歯科矯正 -06 マウスピース編(7/52個目)

本格的にマウスピース矯正が始まっておよそ2ヶ月。
明日からは7個目のマウスピースに突入するというタイミングで、定期検診の予約を入れた。
定期検診は、1.5~2ヶ月ごとに行い、その度に5000円+税の支払いが発生する。
この額は、昔旦那が歯科矯正をしていた頃と同額なので、そういう決まりでもあるのかな?

医者は、私に会うなり「抜歯の際は失礼しました」と言った。
え、まだそれ引きずるの?と驚いたが、昨年において最も大変な出来事だったらしい。
ということはすなわち、できたてのこの歯科医院にとって、最悪の出来事だったということだ。
よ、喜ぶべき・・・?

マウスピースをはずすと、まずは助手がクリーニングをしてくれた。
ほうほう、定期検診の度に、クリーニングをしてもらえるのか。
お掃除だけではなく、色素汚れも磨いてくれている。
ありがたや・・・。
マウスピースをしている間は水しか摂取していないし、マウスピースで覆われているから色素汚れなんて、と思ったが、使用済みマウスピースが新品マウスピースと比べて色味があることを思えば、同じだけ歯も染められているんだろうなと想像が付いた。
大事だな・・・定期検診。

肝心の矯正の進み具合は、バッチリだった。
いつものシミュレーション画像を今回も見る。
「始める前はこれで・・・今はこれです」
おお、だいぶ違うじゃないか!
やはり成果が目に見えるほうがやりがいがある。
「次に来てもらうのは11枚目あたりなので・・・ここまで変わります」
おお・・・すごいなシミュレーション。

こんな感じで定期的に通うということになるらしいが、多少動き方にズレが出てくることもあると言う。
なので、17~18枚目あたりで再度歯形をとって、必要であればその先のマウスピースを作り直すことになるらしい。
えええ・・・じゃあ、今ある52枚目までのマウスピースは、ゴミになっちゃうの?
もったいねぇ・・・。
かといって誰も使えねー。

というわけで、次は5月あたり。
ちなみに、今一番大変なのは、食べること
もっと噛んで食べたいのに、挟まって気持ち悪いのと噛み合わせが悪くてちっとも噛めないのとで、飲み込んでばかりいる。
従って全然味わえない。
これはいつ頃解消されるのか・・・。
緊急事態宣言が解除されたって、この事態が解消されないうちは私は外食できそうにないな、と思う。

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発達障害 -12 中学校

息子は、小学5年生の途中で通級を終わりにしてから療育や支援を受けることはなくなり、2021年春には高校生になる。
とはいえ、中学時代に何も問題がなかったわけではない。
些細なことではあるが、参考までに書いておこうと思う。

まず、彼は新品のジャージの膝を、身に着けた初日に破いた
どれだけはしゃいでいたのか、どうやら膝スライディングをしたらしい。
どのような状況だったのかはさっぱりわからない。
ただ、やりかねないと思ったし、やっても不思議ではないというか、そうきたかという感じで、しかしながら怒りもあったので、この破れたジャージを3年間着なさいと言い、本当にそうした。

次に、彼は夏の制服の膝を、衣替えをした直後に破いた
笑うしかない。おまえはジャージで散々叱られたのにまだ破り足りないのか。
「裁縫=ボタン付けor靴下の穴塞ぎ」である私に、膝の穴を覆い隠すなどという高度な補修ができるはずもない。
苦労の末、膝は漫画のような見事なツギハギに仕上がった。
ふと気になって冬の制服の膝を確認すると、テカテカになっている。
なるほど、冬服のほうが生地が厚い分、丈夫なんだなと感心した。
いやちがう、ジャージで怒られて数ヶ月は反省できていたのかと思ったがそうではなく、たまたま破れなかっただけで彼の行動は変わっていなかったということにガックリした。
おのれ小僧、このツギハギ制服も3年間着てもらうからな。
で、本当にそうした。

膝は破り足りたのか、次に狙われたのはボタンだ。
最初は「もともと縫い付けが甘かったのかもしれない」と渋々付け直しをしていたのだが、しっかりと縫い付けたにもかかわらず数日後にまた取れ、縫い直しても今度は2個いっぺんに取れたり、果ては3個全部が取れてしまったりして、これは違うぞと気が付いた。
何をしているのかは本人に自覚がないためわからない。
しかし、何かをしていることは間違いない。
付き合いきれず「自分で付けろ!」と言い放ち、自分で付け直させた。
息子が家庭科でボタン付けを習ったことは知っている。
ものすごく不器用で、なんじゃそりゃな出来だが、構うものか。
自分でしでかしたことは自分で尻拭いしてもらわねば。
その後、ボタン全部取れちゃう事件は何度か繰り返された。
自分で付け直すという手間がかかるとわかっているのにやっちゃうのだから、どうしようもない。
出来は相変わらず酷いが、縫い付けるスピードはだいぶ速くなった。
学習してほしかったのはボタン付けではないんだがな・・・。

目に見えて身長が伸び始めた頃、「靴が痛いんだよね」と訴えてきた。
「今はかかと踏んでる」などと言う。
感覚が鈍いのか、昔から靴のサイズが小さくなってもちっとも報告しない子だったので、私がマメに気に掛けるようにしてはいたのがだ、今回はこんな早期に、しかも自分から言ってきたなと思ったら・・・
「うわ!!」
靴擦れなんてもんじゃない、靴剥けとでも言おうか、真皮までいっちゃっている。
こんなの痛いに決まっている。
こんなになるまで何も言わないのが何故なのかはわからない。
そこまで痛みに鈍いのか、気にならないのか、面倒なのか・・・。
靴は即刻買い直し、靴剥けにはキズパワーパッドを貼ってやった。
「これすげえ! 痛くない!」
とキズパワーパッドを絶賛し、普通に靴を履けることを喜んでいる。
いやちがう、これがあれば大丈夫なんじゃない、こういう事態にならんようにしてもらいたいんだ・・・。

洗いに出されていたズボンの膝に結構な血が付いていたことがある。
「あんた怪我してない?」と訊くと、何やらごにょごにょ言って誤魔化している。
とっつかまえて膝を見ると、
「うわ!!」
またしても強烈な怪我が、洗い流されもしないまま、ドロを巻き込んでぐじゅぐじゅになっていた。
言いたいことしかない。
しかし、洗うことも処置することも報告することもせず隠し通そうとしていたのだから、どこから指摘したらいいのかわからない。
私が何事もギャンギャン言うから、これを言ったら怒られるとでも思ったのだろう。
この子には、今今の自分にとって楽な道を選ぶという習性がある。
あとで痛い目を見るとわかっていてもそうしてしまうのは、先のことを想像する力が弱いという発達障害の特性ゆえなのかもしれないが、「じゃあ仕方がない」というわけにもいかない。
「傷、ましてやこんな汚れた傷をそのままにしておくなんて、場合によっては命に関わる」と言って聞かせた。
食い込んでしまっているドロを取り除き、消毒をして、という作業に息子が悲鳴を上げる度、「怪我した直後にやっていればこんなことにはなっていない」と言ってやる。
その後も、痛がる度に、「酷い状態で放置していたからだ」としつこく言った。
学習できたかどうかはわからない。
手応えはないが、繰り返していくしかないのかなと思う。

中学時代に起きたあれこれは、個人的なことに止まらない。
中学校という新しい場所でのきまりごとを理解できていなかったために起こったこともある。
定期テストだ。
模試や受験という似たような状況を経験してきているのだからわかりそうなものだったが、大きく違う要素がある。
周りにいるのがクラスメイトだということだ。
だから彼は、テスト中に隣の席の子に話しかけてしまった
これが試験官に見つかり不正行為として学校に報告され、私をも巻き込んだ事件へと発展。
数日にわたる謹慎処分のあと、校長や生活指導の先生たちから親子揃って説教をされ、もうしませんと誓約書にサインまでさせられた。
不正行為というか、知らなかっただけなんだけどなぁ、と私は思った。
定期テストなんて初めて受けるのだから、決まり事とか最初に教えてくれたらよかったじゃん?
知っていて当然と思うのかな? でもなんで当然? 誰か教えた?
教わりもしないものを、空気読んで悟ったりしないよ?
不正行為としてこんなにも厳しく取り締まらなければならない大事なことなら、なんで最初に説明してくれなかったのだろう。
配慮が足りねぇんだわ。
「申し訳ございませんでした」と書かされたけど、私はそうは思っていない。
教えていなかったそちらこそ悪い。

なお、息子はいじめのない学校生活を目指して中学受験を頑張ったわけだが、いじめというほどではなくても、嫌がらせやちょっかいはちょいちょいあるようだ。
ちょっと変わっているというのはどうしても標的になりやすい
しかしそれも嫌だと言うので、私はこう言った。
「ちょっかい出すのが虚しいと思えるほど、高みに行けばいい」
中途半端に手の届く位置にいるから、邪魔したり意地悪したりして困らせてやろうと思われるのだ。おまえは、そいつが足元にも及ばないくらい上の人になってしまえ。相手にしてらんないんだけど? と見下してやれ。デキるヤツは一目置かれるから、周りも先生もおまえの味方になる。おまえにちょっかい出すのは分が悪いと思わせてやれ。
ゆえに(かどうかはわからないが)息子は勉強を頑張り、上位の成績をキープし続け、いわゆる「デキる子」として周囲に認識されるようになった。
おかげさまで(かどうかはわからないが)ちょっかいはその後静まっていたが、その頃には仲の良い友達(のグループ)ができていて、息子の関心は徐々にそちらへ移行。
そうすると成績が下がってくるわけだが、もはや自分を孤高にしなくても仲間がいるので、不安はない。
たとえ嫌がらせを受けたとしても、彼らが味方になってくれる。
ちなみに、一度付いた「デキる子」というイメージは成績が下がっても失われず、試験の度に本物のデキる子にライバル視されたり、個別面談の度に先生に「もっとできるだろう」と言われたりすることになるのだが、本人は全く気にしなかった。
楽しく過ごせりゃそれでいいのだろう。
異論はない。

中学校生活は、だいたいそんな感じで過ぎていった。
なお、彼が中学生になって一番始めに特性を発揮したのは、バスだった。
バス通学の彼は、乗車する区間のバスアナウンスを宣伝の電話番号に至るまですべて暗記した。
まだ入学して間もない頃のことだ。
興味を持つということが彼のスイッチで、それが入ったときに彼がみせる業は、到底凡人では成し得ない。
将来何かすげーことに興味を持ってくれたら面白いことになるんじゃないか!? と、つい思ってしまうが、今のところそんな気配は全くない。
最近では歌のメロディーと歌詞、ドラマの台詞なんかを異常な感度で取り込んで、ひとりで楽しんでいるようだ。
まあ、その特技がいずれ何かの役に立てば儲けもの、くらいに思っておくのが正解かなと思う。

さていよいよ高校生だ。
せめて、制服を破らないという成長を見せてもらいたいものだ。

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発達障害 -11 告知?

発達障害関連の本などを読むと、告知は極めて大事だとか、慎重にするべきだとか書いてある。
なので私も「そうなのか」と思って過ごしてきたが、今となっては「そうだろうか」と思えてならない。
なぜなら、私は告知をしなかった。
というか、告知をする必要がなかった

私は一般的なお母さんとは違う。
息子の中学校で「自分を知る」という名目で行われた自己分析(性格判断)調査でもはっきり出たが、いわゆる「優しさ」が欠落しているのだ。
「協調性」の数値もかなり低い。
その分、「厳しさ」や「論理思考」「明るさ」などが極めて高くなっている。
その上、幻の存在とさえ言われてしまうINTJ女だ。
一般的どころか、よくお母さんをやれているなぁとさえ思う。
私は無償の愛を提供する温かな存在ではないし、見本にされては困るほど社会性に乏しい人間なのである。
そしてそれを変える気もない。

私は、息子が幼かろうが発達障害だろうが、ありのままの私でい続けた。
私は、息子が何かやらかせば逐一ギャーギャー騒いで私が被る苦労を嘆き、文句を撒き散らしながら渋々後始末をした。
不平不満不機嫌の類いを子どもに見せるべきではないなどと思ったことはないし、逆に、すばらしいと思ったときには、対象が人でも物でも自分でも、これでもかというほど褒めちぎった。話題に上る度に、何度だって熱を込めて褒めた。
相手の気持ちを察するのが苦手な特性がある子にとって、日本のお察しください文化は酷だという思いもあったため、多少は意識的に表に出すようにしたところもあったかもしれないが・・・。
なんにせよ、私はここぞとばかりに「一般的なお母さん」を堂々と放棄し、大人げもなく考えていることを垂れ流し、全身で感情を表現しながら生活したのである。
「この人は正直すぎて面倒臭いけど、わかりやすい」とでも思ってもらえていたなら本望だ。

伝えたいことや伝えるべきことは、日常にいくらでもある。
わざわざ「大事な話」などと身構えるより、私は日々にちりばめて伝えたい
何だって教えてやるから、貪欲に学んでもらいたいというのが私の本音だ。

というわけで、私は彼の特性についても、日頃から容赦なく指摘をしてきた。
だから、わざわざ改めて教えなくても息子はわかっているのだと思う。
自分が、いわゆる「普通」ではないということを。
テレビで発達障害の特集が組まれたりすると、私は「これは見とけ」と視聴を促す。
息子は「あー」と言う。
以前、「あんた通級にも行ってたんだし、自分がなんかちょっと違うってわかってるよね?」と軽く訊いてみたことがあるが、返事はこうだった。
「まあねぇ」
それで十分だと思う。
自分は「障害」なのだと大袈裟に捉える必要なんてない

そもそも私には、境目のはっきりしないグラデーションのような症状をどこで線引きするのかがわからないし、線引きをする必要があるのかさえわからない。
程度の差こそあれ、誰にでも特徴的な部分はあるはずで、そのひとつひとつを「これは障害か?」と考えることなどまずないのに、ほんの少しそれが際立っていたら「障害」として線を引くというのは、おかしくないか。
難があるなら、それについての対処を学ぶ。
線を引こうと引かなかろうと、やれることは一緒だ。
なら、なぜ線を引くのだろう。どうして分けたがるのだろう。

ちょっと変わってる子なんて、昔からたくさんいたではないか。
「あいつ変わってるなー」で済んでたじゃない。
それを「障害」として区別してしまったら、途端に変わってしまうんだよ。
周りも。本人も。
見る目が変わるし、傷付いてしまう。
気付きや対処は大事だけれど、そのレッテルはいらないのではないか。
そんな区別よりも、息子の中学校で行われた性格診断のように、全員が受けて「自分を知る」ことこそ、大事なことなのではないか。
得手不得手の折れ線グラフや円グラフを、面白がってみんなで見せ合いっこすることで、多様な個性を知り、理解していくことには大きな意味がある。
そういうことを、柔軟な子どものうちに、是非やってもらいたいと思う。
「ここまでいったら障害」なんて境目などいらない。

今回のタイトル『告知?』には、そんな思いも込めている。
別に、一大事じゃないのよと。そんな深刻に捉えさせてどうすんのよと。
ただ、隠し通すことだけはやってはいけない。
大事なのは自分の特性を知り、それに対処できるようになることなのだから。
保護者として護ることばかり考えていてはいけない。
子どもに自分の力で生きていくための社会性を身に付けさせてやることこそが親の仕事だ。
私は、「おまえはそこがダメなんだから工夫をしないといかんよ」と事あるごとに指摘をし、息子から「わかってんだよ」と返されるようになったことを、嬉しく思っている。
言われずとも自ら工夫できるようになることが最終目標ではあるが、中学時代の自分が先を見通しながら生きていたかといえばそうではないので、そこは焦らない
まずは、自覚があればいい
工夫が必要なんだということをわかっていればいい

息子は最近(15才)、どストレート過ぎて大人げない私を面白がるだけでなく、「およしなさい」「落ち着け」などと諭したりするようにもなった。
人を客観視できるようになるとは大した進歩じゃないか。
ダメなところがあるのはキミだけじゃないんだよ。無論、子どもだけでもない。
どうか自尊心をもって、前に進んでいってほしい。

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発達障害 -10 中学受験

小学5年生の始めに、前年度の通級指導教室で同じ係として活動した人と、子供の進路のことで話をする機会があった。
引き継ぎをするために登校したので、その人の子供はすでに中学生になっている。
聞けば、私立の中学校だという。
もともとは受験をさせようとは思っていなかったらしいのだが、この機に環境を変え、うまくいっていない人間関係や偏見をリセットして、再スタートしたほうがいいのではないかということになったらしい。
息子さんもその気になって、塾通いを頑張ったのだそうだ。今は電車に乗って楽しく登校していると教えてくれた。
中学受験なんて全く考えていなかったので寝耳に水だったが、なるほど、いい機会ではあるかもしれないな、と思った。

うちの息子は、どちらかというといじめられっ子だ。
除け者にされたり追い回されたり、年下の子にさえなめられる。
しかし、なんだかんだ一緒に遊んでいるし、1人で抱え込んでしまうようなこともなかったので、さほど問題視してこなかった。
ところが、改めて息子が進学することになる公立中学校について調べてみると、まるでいい話が出てこない。
その荒れっぷりが近隣では有名だということも初めて知った。
私の当時の勤め先に、その中学校の卒業生がアルバイトとして入って来たので、ここぞとばかりに「そんなに酷いの?」と訊いてみたが、「酷いすね」と返される始末。
これはさすがに真剣に考えなければいけないのではないかと思い、息子に相談してみた。
「あんたが行くことになる中学校は、だいぶ荒れているようだよ。でも、友達の大半はそこへ通うし、家からも近い。そこへ行かずに、私立の中学校を選んで行くこともできるけど、友達とは別れることになるし、家からも遠い。何より受験をしなければならない。あんたはどうしたい?」
「いじめがあるのはいやだ」
「受験をするということか」
「する」
そういうことなら、とっとと動かなければならない。

私立中学校の情報を得るために、分厚い本を買い、合同説明会に足を運び、資料とにらめっこする日々が始まった。
また、私立受験では中学校の先取りを特殊なやり方で解く問題が当たり前に出題されるから、学校の勉強ができるだけでは太刀打ちできず、塾通いが必須であるということもわかった。
塾の情報も集めて、早急にどこに通わせるか検討しなければならない。
ちょうど、通級の卒業を決めた頃だった。
その時間を塾に充てられると思った。

塾はすぐに決まったが、塾長には「遅いです」と言われた。
私立中の受験に、5年生の夏から勉強するのでは遅いと言うのだ。
私立ならではの特殊な計算とはそんなにも難解なのだろうか・・・。
しかし、その遅さを挽回しようとしてくれたのか、塾はとびきりの先生を息子の担当にしてくれたのである。
東大卒の元中学校数学教師だ。
しかも大ベテラン。
現役を引退し、塾のお手伝いをしてくれている、塾にとってもありがたい神的存在の先生だった。
息子はその先生にマンツーマンで、算数のみならず他教科もすべて教えていただけることになった。
環境は万全だ。
あとは息子のやる気だけだった。

先生は実にすばらしい人で、知識や教え方は当然ながら、人柄や考え方までもが尊敬に値した。
先生は息子の変わりっぷりを、「面白いですよ」と言ってくれた。
そうして、そういう特性を「大事にするべき」と言ったのだ。
その上、息子の得手不得手をすっかり見抜いて、常に的確なアドバイスをくれた。
正に、この上ない先生だった。
息子は、おだてられも呆れられもせず、必要なことを最短ルートでガンガン教え込まれた。
そうして休憩時間には、床に座り込んで漫画を読んだ。
塾長に何十回怒られても、ついに直らなかったと聞いている。
塾での時間は、彼にとって、とても有意義であったと思う。

しかしここで、私は頑張る息子の姿に大きな見落としをしてしまう。
息子が発達障害であることを忘れたことなどないが、その行動が彼の意思であるのか特性であるのか判断が難しい場合もあって、このときは安直に、受験をすると決めたのは彼なのだから彼の意思で頑張っているのだろうと思ってしまったのである。
塾は遅れを取り戻そうと、盛り盛りのプランを組んでくる。
夏休みもほぼ返上。
通級に通っていた時間を充てようと思っていた私は甘すぎで、毎週その2~3倍の時間を作り出す必要があった。
息子は頑張った。
文句も言わずに大量の宿題をやり、放課後も休日も塾のために失った
あるとき、「遊びに行きたい」と口にしたときの息子の様子は忘れない。
「でもまだ終わっていないよ」と返すと、彼はポロポロと涙を流して
「じゃあぼくはいつ遊べばいいんだよ」と言ったのだ。
私は、ハッとした。
この子に何をさせているのだろうと思った。
遊ぶことこそが仕事の子供に、今しかできないことをさせずに、何をさせているのだろう。
卒業までの残り少ない貴重な時間に、友達と過ごさせてやれないなんて。
このときになってようやく気付いたのだ。
これは彼の意思じゃない。特性だったのだと。
決められたことを愚直に守ろうとしていたに過ぎないのだと。
そこに意思がなかったとは言わない。
けれど、泣くほど辛くてもやり抜いてしまうのは、意思にしてはあまりに強く、痛々しい。
もう少し大きくなれば反抗もできるようになるが、この時期はまだ言われたことが絶対で、ただ従うばかりだ。
帰ってくるなと叱ったら、本当に帰って来なくなるような子なのだ。
出て行けと言われて、本当に出て行ってしまうような子なのだ。
知っていたのに、私は見落としてしまった。
だけど、残念なことに「やらなくていいよ」と言ってあげることはできなかった。
ここでやめてしまったら、これまでの苦労が水の泡になってしまうからだ。
いじめのない学校に行きたいという彼の希望は叶えてあげなければならない。

この頃、志望校はまだ定まっていなかったと思う。
私は、彼がのびのびと暮らせるなら、どこだっていいと思うようになった
もともと「ここ」と思う学校があったわけではない。
ただ、塾通いを始めた頃、彼は「あんまり出来のよろしくないところに楽して入るのと、賢い人たちが集まるところに頑張って入るのと、どっちがいい?」という私の質問に対し「賢いほう」と即答していたため、「頑張るのは当然」という価値観が私の中には少なからずあった。
でもおそらく、それは彼の本当の答えではなかったのだろう。
なぜなら、当時の彼は犠牲になるものがあるなんて想定していなかったはずだ。
例えばその質問をしたときに、「遊ぶ時間を削って頑張る」と言っていたなら、答えは最初から前者だったかもしれない。

私は、選択は息子にさせてきた。
けれど、私は全ての情報を伝えずに彼を欺したのではないか。
彼が失った掛け替えのないものが惜しくて惜しくて堪らない。
これはいじめよりひどい。起こるかどうかもわからない災難より明確にひどい。
辛い目に遭わせているのは私だ。
受験なんてしなくてよかった。もっと遊んでいればよかったのだ。ずっと遊んでいればよかったのだ。
でもそれは言えない。
大事な時間を犠牲にし、信じて頑張ってきた息子にそれを言ってはいけない。
努力が実を結び、自分の力でいじめのない未来を勝ち取る喜びを味わわせてやらなければいけない。
受験をしてよかった、この学校を選んでよかったと思わせてあげなければいけない。
しかしこの段に来て、私にできることなどほとんどない。
私は何もしてあげられない。
だから、ただただ励ました。
「あんたはものすごく頑張っている」
「あんたは偉い」
「努力は絶対無駄にはならない」
「楽しい未来が待っている」

息子がだいぶレベルの低い学校を選んだときも、私は何も言わなかった。
彼が自分で選び、のびのびと楽しい時間を過ごせることより大事なことなんてない。
そりゃそうだ。
そのために受験を選んだのだ。
受験の波に流されて、目的を見失うところだったよね。
「どうせなら」と欲張るところだったよね。

目的は十分達成された
合格発表で自分の受験番号を見つけたときの息子の満面の笑み。
あれをこの先もずっと、忘れちゃいけないんだ。

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発達障害 -09 通級指導教室

通級指導教室は、かなり人気があるようだ。
すべての学校にあるわけではないし、受け入れられる子供の数も限られているから、大抵の場合は空きを待つことになる。
うちの場合もそうだった。
申し込んでから1年近く待ったと思う。
最初に空きが出たと連絡をもらったときは、年度の途中だった。
クラス構成は何人で、何年生の子と一緒で、曜日と時間はこうで・・・と説明をされ、それでよければすぐに手続きを進めるし、途中参加はちょっとということであれば、次年度からにすることもできると言われた。
2年生になって相性のいい担任のもと、だいぶ落ち着きを取り戻しているところだったので、次年度からでお願いすることにした。

いよいよ申し込むという段には、それなりに葛藤もあった。
指定された通級指導教室がある小学校は、そこそこ遠い
そこへ通うためには、授業を途中で抜け出す必要がある
学習面の心配もあるが、それ以上に、途中で抜けることが他の子たちにどう思われるか不安だった。
通級には、そういったリスクに見合うだけの価値や効果があるのだろうか?
「正直悩んでいる」と校長に伝えると、校長は「学校としては、是非行って欲しいと思っている」と言った。
「行く価値があるかどうかは、行ってから考えればいい。今あなたが手にしているものは、チャンスだ。それが欲しくてたまらない人はたくさんいる。ぜひ活かしてほしい。行ってみておかしいと思ったら、いつでもやめて構わない。正直に言うと、学校としても通級とのパイプが欲しい。あなたが行くことでそれを手に入れることができる。専門的な学習をする機会が得られることは、先生たちにとっても大きなプラスだ」
こりゃ行くしかないと思った。

3年生になり、いよいよ通級が始まった。
希望者が多いため、最多でも週1回しか通うことはできない。
息子は水曜日の午後のグループになった。
私は毎週、小学校にチャリで息子を迎えに行き、4時間目の途中で抜け出させて大急ぎで帰宅、昼ご飯を食べさせ、バスで駅まで行って電車に乗って、通級指導教室のある別の小学校まで息子を連れて行った。
チャリを封じられる雨の日は地獄だった。
なお、授業を途中で抜け出すときは、堂々と出るという方法をとった。
あらかじめ担任と話し合って決めたことだが、子供たちのノリは大変よろしく、教室を覗き込む私の顔を見つけると「あ!迎え来たよ!」「行ってらっしゃーい!」「ばいばーい!」「最初はグー!じゃんけんポーン!」と、毎回明るく元気に送り出してくれた。
授業が中断されてしまうので、私は毎度先生に深々と頭を下げたが、おかげさまで息子はいつもニコニコと教室を出ることができた。
抜け出す理由として先生は、「特別に勉強したいことがあって、別の学校にも通っている」と説明したらしい。
なのでたまに「何勉強してんの?」「むこうの勉強難しい?」などと訊かれることがあったようだが、「いろいろ」「難しくない」と素直に答えて事なきを得ていたようである。

通級のクラスは、6名。
各クラスは、同じ学年とひとつ違いの学年との2学年混合で編成されていた。
もう何年も通っている子もいれば、うちのように初めての子もいる。
彼らが教室で指導を受けている間、保護者は別室(待機室)においてその様子をモニターで見ながら、この1週間の出来事や相談事などを順番に報告した。
待機室には聞き役の先生がひとりいて、その報告を細かくノートに書き込む。
子供たちを指導する先生と一緒に、2人で1クラスを担当するという仕組みだ。
指導が終わると、指導していた先生が待機室に入ってきて、その日の報告をしてくれる。
そのようなことが、年間30回くらい繰り返された。

待機室には、親同士の交流の場という役割もあった。
同じ程度の障害を持つ子の親だから似たような問題を抱えているし、その経験談は興味深いものがある。
話をする側としても、それを吐き出すことで泣いたり笑ったりできるし、泣いたり笑ったりしてももらえるので、下手に抱え込まずに済むというメリットがあった。個人的にいいと思ったのは、そういう交流がそこ限りであったことだ。
通級に通っていることを人に知られたくないという人もいるため、この場を超える付き合いには発展しなかったのである。
その分、その場においては包み隠さぬ暴露っぷりで、それがまたよかった。
割り切れる場があるということは、隠したいと思っている人には特にありがたいだろうなと思う。

ただ、面倒だったのは、所属校に比べて非常に少ない人数の中、役割を分担しなければならなかったことだ。
また、一度やったら免除というわけにもいかない。
長く通っていたら何度もやることになる。
いわゆる、グループ代表や会計係、さらには、その通級指導教室全体としての代表、会計、書記、図書などの仕事だ。
OB会のような団体も存在したので、そちらとのやりとりや、別の通級指導教室の団体と連携して講演会などを企画することもあった。
また、もっと手を拡げてアンケートや署名活動を行い、自治体や国に支援の拡充を訴えていくような活動も。
当然ながら、その大きな活動をまとめる団体の代表、役員、書記、広報といった仕事もある。
絶対数が少ない中でそれらの役を決めるのは、それはそれは大変だった。
大抵の人は、通級の日に子供に付き添うという困難を乗り越えるので精一杯だ。
その上、月1で役員会があったり、イベントで駆り出されたり、あちらの世話こちらの世話と面倒ごとをやらされるのではたまらない。
講演会やら支援の拡充の訴えやらも必要なのかもしれないが、通級に通っている人たちは基本的に目の前の日々の問題で精一杯なんじゃないのかなぁ、負担を増やすのは本末転倒じゃない? プラスαは余裕のある人たちが有志でやればいいのに・・・と私はずっと思っていたが、今は少しは改善されたのだろうか。

さて、肝心の指導内容はどうであったか。
親として思ったことは、こうだ。
「幼稚園みたい・・・」
私以外にも同じ感想を持っていた人は多くいる。
とりわけ、通級1年目の親は「期待していたものと違う」と感じた人が多く、戸惑いを隠せなかった。
かく言う私もそのひとりだ。
通級とは、こういうときにはこう、こういう場ではこうといった、こういう子たちが失敗しがちなシーンでの対応や求められるモラルなど、具体的で実用的なことが教え込まれて身についていく、そういう場だと思っていたのだ。
ところが、モニターに写る指導の様子はまるで幼稚園
一言で言うなら、期待外れだった。
先生の話し方、接し方、行われているプログラム、どれもが幼稚園レベルだった。
見ていてとてももどかしかった。
あんな姿勢になっている、話全然聞いてないけど注意してくれない、さっき言われたこともう忘れてるけど指摘してくれない、などなどなどなど。
だけど先生は怒らない。口調はずっと甘々。厳しいことも言わない。遊びのようなことばかりやらせている。まさに幼稚園だった。
体育の時間もあった。
順番を守る、みんなで成し遂げるといった「集団生活」という意味では、体育が一番学習っぽい時間であるように思えた。
また、夏にはプールの指導もあった。
しかしまあ甘いので、うちの息子のように水に顔をつけようとしなくても問題ない。
潜らなければ取れないコインを拾い集めるゲームをするけど、ずるして足で取っても怒られない。だめじゃん。

そんな様子だったので、失望して通級を去った人もいる。
私も、これは授業を抜けてまで続ける価値があるのかと本気で悩んだ
息子に通級について訊けば、「楽しい」「好き」と言う。
そりゃそうだろう。参考にならない。
結局、私にはわからないプラスがあるに違いないと無理矢理思うことにした。
次年度のことを決める面談では、引き続き指導を受けさせたいか、また受けさせる必要があるかといった話が担当の先生からなされるのだが、1年通って言われたことは、「継続した支援の必要があると感じている」というものだった。
空きを待っている人がたくさんいる中、継続を勧められるのだからそうすべきなんだろうと思い、次年度も通うことにした。

4年生時の通級も同じ日程で組まれた。
メンバーもほぼ一緒。
先生は替わったが、先生の甘さやプログラムの内容は変わらない。
そしてこの年度、私は役割を担わされることになった。
何が大変て、こちらで役職を引き受けたからといって、所属校の役員を免除されたりはしないということだ。
ダブルで背負わされていたらどうなっていたかと冷や汗が出る。そうならなかったことは、最終的にじゃんけんまでもつれ込んだことを思うと、本当にラッキーだった。

年度末が近付いたとき、また面談が行われた。
私は、学校での様子が落ち着いていること、相変わらずここでの時間がプラスになっていると思えずにいることなどから、次年度について消極的である旨を伝えた。
すると、日数を減らしてみてはどうかと提案された。
2週に1度のグループがあるので、そちらに切り替えてみてはどうかと。
つまり、支援をここでやめてしまうことはお勧めできないという判断だ。
ではそれでやってみようかと、次年度も通うことにした。

5年生時の通級は,2週に1度、金曜日の午後。
メンバーは4人。
2週に1度のグループは、待機室を使えない。
週1のグループが使っているからだ。
したがって、毎回空き部屋探しから始まった。
モニターもない。
話を聞く先生もいない。
保護者4人でくっちゃべって指導が終わるのを待つ。
要は、通級の卒業を前提としたグループだということだ。
いつ誰が抜けてもおかしくない。
3年の時も4年の時も、私は所属校の担任の先生に「通級に通い続ける必要があると思いますか?」と見解を訊いてきたが、先生たちは申し合わせたように「お答えできない」としか言ってくれなかった。
「学校での様子などはいくらでも教えられるので、判断はそちらでしてほしい」と言うのである。
個人の見解を口にしてはいけないという学校側の方針があったのかもしれない。
近くで見ている人の見解は是非とも知りたいところであるのに、融通が利かずイライラしたものだ。
しかしそれでも懲りずに訊いてしまうじゃないか。
5年生になって数ヶ月、今度の担任にも同じ質問をした。
「必要ないと思います」
え・・・!?
「全然問題ないですよ」
待ってましたーーー!!!
「今まで誰も言ってくれなかったんですよ!? 『こちらからは言えない』とか言って!」
「え、そうなんですか? 言っちゃいましたね。やばかったのかな」
「いいえ! その言葉を待ってました! すぐにやめます!」
息子にそのことを告げると、息子は「まあねぇ」と言った。
「人数も減ってやれることも減っちゃったし、2週に1度だとあんまり仲良くもなれないし、ぶっちゃけ、もう行かなくてもいい」
よっしゃーーー!!!
私はすぐに電話をかけた。
所属校の担任の先生にも報告をする。
「はや!!」
「やめたいと思っていたので、いい後押しになりました」
「やばいな・・・言ってよかったのかな・・・」
「もちろんです! ありがとうございました!」
先生があとでお叱りを受けたかは知らない。
しかし、学校側が先生の見解を封じることには断固反対だ。
子供の近くにいすぎて特性に慣れてしまっているため、感覚が麻痺して自分の判断に自信が持てずにいる親はたくさんいるのだ。
多くの子供を見ている人の客観的な評価は極めて重要である。
学校は責任の有無を気にしてばかりいないで、もっと柔軟に対応すべきだと思う。

かくして2年半に及ぶ通級指導教室が終了した。
息子は今中学生だが、「通級行く意味あった?」と訊くと、こう答える。
「あった」「楽しかった」「息抜きになった」「支えになってた」と。
そうか、支えになってたのか・・・。
「じゃあ、役に立った?」と訊くと、
「立った」「あれでなかなか勉強になってたんだよ」と言う。
遊びを通して、人との接し方などを学べたという思いが本人にはあるらしい
そうか、学んでいたのか・・・。
安易に奪わなくてよかった。

経験や学びの成果は目に見えるものだけではなく、記憶や経験として刻まれて気付かないうちに役立ったり影響を受けたりするものもいっぱいあるということを、私たちはわかっている。
なのに、つい、先を急いでしまうよね・・・。
焦りや戸惑いが生じたとき、それは無駄じゃないんだと少しでも思えたなら、どれだけ気が楽だろう。
だから私は信じることにした。
目の前の子が笑えていたなら、それはきっと間違いではない。

時が過ぎて、「あのときはよかったなぁ」と楽しげに昔を思い出されてごらんなさいよ。
無駄だったわけがない!
そんな時間を与えてあげられた自分を、褒めてやりたいくらいだわ。

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発達障害 -08 小学校(事件)

発端は、息子がクラスメイトの女の子に怪我をさせてしまったことだ。
持っていたものを奪われると思い込んで激しく抵抗した際にそうなってしまったので、故意ではなく事故だったのだが、こちらが「普通じゃない子」で、あちらが「女の子」であったことから、大変な騒ぎにされてしまった
なんであれ、怪我をさせてしまったことは謝らなければならないので、学校から連絡を受けてすぐに先方に電話をしたが、その時点ですでに「連絡が遅い」「何をしてくるかわからない子」という態度で、「うちの子は女の子なんですよ?」と意味不明なことをさも当然に主張してきたので、私も気分が悪くなった。
この人とはたとえこんな事が起こらなかったとしても絶対仲良くなれないと即座に悟ったため、謝るだけ謝ってとっとと終わらせたいと思ったのだが、その後も、ごくごく小さなことで「まだちょっかいを出されている」「反省が見られない」などと学校側に文句を言ってきたらしく、私はまたしてもスクールカウンセラーの予約を入れることとなった。

学校という環境の中で起こったことは、基本的には学校の中で解決するべきなんじゃないのか。何があったのか、どうすればよかったのかをまず話し合わなければならないのは当人たちであって、親じゃないでしょう。そんなことをしていたら子供たちは失敗から学ぶこともできないじゃないか。
まくし立てると、カウンセラーはまた「仰るとおりです」と言った。
しかし、ここでワーワー騒いだところで何も変わらないことは知っている。
感情最優先の生き物に正論は通用しない。
ただ私としては、こちらの見解を形に残しておかねば気が済まなかったのだ。

そして事件は続く。
人との距離感をつかむのが苦手な息子が、よりにもよってその子との距離感を間違えてくれた。
「遊具の上で、おたくの子に突き落とされそうになった」「なにしてくれんだ!!」という怒りの留守電に、私は大層驚いた。
すぐに折り返したが、謝るためではない。
状況の確認をしたかった。
証拠となるものが、そう感じたというその子の主張だけでは、それが本当かどうかはわからない。
そんな確証のないことで私が謝ってしまうわけにはいかない。
もし何もしていなかったら、息子を著しく傷付けることになるからだ。
すると、あちらの怒りが爆発した。
「謝りもしない!!」
「事実かどうかもわからないことで謝れません」
「うちの子が嘘をついていると言うんですか?」
「一方の言い分だけを鵜呑みにすることはできません」
「信じられない! 何も反省してないですよね!?」
「反省はしています。ですが、やっていないかもしれないことでは謝れません」
相手は怒るばかりだ。
しかしだからといって折れることはできない。
息子の名誉がかかっているからだ。
そのうち相手は、決して許せない絞め殺してやりたいくらいの言葉を吐いた。
「おたくの子は、授業中にフラフラしたり教室を出て行ったりしてるらしいじゃないですか」
「それとこれと何の関係があるんです?」
「つまりそういう子ってことでしょ」
「そういう子とはどういう意味ですか!?」
その先はさすがにエキサイトしてしまい、何を言ったか覚えていない。
ただ、こんな女、こんな親、こんな人間、と心の底から人を嫌ったのは、これが初めてだった。

まだある。
その子とばかりそういうことが起こるのも変な話だが、今度は、道路で息子に追いかけられて転んで怪我をしたという。
ついに、現場で直接話をすることになった
私に対して「あなたではだめだ、父親に叱らせろ」と言っただけあって、ついにあちらの父親も登場。
会って早々、母親が「留守電を聞いて折り返してきたくせに、謝らない」と文句を言ってきたので、
「それは、息子を犯人だと決めつけた留守電だったからです」と応じたら、父親の顔をチラリと見て黙ってしまった。
どんな力関係があるのか知らないが、自分の主張が正しいなら堂々としていればいいではないか。
まあ、あちらはどうだか知らないが、うちに限っては父親より私のほうが厳しいし怖いので、「父親に叱らせろ」はちゃんちゃらおかしい提案だ。
自分の価値観を当然に他人に押しつけられるというだけで、この女の程度が知れる。

で、あちらの父親も「女の子」を主張してきた。
似たもの夫婦かよ。
じゃあなにか、男の子なら怪我をしてもいいと言うのか。ふざけんなよ?
あちらの父親は現場検証のようなことを始めて、息子の記憶が曖昧な部分を指摘して「その子は嘘をついている」と言い張った。
息子にしてみたら大して興味のないことを思い出せと言われてもわからない。
それなのに「それはどこだった」「そのときの位置はどこだ」などと問い詰められて、適当なことを口にしたに過ぎない。
また、スケーターだか何だかの名前を勘違いしていたことまで取り上げて「乗っていたのはそれではない、嘘をついている」と言い放った。
実にあほらしい。
こちらとしては、二人でいるときに接触事故が起こって一方が怪我をしたという事実と、その原因について掘り下げたいところだ。
息子が故意に事故を起こす理由はないが、故意でないにしても事故に繋がるような行為があったなら反省させなければならないし、怪我をしてしまった側に謝罪をして、治療費とかが発生するなら負担する、という流れであってほしいのに、そういうことよりも感情論で迫ってくるので話が進まない。
また、相手の女の子が、こういうことが繰り返しあることで親にちやほやされたのか、やや調子にのっている感じが否めない。
「このとき私、本当はちょっと見えてたの!」とか、ダメ押しのつもりかもしれないが、なんともわざとらしい。
この発言はさすがにあちらの親も嘘だと思ったようでスルーしていたが、おたくのお子さんも天使じゃないよね、と言ってやりたかった。

そんなこんなで何も解決しない
あちらにしてみれば、「故意じゃない、そんなつもりはないと言うけど、じゃあなんで何度もこういうことが起こるんだよ」という不信感が拭えない。
それに、大ごとであるにもかかわらず息子の記憶が曖昧で、その上こんなことになっているにもかかわらず目の前で全然違うことをして遊んでいられることが理解できない。
私たち夫婦は、息子の特性について話さずに問題を解決することは不可能だという結論に達した。
それで、「言い訳と思われかねないので言うつもりはなかったのですが」と切り出し、息子が発達障害であること伝えた。
すると母親は、先の電話での暴言に勝るとも劣らない言葉を吐いた。
そんな子と同じクラスは困るんですけど
沈黙が流れた。

やがて、父親が「療育に通わせているんですか」と訊いてきた。
そんな言葉を知っているとは意外だなと思った。
そんなこととは縁のなさそうなあちらさんが、なぜその単語を知っているのだろう?
理由はわからなかったが、うちの子がそういう子で療育も受けていると知ってから、父親の態度はがらりと変わった。
突然「理解者」になり、最終的には「何か助けになれることがあれば言ってください」とまで言った。
あまりの変わりっぷりに、こちらは拍子抜けしてしまう。
母親のほうは、娘に「わざとじゃないってよ」と伝え、幕を下ろしにかかった。
疑問も怒りも山ほど抱えていただろうに、「そういうことならもういいです」という感じだ。
発達障害は免罪符ではないのに。
言っても仕方がないと諦めてもらうために伝えたわけじゃない。
不可解で腹立たしく思えるであろう息子の行動にも、それなりの理由があるということ、悪意などないということを知ってほしくて伝えたのに。
私たちは理解されることを目指したが、されたのは諦めだった
「見逃してあげるべき」と判断したのだろうか。
だが、それは解決ではない。

常々思うのは、特性の有る無しは優劣ではないよねということ。
定型発達の人たちは、発達障害の人たちを下に見る傾向があると思う。
「生きにくくてかわいそう」「理解してあげなくちゃ」「手助けしてあげましょう」などと表現される度に、私は違和感を感じている。
感じ方の違い、捉え方の違い、価値観の違いに、正解も不正解もなかろう。
ただ、多数派と少数派があるというだけのことだ。
多数派は、そちらが正しくて、そうあるべきだと思い込んでいる。
私はそうではないと思う。
集団において多数派が基準とされるのは、それが正しいからではない。そのほうが効率がいいからだ。
そうして少数派は、秩序を乱す厄介者のように思われていく。
日本は特に、その傾向が強いと思う。
違うのに。
その多様性は宝なのに。

そんなわけで、この事件はこれにてぱったり収まった
「何かあれば」などという社交辞令で別れたものの、当然ながら修復は不能。
今に至るまで、互いを見かけることはあっても言葉を交わすことはない。

小学校においては、これが最大かつ最悪の事件であった。
その後の学校生活は「ちょっと変わった子」程度の位置づけで、とくに苦もなく、笑顔で過ごすことができていたように思う。
その一役を担ったのが、3年生から利用し始めた通級指導教室だ。
次は、その体験について書こうと思う。

つづく。

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発達障害 -07 小学校(低学年)

この上なくいい状態でもって入学の日を迎えた息子であったが、そううまくはいかないのが人生だ。
運が悪かったと言えばそれまでだが、息子は担任との相性の悪さによって、退化していくこととなる。

1年のときの担任は、その年に転任してきたばかりの頭の固い人だった。
私は当初から発達障害のことを説明し、理解を求めてきたつもりでいたが、伝わってはいなかったのだろう。
当初、息子は息子なりに頑張っていたと思う。
だからその分、合間の休み時間は息抜きとしてとても重要だった。
そこで好きなこと(紙飛行機を作って飛ばす)をして気分転換できていたからこそ、次の時間を頑張ることができていたと言える。
ところが、それが突然奪われた。
息子のクラスは、休み時間に紙飛行機を飛ばしてはいけないということになったのだ。
「誰かの目に入ったら危ないので禁止にしました」「何かあったら私のせいになってしまうので」
楽しみにしていた時間を奪われて、息子は途端にやる気を失った。
授業中に席を立つようになった。
床に寝転がったり、全然違うことをするようになった。
そうなって担任は私に言うのだ・・・「困っています」と。

また、この担任は、息子が学校の敷地内で拾った、息子にとっては面白い形をした小石を持ち帰ることを禁じた。
「いますぐそこに戻しなさい」「学校のものを持ち帰ってはいけません」「何かあったら私のせいになるのだから」
さらには、息子の気持ちが壊れつつある中、何らかの叱責を受けてついに息子が廊下でパニックを起こしたときも、この担任はただただ叱りつけるだけだったという。

私はたまらず、療育センターに電話をかけた。
このような相談をするのは初めてだった。
自分の声が震えていたのを覚えている。
この電話で、私はスクールカウンセラーというものの存在を知った。

予約をして、これまでのことをわーーっと話した。
相談の席には児童支援専任の先生も同席していて、メモをとっていた。
カウンセラーはうなずきながらじっと聞いてくれる。
私が「休み時間に紙飛行機を飛ばすことが切り替えになっていたはずだ」と言うと、カウンセラーは「仰るとおりです」と言った。
また、小石を戻させられた話をすると、カウンセラーは「なぜ持ち帰ってはいけないのでしょう」と首を傾げた。
そうだよね? おかしいよね? 変なのは担任だよね?
私の頭はそればかりになった。
あちらのカチカチの思考や保身のために息子の心は犠牲になっている、たまらない、あんなにいい状態で入学したのに何てことをしてくれたんだ、どうしてくれるんだ。
30分くらいしゃべったと思う。
スクールカウンセラーというのは、こちら側の相談にもあちら側の相談にものるから、板挟みと言えば板挟みだ。
私の耳には入ってこなかったが、担任も言いたいことがあってこの人にぶちまけたりしたかもしれない。
何が言いたいかというと、要は、相談しても何も変わらなかったのである。
ただ、翌年度、担任は転任後わずか1年で、また転任していった。

しかし、時すでに遅しだ。
息子はもう、まともに授業を受けられなくなっていたし、ちっとも席に座っていられない、教室も出て行ってしまう、パニックも起こす・・・と、まるで幼稚園に入ったばかりの頃のようなダメっぷりに戻ってしまっていた。
児童支援専任の先生が特別気にしてくれていることはわかっていたが、常に付いていてもらえるわけでもない。
それで、入学当初は考えていなかった通級指導教室の利用を考えるようになった
療育センターで行われた説明会に参加し、承認を受けるための手続きを進めた。
その過程で校長先生と話をする機会があったのだが、驚いたことに先生は私に謝罪をした。
当時の担任が、廊下で息子を叱りつけているところを見たことがある。あまりにも酷い叱り方だったので「やめなさい!」と言ったのだが、言うことをきかなかった。私の方針に合わない方であったということで、1年限りで転任いただいた。息子さんには本当に申し訳ないことをした。と。
本当に、運が悪かったとしか言いようがない。

しかし、その後の担任は素敵な先生たちばかりであった。
中でも、すっかり落ちてしまった息子を見事に救い上げてくれた2年時の担任がすばらしかった。
彼女は新人の先生だったが、福祉を専攻していたのかと思うほど特性のある子供への対応の仕方を知っていて、安心してお任せすることができた。

ところが、最低の状態を脱し、通級の手続きも進んでいた頃、事件が起きたのである。

つづく。

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発達障害 -06 幼稚園

最初の面談で専門機関の受診を促されたその後の幼稚園での様子について書こうと思う。
ちなみに、個人面談は常に最後に組まれ、他の子の4~5倍の時間をかけて行われた。
本気で向き合ってくれていることがよくわかったし、本当にありがたいと思った。
とても、とても、感謝している。

まずは、療育センターに通う前のことから。
担任以外の先生に話かけられる度にパニックになっていると聞いた私は、ひょっとしたら息子は知らない顔を怖がっているのではないかなと考えた。
それで何をしたかというと、入園式で撮った集合写真を拡大して、机に飾ったのだ。
子供たちの集合写真と、先生たちの集合写真を、両方。
すると、息子はしょっちゅうそれを見るようになった。
先生たちの集合写真のほうを特に熱心に見ていたように思う。
で、どうなったか。
パニックを起こさなくなった。
ここまで効果が出るとは思っていなかったので、やった私が一番驚いた。
だって、ただ写真を飾っただけだ。
たったそれだけのことで、彼の幼稚園生活は一変した。
私は専門家じゃないし、当時はまだ診断も受けていないから誰に相談するでもなかったので、パニックがなくなった本当の理由はわからない。
でも、ほんのちょっとの工夫の有る無しが大きな違いを生むということを実感した出来事だった。

次に先生が困っていたのは、切り替えができないことだった。
室内遊び、片付け、外遊び、学習、お昼・・・。
園では決まったスケジュールに沿って生活していくことになるのだが、その切り替えが息子にはできない。
やめさせようとするとモーレツに抗われ、外遊びからはいくら呼んでも帰って来ない。
これを解決したのは療育センターだった。
園でこういうことになっていると相談をしたら、実にあっさりと解決策を示された
「1日の予定を、目に見える形であらかじめ教えてあげてください」
「できれば写真で」「もっと言えば本人の写真がいい」と言うのだ。
園にそれを伝えると、それを満たすスケジュール表がすぐさま作成された。
透明のポケットが取り付けられた縦長の表で、活動内容の札と、その活動をしている最中の息子の写真が、その日の予定に合わせて入れ替えられるようになっている。
息子は自らそのスケジュール表を眺めるようになり、一声かけるだけで作業を終わらせたり外から戻ってきたりできるようになったという。
これには先生もびっくりで、私と同じことを感じてくれた。
「ほんのちょっとの工夫でこんなに違うんですね」と。
また、このスケジュール表は、他の子たちもよく見ていたらしい。
そりゃ、発達障害じゃなくたって今日の予定には興味があるだろうし、写真ならわかりやすいよね。

次の困り事は、読み聞かせなどをしている最中に席を立って別のことを始めてしまったり、みんなで一緒にするべきことに参加しなかったりすることだったが、これについては、それでよしとされることになった
というのも、「こういうときには席に座っていなければならない」と教え込むより、「それが苦手な子もいる」と知ってもらうことのほうが子どもたちには有益だ、と園が判断したからだ。
先生はこう説明したらしい。
「お絵かきが苦手な子もいるよね。かけっこが苦手な子もいるよね。それと同じで、じっとしていることが苦手な子もいるんだよ」「だから、そういうお友達を見たら、苦手なんだなって思ってあげてね」と。
息子は救われただろう。
私も救われた。

それから、息子は教室を飛び出して行方不明になるという迷惑もかけていたのだが、これについても園が対応してくれた。
園は、先生をひとり、巡回要員として配置してくれたのである。
先生は、飛び出してくる息子をキャッチする。
キャッチして、別の部屋へ連れて行く。
連れて行って、気が済むまで他のことをさせてくれる。
息子は、飛び出して捕まっても暴れることなく、職員室でおとなしくお絵かきをするようになった。
先生はいつも、息子の気が済むまで付き合ってくれたらしい。
感謝しかない。

報告を受けたことの中で、なんの手も打たなかったのは弁当給食だ。
息子は、幼稚園での3年間、白いご飯にしか手を付けなかった。
はじめに報告を受けたときは、息子は自宅でも知らない料理や見慣れない形のものは口にしないので「そりゃそうなるか」と思ったが、このままでいいのだろうかと療育センターの担当医に相談すると、「気にしなくていい」と言われてしまったのである。
「そのうち、あれはなんだったのかと思うほど食べるようになりますから」と。
「栄養面は他の2食で補える」「無理に食べさせると心の面でマイナスになる」ということだったので、園にもそれを伝え、残してごめんなさいと謝った。
なお、担当医の予言が現実となったのは、小学2年のときだ。

園ではそんな感じでお世話になりっぱなしだったから、療育手帳の発行時に「こういったお子さんを2人以上受け入れている幼稚園には補助金の制度がある」という説明を聞いたときは、「これだ!」と思った。
これは絶対にもらってもらわなければならない。
園が息子の他にもう1人受け入れているかはわからないが、せめてその制度をお伝えして、うちの療育手帳だけでも役立ててもらわなければ!
個人面談でその話をすると、担任の先生は丁寧にメモをとってくれた。
やがて副園長先生から「申請させていただいてもよろしいでしょうか」と言ってもらえたときには、本当に嬉しかった。
補助額は、年間78万円程度だったと思う。
微々たるもので、巡回先生の人件費にもならないが、数々のご恩に対して他にお返しできるものがなかったから、むしろ私のほうが助かった。

こうして息子は大変幸せな幼稚園生活を送ることができ、心身ともに健やかにのびのびと育ち、明るく元気いっぱいで卒園を迎えた。
とりわけ、心の面で目一杯プラスに振り切った状態で次のステージへと送り出してもらえたことは、どれだけ感謝してもし足りない。
年長時に、今まで一度も参加しなかった運動会の準備体操を、代表として前に出てまでやっている姿を涙なくして見ることはできなかったし、卒園式で、みんなと同じように並んで礼をして証書を受け取れるようになるなんて、入園当初には想像でもできなかった。
なんという成長。なんという喜び。
また、息子への配慮に止まらず、周りの子にも多様性を教えるいい機会と捉えてそれを実践してくれたことは、この国の未来にも繋がることであり、心から称賛したい。
この先の社会で共に生きていく人たちの中に、そういった特性への理解が根付いている人が、少なくともクラスメイトの数だけはいる。
涙が出そうだ。

かくして、息子は最高の状態でもって、小学校へと上がることになった。

つづく。

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発達障害 -05 療育センター

地域療育センターには、数ヶ月に1回の頻度で通うことになった。
利用を希望する人があまりにも多く、その頻度が精一杯だったとも言えるが、それを不満に思ったことはない。
現状を知り、アドバイスをもらい、それを試して、報告する。
基本的にはその繰り返しなので、そのくらいが丁度いいとも思う。

うちが世話になった療育センターでは、0歳~小学6年生までを対象として、診療やカウンセリングなど多くのサービスを受けることができた。
うちの息子は広汎性発達障害、すなわち「心身の発達の遅れ」をフォローしてもらっていたので、それ以外の、例えば身体的な障害を抱えている人のためのサービスなど、知らない部分もたくさんある。
また、療育プログラムやグループ診療といったものともご縁がなかった。
従って、私が話せることはとても少ない。
少ないが、参考になることもあるかもしれないので書いておく。

まずは、診療
医師、心理士、言語聴覚士などの専門家が直接様子を見、また細かな検査をして、医学的診断や評価をする。
現状を正しく知り、どう向き合っていくべきなのかを考える上で大事な第一歩と言える。
しかし、その評価が全てだと鵜呑みにすることはお勧めしない。
その時々の本人の調子もあるし、もともと得手不得手がガタガタに出るそのガタガタ度合いの僅かな差に一喜一憂していても仕方がないからである。
結果は「傾向」であり、「対策を考える上での参考になる」程度に思っておいたほうがいい。
そんなことより重要なのは、その先を知っている医師の助言だった。
多くの似たような子を診てきた人の予言とも言える数々の言葉には真実味があり、私は大層励まされた。
「今これで悩んでいます」→「必ず収まります」といった具合に。
そんなまさか、とてもそうは思えない、信じられない、と思うのだが、実際そうなっていく。
なお、発達の程度を数値化するような検査を毎回行うようなことはしない。
そういった検査は年に1度行われ、その結果は療育手帳の発行などに用いられた。
ちなみに、診療は一般的な保険診療と同じ扱いである。

そして、相談
といっても、しょっちゅう電話をかけて担当ソーシャルワーカーを独り占めするようなことをしたわけではないし、今それを想像してなんじゃそりゃと思ったので、そういうことはしてはいけないと言っておきたい。
担当ソーシャルワーカーさんは、当然ながらひとりで何人もの子を担当している。
相談するにしても、主旨や要点をまとめて拘束時間が短くなるようにしてあげて欲しいものだ。
私はこのサービスを、主に制度についての質問や、幼稚園や学校との連携のために利用した。
ただ、このあたりのやり取りはややこしくて、療育センターだの福祉保健センターだの特別支援センターだのが同時進行で、どこで何を相談したのか記憶は曖昧だ。
ひとつ言えるのは、使える制度について知っておくことは大事だということ。
例えば、専門家に幼稚園や小学校に直接様子を見に来てもらって、先生たちにアドバイスをしてもらえる仕組みがある。
例えば、療育手帳を取得したなら、私立幼稚園等特別支援教育費補助費という補助金を幼稚園が申請できる可能性がある。
そういったことを知っているか否か、活用できるか否かの差は大きい。
知識と情報を合わせもった人と繋がれたことは、大変ありがたかった。

そんなこんなで、幼稚園での様子は劇的に改善していくのである。

つづく。

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発達障害 -04 受診

幼稚園で指摘をされたものの、「専門機関」がわからない。
私はとりあえず、かかりつけの小児科医に相談した。
息子が乳児の頃からお世話になっているので、説明もしやすいと思ったのだ。

幼稚園でそのような指摘を受けたことを話すと、医者も看護師も「ああ」という反応をした。
その反応に、私こそ「ああ」と思った。
それっぽいと思ってはいても、指摘はしてくれなかったんだなぁ・・・。
なにゆえそう思ったのかについて訊きはしなかったが、思い当たることはある。
抱っこされていた息子が突然大きく反り返って机に頭をぶつけそうになったり、極度に暴れて大人3人がかりで押さえつけなければ注射を打てなかったり、専門知識がある人から見れば「異常」と思えることは多々あったことだろう。
馴染みの小児科医は、「そういう分野に詳しい先生が診察をする日があるから、その日にもう一度来るといい」と言った。

再び同じ小児科を受診。
紹介された詳しい先生と話をする。
とはいえ、その人も「より詳しい」だけで、いわゆる「専門家」ではない。
「自分の知り合いに優秀な人がいる。そのクリニックに話を通しておくから診てもらうといい」と、専門医を紹介しただけだ。
しかし、どこへ行ったらいいかもまるでわからなかったので、言われるまま、そのちょっと遠い場所にあるクリニックへ行くことになった。

受診した日のことは忘れない。
土砂降りの雨の日だった。
駅に着いたときにはずぶ濡れで、すでに気分は最悪だ。
1時間ほど電車に揺られ、ビルの2Fだったか、少し高い位置にあるクリニックに入った。
そのようなところは初めてなので仕組みも何もわからない。
待合室に成人男性がひとりいるから、小児専門というわけではないらしい。
心療内科・精神科」と書いてある。
幼稚園の先生が言った「専門機関」というのは、ここで合っているのかな・・・。
診察室と呼ぶには広めの部屋で、私と息子は先生と机を挟んで向かい合って座った。
専門医は「様子を見させてください」と言って、息子にあれこれ話しかけてくる。
息子はそれを無視。
先ほどまでそんなでもなかったはずだが、完全に機嫌が悪くなっている。
こうなると何にも反応を示さなくなり、ひとりの世界に閉じこもってしまう。
様子を見るどころではない。
専門医は絵本を見せたり、興味を引きそうなことを言ったりするが、息子はついに席を離れ、ロールカーテンが下ろされて足元に近い位置しか見えていない窓の前に座り込んでそこから動かなくなった。
ただただ、その狭い隙間から窓の外を見ている。
近寄ってあれこれ見せようとしても見向きもしない。
好きなトーマスの話やグッズをチラつかせても反応さえしない。
すっかり塞ぎ込んでしまった。
専門医は、その様子もじっと見ている。
「いつもこんな感じですか?」と訊かれ、「そうです。こうなっちゃうと戻りません」と答えると、専門医はメモ紙を取り出し、私に向かって話し始めた。
広汎性発達障害の疑いがあります。私のところではその診断をすることはできないので、療育センターで診てもらってください」
・・・うん??
知らない言葉が複数出てきて、何だかわからない。
私は、「広汎性発達障害」「療育センター」と書かれたメモ紙を渡された。
専門医は「疑い」とは言ったが、「おそらく間違いない」とも言った。
「これまでに定期健診などで指摘されたことはありませんか?」
一度もなかった。

ここで定期健診でのことを少し書いておきたい。
区役所などで行われる乳幼児検診(4ヶ月児、1歳6ヶ月児、3歳児)には、子供の発育や発達を成長の節目で確認し子育てを応援するという目的があるらしい。
検診時、うちの息子は服を脱ぐのも着るのも嫌がって大泣きし、医者の前でも暴れてろくに診察させない、身長も測らせないなどなど大騒ぎで大迷惑だったのだが、発達障害は見逃されてしまった
それなのに、どういうわけか私の精神状態には過剰に反応し、この冷淡な性格が虐待に繋がるとでも思ったのか、「ケアをしたい」などと申し出されて驚いた。
人と関わるのは好きじゃないので、寄ってこられたら余計にストレスだから目一杯断ったが、どうしても一度家に行くと言ってきかない。
それで結局来てしまったわけだが、別段おかしなところもなく、息子ともキャイキャイやっていたし、担当者はニコニコと帰っていった。
その際も、変な遊びや妙な反応など、彼は発達障害の特性をチラつかせていたのだが、やはりそこには気付いてもらえなかった。
乳幼児検診で注目すべきは子供の様子であろうに、なんともお粗末だ。
私が精神的に参っていそうに見えたとして、その原因が子供だとは考えなかったのか。
親の様子を気にするなとは言わないが、まずは子供の様子を気にして欲しかった。

話を戻す。
診断名を確定させるのはここではないと言うのなら、ここで訊くべきはその病名のなんたるかより、「療育センター」とは何であるかだ。
専門医はざっくりと説明した。
療育センターとは、障害のある子供の診療や支援などをする公的機関である。そこで正式に診断してもらって、必要なサポートを受けていくことをお勧めする。ただし、療育センターの予約は非常に取りづらい。数ヶ月は先になってしまうだろうから、すぐに動いたほうがいい。
私の頭の中は謎だらけだったが、つまりここも、幼稚園の先生が言った「専門機関」ではなかったということなんだなと思った。
随分遠回りをしているような気がする。
しかし、無駄だったということもない。
私の場合は「療育センター」を知るきっかけになったし、その療育センターにおいても、他機関での診断があったことで、話がスムーズに進んだからだ。

家に帰り、自宅の住所がどの療育センターに属するかを調べ、電話をかける。
聞いたとおり、初診の予約が取れたのは数ヶ月先だったと記憶している。

つづく。

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