仲のいい人と一緒にいても、会話が続かないときがある。
なんか気まずいと思って、無理に話題を振ったりしたことはないだろうか。
あるいは、無理に話題を振られて、碌な返事ができずに逆に気まずい思いをさせられる羽目になったり・・・。
大学生時代に、よく一緒に帰る子がいた。
同じ電車に揺られる1時間弱の時間を、話術に長けているわけでもない私が会話を途切れさせることなく乗り切るのはほぼ不可能だ。
それでも私は頑張ったと思う。
ある程度の期間は、沈黙することなく話をし続けられていたと記憶している。
だが、やはり無理があった。
いつ頃だったか定かではないが、あるとき本当に何にも話すことがなくなってしまった。
気まずい。ものすごく。何か言わなくちゃ。どうしよう。
それで苦し紛れに口に出したのがこれだ。
「沈黙しちゃったね」
そう言われて花咲く話題とは何か。
言ったほうも言われたほうも、苦笑いして更なる沈黙に甘んじるしかないセリフだ。
ところが、私の友達は違った。
表情を一切変えることなく、さも当然という体で、こう言った。
「沈黙が気になるのは、本当の友達じゃない」
え?
それは私が本当の友達じゃないということ?
いや、そうではない。
「私は沈黙など気にならない」と言ったのだ。
こんなラブコール(違う)が他にあるか!?
私は感動して語彙が死に、「そうだね」と答えることしかできなかったが、おそらくそれでよかったのだろう。
それ以降、私とその子の帰路は、話すときは話し、なんとなく黙ればそのまま沈黙し、気が向いたらまた話す、というとても自然な時間になった。
ストレスフリー!
私はますますその子が好きになった。
それを言われて以降、私は他の友達に対してもその言葉を思い出し、それを支えに沈黙を気にせず生きられるようになったので、あれは本当に救いの一言であったと言える。
正に名言!
なお、その名言は今も別の形で役立っている。
一緒にいるときの沈黙に止まらず、離れているときの沈黙にも適用されているのだ。つまり、無理に繋がろうと思わない。
隙間なく絶えず繋がっている必要なんかないと思うのだ。
そうしたいと思ったときに、そうしたいと思う間だけ繋がれればそれでいい。
もっと言うと、相手にもそうであって欲しいとさえ思う。
だから私はLINEはやらない。
不便はないし不満もない。当然寂しくもない。
だって平気だもの。
その分、時間も有効活用できるし、友達に対して少なからず感じてしまうであろう「嫌」だとか「気まずい」だとかを感じずに済むのもありがたい。
自分の「好き」を大事にできるこの生活が、私は気に入っている。
私の人生をプラスに導いてくれた名言に、感謝。