友達の言葉 -04

私には、めちゃくちゃ絵が上手い友達がいる。
絵が上手いというだけでは説明がつかないかもしれない。
彼女は十代前半の頃から、まっさらな画用紙とハサミ1本で、「長い階段の途中でガラスの靴が片方脱げてしまったシンデレラ」を切り出してみせるような子だった。

当時は、私もふざけた絵を描いて遊んでいた頃で、友達に見せて面白がったりしていたのだが、女の子とは面倒なもので、頼んでもいないお世辞を言ってくれるのだ。
「上手だね」
返す言葉は決まっている。
「そんなことないよ」
そう返せば事なきを得る。
いわゆるお決まりのパターン。崩しちゃいけないやつ。
だけど、それでも私は彼女に言わずにはいられなかったのである。
「すごく上手だね」と。
すると彼女はこう答えた。

「ありがとう」

か、
かっけぇーーーー!!!!
衝撃だった。
褒め言葉を謙遜しないことがこんなに格好いいとは
そうだよ、褒めてくれたんだから、喜べばいいんだよ!
喜んでもらえた私のほうが、なぜだかものすごく嬉しくなっている。
もっといっぱい褒めていい!?
つか褒めさせろ!! あんためっちゃ絵うまいんだよ好きだ!!!
実に幸せな時間だった。

これを、私も真似できないだろうか。
褒め言葉を喜ぶんじゃなくて、褒めてくれたことを喜ぶのであれば、例え「そんなことないよ」と答えるのが妥当と言わざるを得ない実力であったとしても、問題ないのでは?
そう自分に言い訳をして、次の機会に「ありがとう」と返してみた。
すごく気分がよかった。

今はTwitterなどで自分の絵をお気楽に投げて、ほいほい褒められて、ありがとうございまーす! なんて返すのをよく目にするから、いい時代になったなぁと思う。
ガチな褒め言葉に対して、謙遜じゃなくて感謝を示す絵師さんを見ると、すごく嬉しくなる。
お世辞と謙遜というのはある意味文化で、それが日本らしさであり美しいとされるのもわからなくはないんだけど、そこからは何も生まれないと私は思うんだよね。
「褒めてよかった」「褒めてもらえた」って双方が幸せになるほうが、当人たちにとっても、今後の日本にとっても遙かに有益なんじゃないかな。

「今時の子は慎ましさが足りない」?
そんな図太いことを平然と言ってのける人たちの慎ましさとは何か。
そんな人間になる前に、早々と私にその価値観を捨てさせてくれた「ありがとう」の衝撃。
まさに、ありがとう。

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