若いも若い、中学生時代のことだが。
連載中の少年漫画に、ものすごく好きなキャラがいた。
主役じゃなかったし早々に死んでしまったので、たまに回想シーンなんかで登場するとそりゃあ嬉しくて、そのほんの数コマのためにコミックスを買うなどしていたんだが、あるとき、そのキャラのスピンオフ漫画が読み切りで掲載されることになったのだ。
その時の私の歓喜!
小遣いに余裕があったなら保管のために数冊は買っただろうけどそれは叶わず、それでも1冊は手に入れられたから、毎日眺めては大事にしまい眺めては大事にしまい、それはそれは大切にしていたのよ。
そのキャラが死んでしまってから結構な時間が経ち、本編での登場頻度も激減していただけに、「主役」として描かれた影響はかなりでかくて、当時の私はその読み切りに病的に嵌ってしまっていたように思う。
グッズが豊富な現代と違って、いわゆる「推し」を感じられるものなんて、紙媒体くらいしかない時代だ。
雑誌は誌面も大きいし、この読み切りは表紙絵がカラーの見開きでもあった。
学校から帰ったら真っ先に取り出して愛でるというルーチンは、異常ではあったが害はなく、むしろ私の活力になっていたし、それに浸っている時間はすごく幸せだったので、当時の私にとっては何にも代えがたい宝であったと言える。
無論、そんな姿は誰にも見せていない。
ところがよ。
「お姉ちゃんが漫画を見せてくれない」
ときたもんだ。
バカヤロウ!! これは私の○○(キャラ名)だ!! 漫画が読みたきゃ自分で買え!!
心でそう叫びはするものの当時の私は口には出せず、「嫌だ」「見せたくない」を押し通す作戦で乗り切ろうとしたんだが、この甘タレ妹が面倒なことに父親にチクってくれやがりましてな。
父親も放っときゃいいのに割り込んで来て、ありきたりなことを吐くんだわ。
「漫画くらい見せてやれ」
漫画じゃねえ!! 私の○○(キャラ名)だ!!
とはやはり言えない私は、だんまりを決め込むしかない。
父親は、普段ケチもズルもしない長女が、漫画1冊見せるのを頑なに拒むことが理解できない。まあそりゃそうだろう。
それで、頭ごなしではなかったものの、どうにか「わかった」と言わせようと私を説得し始めた。
正論が並べられていく。
道徳が押しつけられていく。
私はそれを、煮えくり返るような思いで聞いていたことを覚えている。
普段そういう態度をとらない人間がいつもと違う拘りを見せているときに、ど正論をぶつけて何になる。
そんなことは言われなくてもわかっている。
わかっていてもそうはできない何かがあるから、そういう態度をとっているのだ。
私の父親は、どうしてそうは思わなかったのだろう。
私が理由を言わなかったから?
言わなかったのは、言いたくなかったからだ。
言いたくない理由があるのだと、どうしてわかってくれなかったのだろう。
何故、考慮してくれなかったのだろう。
言えない理由に価値はないの?
人に言いたくないことや、こっそり大事にしているもの、自分だけの楽しみは、尊重してもらえないの?
道徳を貫くためなら、秘密は暴かれ、踏み荒らされても仕方がないの?
心を壊しても?
この事件の結末は、実は覚えていない。
あまりに腹が立ち、あまりに辛く、あまりに悲しく、段々と頭の中が真っ白になっていったことは覚えているが、その先の記憶がないのだ。
私の性格上、嫌だと思ったことを曲げることはまずないのでおそらく死守したんだと思うが、今となってはそれを死守できたかどうかはさほど問題ではなく、このような目に遭ったということのほうがはるかに重大だ。
お陰で私は、「誰にだって守りたいことくらいあるよな」と思うようになった。
それが素晴らしいかくだらないかの判断は、周りがすることじゃない。
もちろん、全ての秘密が守られるべきとは思っていない。
犯罪や非人道的な行為など、極端に悪質なものは、どんな理由であれ正当化などできない。
だけど、そうでないなら、考慮くらいしてやってもいいのではないか。
正論や道徳は「絶対」なのかね?
水戸黄門の紋所よろしく、翳されて「ははーっ」とひれ伏すべきものなの?
それを押し通すこととその人が傷付いてしまうことを、天秤にかけてやることもできないヤツに説かれる道徳って、なんだろうな?
先日、朝のんびり起きてきた息子の布団を整えようと部屋に入ったとき、退室していた息子がすっ飛んできて、「ちょっと出て。ちょっと出てて」と言った。
「なんで」
「いいから。すぐ済むから」
「だから、なんで」
「いいから出てて」
「何を隠しているんだ」
息子は答えない。
いいとも。何を隠しているかなんて、答えなくてもいい。
私は天秤にかける。
「それはいけないことか? それとも秘密か?」
息子は意外そうな顔をして、少し考えてから答えた。
「・・・いけないこと。秘密ではない」
「そうか。なら反省しろ」
「うん」
息子は枕ごと何かをひっつかんで部屋を出て行った。
反省したかどうかはわからない。
けど、いけないことだと認識したのだから、それでよしとする。
シーツを整えながら、もし息子が「秘密」と答えていたらなんと言ったかなと考える。
「だったらバレないようにやれ」かなぁ。
工夫くらいはしてもらいたいので。
何だって生かすぞ。
本意ではないが、経験したのだしな。