文章の細かいところに反応するのは、むしろ理系人なのではなかろうか。
文学的なことはよくわからない。しかし、理系は言葉のルールや一貫性などに関しては、かなりシビアな目で見ていたりする。少なくとも私はそうだし、旦那もそうだ。なんなら息子もそうだ。
「いやいや、文系はそんなの当然に見た上で、もっと深いところを見てますから」とでも言ってもらえれば「ですよね」と思って終われるんだが、生憎私の周りにそんな文系人はいないので、冒頭の思いに至っている。
何が言いたいかというと、その細かい拘りを「理系だから」と言い訳する自分がウザったい。
でも、大賞を受賞するような作品を読んでいるときには、そういったことはまず起こらない。私ごときが「ん?」と思うような箇所などないからだ。
じゃあ何に対してウザイ自分が発動しているのかというと、二次創作小説にだ。
二次作品は大抵は素人が書いているし、そもそもそんな目で見るべきジャンルではない。みんなが欲しているのは正しい文章ではなく、原作では叶わない推しキャラのあれやこれやだとわかっている。
わかっているけど、細かいところに目が行ってしまうんだよ。そして、それを言い訳しようとする自分が嫌なんだわ。
これを解決するにはどうしたらいいのか。
素人作品は読まない? イヤだよ。読みたいよ。
拘りを捨てる? それをしたらおしまいでしょ・・・。
それじゃ開き直るしかないじゃないか。
そもそも、自信がないから言い訳をするのだ。もっと堂々と拘れ。堂々と拘れるようになれ。拘りを正当化しろ。
そもそも私が拘っているのは主に文章中の正誤なので、そこに反応すること自体は正当なはずだ。にも関わらず言い訳をしてしまうのは、「何様だ」という思いが自分の中に強くあるから。
そりゃそうだよなあ。実際、何者でもないんだから。
じゃあどうすればいい。
「何様だ」と思うんだから、「何様です」と思えるようになったらいいんじゃないか?
つまり、細かいところに拘って当然と思える何者かになる。
それは何だ?
校正者だ。
校正とは、簡単に言えば表記をチェックして正す作業のことを言う。
実は、大学時代に趣味でちょっとだけ囓ったことがあるんだが、扱うのは主に文章なのに、頭の中はロジカルだったという記憶がある。細かいことを気にしちゃう理系がその特性をうっかり文章に向けちゃった時に逃げ込む場としては最適なんじゃなかろうか。
これを本格的に学び直せば、私は校正の資格を持つ者になるわけだから、その拘りはあって当然ということになるはずだ。
「またそんな目で」と思っちゃっても、「それでこそ私の目」と思い直せる。
「細かっ」と眉を寄せても、「病気っ」と笑って流せる。
とんでもない開き直りだ。
しかし、自分らしさ全開でいられる幸せ。表に出しさえしなければ波風が立つこともない。平和な解決策ではないか。
善は急げ。
調べた結果、「校正士(校正実務講座)」および「校正技能検定(日本エディタースクール)」なるものを発見。
早速夫に話してみる。
私「金と時間を使いたい」
夫「ほう?」
私「資格を取ろうかと」
夫「新たな仕事を開拓するの?」
私「しない。拘りを正当化したいだけ」
夫「ふうん。いいんじゃない?」
1分で終わった。
加えて、校正に関連して日本語検定の勉強もしてみようと思い立った。正しい日本語をわかっていることは校正の大前提だと思うし。
いかん、メキメキやる気になってきた。気分屋はノルとやり過ぎるのでちと怖い。
思った通り、いきなりテキストを買い込んだ。
↑ 日本語検定 公式テキストおよび問題集
わあ! いい眺め! 楽しそう! 私ったら実は文系だったんじゃない!?
それはない。断じてない。
勢いで飛びついたが、今さら急ぐことでもないので、学習は気が向いたときにマイペースで進めるつもり。
てか、本来勉強はそうでなくっちゃいけない。学生時代に試験勉強で詰め込んだものなんて、何一つ覚えてないもん。まずは楽しまないと。
なお、校正の勉強は春頃から始める予定。
このレポの需要は不明だけど、私が楽しいので、たぶんまた書く。