私には、めちゃくちゃ絵が上手い友達がいる。
絵が上手いというだけでは説明がつかないかもしれない。
彼女は、十代前半にして、1 枚の画用紙から「長い階段の途中でガラスの靴が片方脱げてしまったシンデレラ」を、下書きもなくハサミで切り出してみせるような子だった。
当時は、私も暇さえあれば絵を描いて遊んでいた頃で、友達に見せて面白がったりしていたのだが、女の子というのは面倒なもので、誰もがお世辞を言ってくれちゃうのだ。
「上手だね」
返す言葉は決まっている。
「そんなことないよ」
それで丸く収まる。
いわゆるお決まりのパターン。崩しちゃいけないやつ。
だけど、それが常套句だとわかってはいても、それでも私は彼女に言わずにはいられなかったのである。
「上手だね」と。
すると彼女はこう答えた。
「ありがとう」
か、
かっけぇーーーー!!
衝撃だった。
褒め言葉を謙遜しないことが、こんなに格好いいとは。
そうだよ、褒めてくれたんだから、喜べばいいんだよ!
喜んでもらえた私のほうが、なぜだかものすごく嬉しくなっている。
もっといっぱい褒めていい!?
つか褒めさせろ!! あんためっちゃ絵うまいんだよ好きだ!!
実に幸せな時間だった。
これを、私も真似できないだろうか。
褒め言葉を喜ぶんじゃなくて、褒めてくれたことを喜ぶのであれば、例え「そんなことないよ」と答えるのが妥当な実力であったとしても、問題ないのでは?
そう自分に言い訳をして、次の機会に「ありがとう」と返してみた。
すごく気分がよかった。
今は Twitter などで自分の絵をお気楽に投げて、ほいほい褒められて、ありがとうございまーす! なんて返すのをよく目にするから、いい時代になったなぁと思う。
ガチな褒め言葉に対して、謙遜じゃなくて感謝を示す絵師さんを見ると、すごく嬉しくなる。
お世辞と謙遜というのはある意味文化で、それが日本らしさでもあるから、「美しい」とされるのもわからなくはないんだけど、そこからは何も生まれないと私は思うんだよね。
「褒めてもらえた」「褒めてよかった」って素直に喜び合うことのほうが美しいし、生産的なんじゃないのかな・・・。
短絡的?
まあ、難しいことはわからない。
ただ、私は幸せでした。
ありがとう!