今朝、Twitterをチェックしていたら、気になる呟きがリツイートされていた。
引用するのもアレなんで要約すると、
「流行り物には手を出すな。君子危うきに近寄らず。隣人を愛せ。それがTwitterを長く楽しむコツである」
といったところか。
1.4万「いいね」されていたので、多くの人が同じように感じているのだろう。
でも、私はそうは思わなかった。
そして今更ながら気付いてしまったのだ。
私はTwitterを長く楽しみたいと思っているわけではないということに。
そもそも、なんでTwitterを始めたかというと、たまたまである。
好きな漫画がアニメ化されることになり、その情報を得たくて検索していたら、引っかかってくるのがツイートばっかりだったのだ。
昔よく見た、熱意あるどなたかが個人で作り上げたファンサイトっぽいものを探していた私には、情報の断片があるかどうかもわからない個人の呟きは邪魔でしかなかったんだが、今はそういう時代なんだよね。
情報はTwitterに公開され、Twitterで広がっていく。
最新情報を得るには、公式アカウントをフォローしなければならない。
それはつまり、Twitterを始めにゃならんってことだ。
かくして私は、やむを得ずデビューした。
アニメの情報を収集する中で、二次創作などを頑張っておられる方々もフォローするなどしてきたが・・・正直、アニメと関係ない呟きや、お互いを持ち上げて褒めちぎるママ友みたいなやり取りに辟易としてきた今日この頃・・・。
そんな中での、冒頭のリツイートである。
私にとってTwitterは情報源だ。
言わば、流行り物に手を出すためにやっている。
従って「流行り物には手を出すな」は、私にとっては根本否定に等しい。
また、素敵なイラストや考察に感心して「いいね」をしたり、「これは!!」と思ったものをリツイートすることはあっても、発言はほとんどしない。
たまに「発言したろか」と思うのは、持論などを述べている人に対する反論だったりするので、「君子危うきに近寄らず」は、実に私らしくない。
それから、私はママ友のような関係性には興味がないので、思ってもいないその場しのぎの慰めや応援などしようとも思わない。
従って「隣人を愛せ」は、不可能。
なるほど、私はTwitterを長く楽しむことはできないようだ。
というか、できなくていいや。
むしろ、できないほうがいいような気もする。
そう思い至った今日は、奇遇にも11日で。
うちにあるスティーブ・ジョブズの日めくりカレンダーも、当然だが11枚目だった。
↑ Do you want to really accomplish it ?
「やりたいことは、本当にこんなことか?」
正直、ギクッとした。
Twitterを始めてからというもの、私は目の前のものに流されるだけの日々を送ってきたように思う。
先を見据えもせず、ただなんとなく生きている、そういう時間を積み重ねてきてしまった。
ぐうの音も出ない。
ついでなので、ジョブズの名言をもう一つ。
Everyone here has the sense that right now is one of those moments when we are influencing the future.
「誰もが、今この瞬間が未来に影響を及ぼす一瞬であることを知っている」
今一度考えねば。
私が欲している情報は、本当に私に必要なものなのか。
Twitterに時間を奪われてでも手に入れる価値のあるものなのか。
Twitterを長く楽しみたいと思っているわけではないということに気付けた今がチャンスだ。考えろ。
以前、フォローしていた字書き様が突然アカウントを消したことがある。
愚かな私はそれを受け入れられずに嘆いたが、今思えば、彼女が正しい。
文才だけではなかったんだな。
感服。