語彙力と彼

文章を書いているときに、口語として耳にすることがまずなかったり、表記として読めない人がいっぱいいそうな言葉が思い浮かんでしまったとき、私はそれを諦めて別の言葉を探すことが多い。
それは私のイメージを的確に表しているのかもしれないが、伝わらないなら意味がないからだ。

実は、私には言葉をあまり知らない友人がいる。
けれど、彼とはネトゲで知り合ったので、皮肉なことに言葉でしかやり取りができない。
となると、合わせるべきは私だ。
彼が読める、彼が理解できる言葉を選びつつ、こちらの事情や思いを伝えていく。
ところが、そうしているつもりでも、ちょいちょい沈黙させてしまうのだ。
読めないんだよね。「え??」と思うような漢字が。
そのうち私が慣れてきて、うっかりそういう言葉を使ってしまったときには、即座に「読み」を打ち込んで補足するようになった。
彼はそれを喜んだ後、こう言うのだ。
「意味もわかんないw」
私はだいぶ鍛えられたと思う。

語彙力は、あるに越したことはないだろう。
けど、難しい言葉をたくさん知っていても、たいして役には立たない。
無論、時と場合によるが、少なくとも彼との付き合いにおいては無意味ですらあった。
その場における語彙力とは、「同レベルで置き換えられる言葉をどれだけ知っているか」であったと言えよう。
ひどいときには、何度置き換えても「わかんないw」と言われてしまうのだから堪らない。
それゆえ、私の語彙が追いつかないことも多々あった。
そういうときは、表現方法を文章に切り替えるのだ。
つまり、辞書における単語の説明文、あれに倣う。
思い込みで誤った知識をつけさせるわけにはいかないから、知っているつもりでいる言葉も念のため調べ直したりしてね・・・。
ほんと、鍛えられたと思う。

そんなこんなで十数年。
とはいえ、私は突然消えたり戻ったり去ったり帰ったりを繰り返しているので実期間はその半分くらいかなと思うけど、それでも、以前は読めなかった漢字を読めるようになっていたり、以前は説明が必要だった言葉が伝わるようになっていたりするから、嬉しくなる。
そして、感動しているのだ。
伝わるってすごいなって。
言ったことがそのまま伝わる。
「ん?」とも思わず、「なんとなく」でもなく、ちゃんと伝わる。
私はそれが欲しかったのだと、ようやく気付いた。

今でも私は、彼が理解できるように言葉を選んでいる。
でも、それにストレスは感じていない。だって、そうすれば伝わるから。
むしろ、表現のレベルを下げても伝えたいことを曲げずにいられる自分の語彙力を楽しんでいると言えるかもしれない。
この楽しみは彼が与えてくれた。
その楽しみで彼も楽しめる。
まさに Win-Win だ。

小難しい言葉は、それを熟知している人間には心地よくさえあるだろう。
だけど、そうでない人はそこで立ち止まってしまう。その言葉を正しく理解している自信がないから。
自慰目的なら、そんなリスクなど気にせず好きに表現すればいい。
けど、伝えたいのなら、伝わる工夫をするべきだ。
そんな言葉を知っているくらいだ、語彙力がないとは言わせない。
それでもあえてハイレベルな表現を選ぶとしたら、それはただのエゴである。

ところで、いま私はまたしても彼をボッチにさせてしまっている。
他のことに嵌まってしまって・・・複数同時に嵌まれないんだよ! 不器用なんだよ!
いつものことだけど、いつもごめん。
けど、彼はおそらくそれを許容してくれているのだ。
私が「これが彼なんだ」と思ってきたように、それが私なんだと。
だからお互い様だよねと。

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