奥様があまりにも横暴を重ねるので、私は正義感というより腹立たしさから、ある日「やめてください」と言ったのね。
そうしたら、うふふおほほな微笑みを一転させて、「私を誰だと思っているの?」と睨み付けてきてさ・・・。
私は、こんな恥ずかしい人を見たのは初めてで、真面目に「誰なんだよおまえは」と思ったもんだ。

これが社長だったらまだわかるんだよ。
経営者だし、「何か試そうとしてるのかな」って思える。
けど奥様は違う。奥様は遊んでいるだけだ。
店長の留守に好き勝手しているだけ。
学生だからって馬鹿にすんなよ。それなりに責任感もって仕事してんだ。
知識だってあんたよりゃあるし、職場に貢献しているという自負だってある。
突然やって来たおばさんが社長夫人だろうが客だろうが、店の秩序を壊すようなことをしていいはずがないというモラルだってあるんだ。

私は昔から物言う性格だったから、それこそ自分がバイトだとかも関係なく、真っ向大喧嘩をした。
終いには「文句があるなら辞めてもらって結構よ」などと言うので、「じゃあ辞めます」と即答した。
「そういうことになりましたんで」と、事が起こったとき店にいなかった店長に電話で伝えたら、大慌てで「待って! 一日待って!」と言われてなぁ。
店長は社長の弟だったんだけど、社長宅に乗り込んで、
「うちの大事なバイトになんてこと言ってくれたんだ」
「朝から夜まで仕事を任せられる子を育てるのがどれだけ大変だと思ってる」
「もう二度と来てくれるな」
と啖呵切ってきたらしい。カッコイイぞ!!
「だからお願いします、辞めないで!」と言われたけど・・・私も啖呵切っちゃててな・・・。
なので、「すでに出てるシフトは全部働きます」「それで辞めます」と返した。
結局、店長は「あなたは意志の強い子だから」「できているシフト分だけでも残ってくれてありがとう」と言ってくれてね・・・とても紳士的だった。嬉しかったなぁ。
一番の被害者は店長だと思う。可哀想に・・・。

しかし、あのおば様は本当に何者だったのだろう。
「私を誰だと思っているの」?
社長夫人だとでも言いたかったのかい?
社長夫人ってのは、虎の威を借る狐という諺を知らない人でもなれるのか。 意外とハードル低いんだね。

というわけで、私はどのような状況であっても、たとえ心底そう思う事情があったとしても、このセリフだけは絶対に口にしないと心に決めている。
とはいえ、冗談で言うことはあるけどな。
「おぬし、私を誰だと思っておる」
と、主に息子に対して。
しかし、その後に続く言葉は大抵自虐だ。
「私に地図が読めるわけなかろう」
という具合に。
あの女も、どうせならそのくらいのことを付け足してくれたらよかったのだ。
「私を誰だと思っているの? 私にモラルがあるわけないじゃない」
一転、感心したかもしれん。

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スペクトラム【毒】

スペクトラムという考え方(「連続している」という考え方)は、発達障害について学んでいるときに知ったんだが、最近はテレビなどでもよく耳にするようになった。
直近では、織田裕二がMCをつとめる『ヒューマニエンス 40億年のたくらみ – NHK』という番組で取り上げられているのを見たな。
それによると、今ではなんと性別でさえスペクトラムであるということがわかってきているのだそうだ。衝撃的!!
何が衝撃って、物理的にスペクトラムってことなんだよ。
男か女か、「心はともかく、身体はどっちかだろう」って思うじゃない?
それが、そうじゃないって言うんだから驚くでしょ。

つまりさ、身体でさえ「100%男」「100%女」てわけじゃないのに、性格だの特性だのが「普通」と「異常」の二択であるわけがないよな。
発達障害も、セクシャルマイノリティも、「100%正常」とのグラデーションなんであって、どこからがどうだとか明確に線引きできるものじゃないってことだよ。

ちなみに、発達障害だと「グレーゾーン」てのがある。
「ちょっと変わってる」とか「個性」で済まそうと思えば済ませられちゃうレベルだから、そのあたりの位置にいる人は、発達障害というレッテルを貼るのか貼らないのかということで悩んだりする。
あえてレッテルと書いたのは、世間の受け止めがそうだからだよ。そんな国だからな、この国は。
だけどおまえら、言ったら全員「100%健常者」ってわけじゃないからな?
スペクトラムなんだぜ? その度合いが濃いか薄いかの差でしかない。
自分は真っ白だと思い込んで、黒っぽいのを差別するとか、何様だよ?
あんたは実はグレーなのかもしれないんだよ?
というかそもそも、なんで白が偉いことになってんだよ?

多様性ってのはさ、生物として考えたときには、種の存続に欠かせない「強み」なんだよ。本来。
セクマイだってそうかもしれない。
将来的には「男」を作るY染色体が消滅すると言われている中で、いわゆる「普通」だけを尊重することが人類にとってプラスであるとは考えにくい
個人間での好き嫌いは勝手にしたらいいけど、社会としては、その「普通」って分類をとっとと取っ払ったほうがいいんじゃないですかね?

最近私は、なぜかそういった話題を目にする機会が多く、ヘテロとかフォビアとかポリアモリーなんて言葉を知るに至ったんだが、実に興味深いよ。
「私にもそういう要素あるな」「ひょっとして私それか?」って思わされるもの。
でも、そりゃそうだよなあ。スペクトラムなんだから。

ひとりひとりが自分のことをもっと深く知れば、世間にはびこる差別意識は大きく変わってくるんじゃないかしらん?
などと思う今日この頃です。

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「神対応」という言葉がある。
なんとなく理解はしているが、実際どんなもんなのかと一応調べたら、「神様のような対応」というまんますぎる説明が出てきて笑った。
要は、この上ない対応、最高の対応ってことなんだろうな。
私のような捻くれた人間はすぐにアラを探してしまうから、そういう感想はまず抱かない。
にもかかわらず、私にそれを抱かせた人がいる。
常日頃、誰よりもアラばかり見えてしまう、私の夫だ。

ガラケー時代。
とりわけ強い興味があったわけでも必要性があったわけでもないのだが、私はそこに何かゲームを入れたくて、自宅でひとりアプリを漁っていた。
ネットワーク環境は整っていたが、そこはガラケー、何をしようにも時間が掛かる。
ちょっとの情報を見るのにも十数秒は待たされて、こういうんじゃないんだよなぁ、と前の画面に戻るのに数秒、探すのに十数秒、詳細を表示させるのに十数秒、これも違うなぁ、という繰り返しで、時間は際限なく流れていった。
当時の私がどういう立場だったのかは覚えていない。
ベッドに寝転んでそんな作業に時間をつぎ込むくらいだから、乳飲み子がいたとは思えない。うつ伏せになっていたから妊娠中でもない。日中だったので週5でアルバイトをしていた頃でもない。となると、ほぼ時期は絞られてくるが。
当時のうちの経済状況は決して芳しいものではなかった。むしろギリギリだったと言っていい。
ゆえに、生活はこれ以上節約しようもないほど質素。
でもそれを苦と思ったことはなく、なんとかなってるんだからまあいっか、くらいの楽観的な人生観だった。
だからその日もベッドなんぞでゴロゴロしておったわけだ。
途中、寝たりなんかしてね。
まあ、世間知らずだったんだよ。言い訳だけどさ。

届いた請求書を開けたのは、私だったか夫だったか・・・。
当時の契約は、使っただけ支払う上限無しのプラン。
私はそれをよく理解していなかった。
それゆえ文字通り絶句。
夫からは当然のことを訊かれる。
「何をしたの?」
私は思い当たることを告白した。
すると、返されたのはたった一言だった。

「勉強代だね」

本当に、それだけ。
この件に関して、これ以外のアクションは何一つなされなかった。
それ以上は訊きもしないし、意見も言わない。
責めない。怒らない。諭さない。
態度や目線で何かしらを表すようなこともしない。
今に至るまで掘り返したこともない。
本当にその一言だけで、完全に終わりにされてしまったのだ。

そんなはずはない、と私は思う。
こんな額だよ、そんなはずはない。
なんでそんな対応ができるんだ? なぜ私は責められない?
どうしてそんなに私を信用できるんだ?

そうだ。私は、怖いほどの信用を感じたのだ。
責めずとも反省している、繰り返すほどバカじゃない、そう思われている。
何を言われるより、どれだけ罵倒されるより、はるかに効果的だった。
それは、何事にも反論してしまう私の性格を考慮しての判断だったのかもしれない。
けど、それにしたって根っこにあるのは信用だ。
あえて何も言わずに自分で考えさせるのがいい、こいつならできると。
私はこの人に知り尽くされており、その上で信用されている・・・。
私にとってはこの上ない、まさに「神対応」だったと思う。

旦那は仕事こそ真面目にこなすが、家ではダラダラしていて自室もぐちゃぐちゃ、体重は増える一方だし、息子にはガミガミとうるさい。
ダメなところや嫌なところばかり目についてうざったく思うのが常だ。
けど、私は信用されている。
私はこの人に信用されている
それだけで私は頑張れる。頑張ろうと思える。
たとえ袖がくりくりになったままのシャツが洗濯かごに入れられていたとしても。
推しのシーンで話しかけられてマジギレしたとしても。
丸一日会話がなかったとしても。
私は当時に立ち戻る。
そこが支えになる。

番うってすごい!
結婚願望などなかった私にそう思わせた夫もすごい!

それでも、来世は独身でいたいけどな。

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秘密

若いも若い、中学生時代のことだが。
連載中の少年漫画に、ものすごく好きなキャラがいた。
主役じゃなかったし早々に死んでしまったので、たまに回想シーンなんかで登場するとそりゃあ嬉しくて、そのほんの数コマのためにコミックスを買うなどしていたんだが、あるとき、そのキャラのスピンオフ漫画が読み切りで掲載されることになったのだ。
その時の私の歓喜!
小遣いに余裕があったなら保管のために数冊は買っただろうけどそれは叶わず、それでも1冊は手に入れられたから、毎日眺めては大事にしまい眺めては大事にしまい、それはそれは大切にしていたのよ。
そのキャラが死んでしまってから結構な時間が経ち、本編での登場頻度も激減していただけに、「主役」として描かれた影響はかなりでかくて、当時の私はその読み切りに病的に嵌ってしまっていたように思う。
グッズが豊富な現代と違って、いわゆる「推し」を感じられるものなんて、紙媒体くらいしかない時代だ。
雑誌は誌面も大きいし、この読み切りは表紙絵がカラーの見開きでもあった。
学校から帰ったら真っ先に取り出して愛でるというルーチンは、異常ではあったが害はなく、むしろ私の活力になっていたし、それに浸っている時間はすごく幸せだったので、当時の私にとっては何にも代えがたい宝であったと言える。
無論、そんな姿は誰にも見せていない。

ところがよ。
「お姉ちゃんが漫画を見せてくれない」
ときたもんだ。
バカヤロウ!! これは私の○○(キャラ名)だ!! 漫画が読みたきゃ自分で買え!!
心でそう叫びはするものの当時の私は口には出せず、「嫌だ」「見せたくない」を押し通す作戦で乗り切ろうとしたんだが、この甘タレ妹が面倒なことに父親にチクってくれやがりましてな。
父親も放っときゃいいのに割り込んで来て、ありきたりなことを吐くんだわ。
「漫画くらい見せてやれ」
漫画じゃねえ!! 私の○○(キャラ名)だ!!
とはやはり言えない私は、だんまりを決め込むしかない。
父親は、普段ケチもズルもしない長女が、漫画1冊見せるのを頑なに拒むことが理解できない。まあそりゃそうだろう。
それで、頭ごなしではなかったものの、どうにか「わかった」と言わせようと私を説得し始めた。
正論が並べられていく。
道徳が押しつけられていく。
私はそれを、煮えくり返るような思いで聞いていたことを覚えている。

普段そういう態度をとらない人間がいつもと違う拘りを見せているときに、ど正論をぶつけて何になる。
そんなことは言われなくてもわかっている。
わかっていてもそうはできない何かがあるから、そういう態度をとっているのだ。
私の父親は、どうしてそうは思わなかったのだろう。
私が理由を言わなかったから?
言わなかったのは、言いたくなかったからだ。
言いたくない理由があるのだと、どうしてわかってくれなかったのだろう。
何故、考慮してくれなかったのだろう。
言えない理由に価値はないの?
人に言いたくないことや、こっそり大事にしているもの、自分だけの楽しみは、尊重してもらえないの?
道徳を貫くためなら、秘密は暴かれ、踏み荒らされても仕方がないの?
心を壊しても?

この事件の結末は、実は覚えていない。
あまりに腹が立ち、あまりに辛く、あまりに悲しく、段々と頭の中が真っ白になっていったことは覚えているが、その先の記憶がないのだ。
私の性格上、嫌だと思ったことを曲げることはまずないのでおそらく死守したんだと思うが、今となってはそれを死守できたかどうかはさほど問題ではなく、このような目に遭ったということのほうがはるかに重大だ。

お陰で私は、「誰にだって守りたいことくらいあるよな」と思うようになった。
それが素晴らしいかくだらないかの判断は、周りがすることじゃない。
もちろん、全ての秘密が守られるべきとは思っていない。
犯罪や非人道的な行為など、極端に悪質なものは、どんな理由であれ正当化などできない。
だけど、そうでないなら、考慮くらいしてやってもいいのではないか。
正論や道徳は「絶対」なのかね?
水戸黄門の紋所よろしく、翳されて「ははーっ」とひれ伏すべきものなの?
それを押し通すこととその人が傷付いてしまうことを、天秤にかけてやることもできないヤツに説かれる道徳って、なんだろうな?

先日、朝のんびり起きてきた息子の布団を整えようと部屋に入ったとき、退室していた息子がすっ飛んできて、「ちょっと出て。ちょっと出てて」と言った。
「なんで」
「いいから。すぐ済むから」
「だから、なんで」
「いいから出てて」
「何を隠しているんだ」
息子は答えない。
いいとも。何を隠しているかなんて、答えなくてもいい。
私は天秤にかける。
「それはいけないことか? それとも秘密か?」
息子は意外そうな顔をして、少し考えてから答えた。
「・・・いけないこと。秘密ではない」
「そうか。なら反省しろ」
「うん」
息子は枕ごと何かをひっつかんで部屋を出て行った。
反省したかどうかはわからない。
けど、いけないことだと認識したのだから、それでよしとする。
シーツを整えながら、もし息子が「秘密」と答えていたらなんと言ったかなと考える。
「だったらバレないようにやれ」かなぁ。
工夫くらいはしてもらいたいので。

何だって生かすぞ。
本意ではないが、経験したのだしな。

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