通級指導教室がある学校は少ない。
そのため、受け入れられる子供の数も少ない。
ところが、需要は多いため、大抵の場合は空きを待つことになる。
うちの場合もそうだった。
申し込んでから 1 年近く待ったと思う。
最初に空きが出たと連絡をもらったときは年度の途中だった。
クラス構成は何人で、何年生の子と一緒で、曜日と時間はこうで・・・と説明をされ、それでよければすぐに手続きを進めるし、途中参加はちょっとということであれば、次年度からにすることもできると言われた。
このときに参加していれば、待ち期間としては数ヶ月だったかもしれない。
けど、2 年生になって相性のいい担任のもと、だいぶ落ち着きを取り戻しているところだったので、次年度からでお願いすることにしたのだ。
いよいよ申し込むという段には、それなりに葛藤もあった。
指定された通級指導教室がある小学校は、そこそこ遠い。
そこへ通うためには、授業を途中で抜け出す必要がある。
学習面の心配もあるが、それ以上に、途中で抜けることが他の子たちにどう思われるか不安だった。
通級には、そういったリスクに見合うだけの価値や効果があるのだろうか?
「正直悩んでいる」と校長に伝えると、校長は「学校としては、是非行って欲しいと思っている」と言った。
そして、熱く語ったのである。
「行く価値があるかどうかは、行ってから考えればいい。今あなたが手にしているものは、チャンスだ。それが欲しくてたまらない人はたくさんいる。ぜひ活かしてほしい。行ってみておかしいと思ったら、いつでもやめて構わない。正直に言うと、学校としても通級とのパイプが欲しい。あなたが行くことでそれを手に入れることができる。専門的な学習をする機会が得られることは、先生たちにとっても大きなプラスだ」
こりゃ行くしかないと思った。
3 年生になり、いよいよ通級が始まった。
希望者が多いため、最多でも週 1 回しか通うことはできない。
息子は水曜日の午後のグループになった。
私は毎週水曜日、小学校まで自転車で息子を迎えに行き、4 時間目の途中で抜け出させて自宅で早めの昼ご飯を食べさせ、バスと電車を乗り継いで、約 10 km 離れた別の小学校まで息子を連れて行った。
いつもギリギリセーフだった。
それゆえ、自転車を封じられる雨の日は地獄であった。
なお、授業を途中で抜け出すときは、堂々と出るという方法をとった。
あらかじめ担任と話し合って決めたことだが、子供たちのノリは大変よろしく、教室を覗き込む私の顔を見つけると「あ! 迎え来たよ!」「行ってらっしゃーい!」「ばいばーい!」「最初はグー! じゃんけんポーン!」と、毎回明るく元気に送り出してくれた。
授業が中断されてしまうので、私は毎度先生に深々と頭を下げたが、おかげさまで息子はいつもニコニコと教室を出ることができた。
抜け出す理由として先生は、「特別に勉強したいことがあって、別の学校にも通っている」と説明したらしい。
なのでたまに「何勉強してんの?」「向こうの勉強難しい?」などと訊かれることがあったようだが、息子は「いろいろ」「難しくない」と答えて事なきを得ていたようである。
通級の 1 クラスは、6 名ほど。
各クラスは、同じ学年と、ひとつ違いの学年との 2 学年混合で編成されていた。
もう何年も通っている子もいれば、うちのように初めての子もいる。
彼らが教室で指導を受けている間、保護者は別室(待機室)においてその様子をモニターで見ながら、この 1 週間の出来事や相談事などを順番に報告した。
待機室には聞き役の先生がひとりいて、その報告を細かくノートに書き込む。
子供たちを指導する先生と一緒に、2 人で 1 クラスを担当するという仕組みだった。
指導が終わると、指導していた先生が待機室に入ってきて、その日の報告をしてくれる。
そのようなことが、年間 30 回くらい繰り返された。
待機室には、親同士の交流の場という役割もあった。
同じ程度の障害を持つ子の親だから似たような問題を抱えているし、その経験談には興味深いものが多い。
話をする側としても、それを吐き出すことで泣いたり笑ったりできるし、泣いたり笑ったりしてももらえるので、下手に抱え込まずに済むというメリットがあった。
個人的にいいと思ったのは、そういう交流が、そこ限りであったことだ。
通級に通っていることを人に知られたくないという人もいるため、この場を超えての付き合いを敬遠する空気があったように思う。
その分、その場においては包み隠さぬ暴露っぷりで、それがとてもよかった。
割り切れる場があるということは、誰にとってもありがたい。
ただ、面倒だったのは、人数が少ないにもかかわらず普通の PTA 並みの役割を分担しなければならなかったことだ。
そして、人数が少ないので一度やったら免除というわけにもいかない。
長く通っていたら何度もやることになる。
選出されるのは、各グループの代表や会計、通級指導教室全体としての代表や会計、書記や図書係などだ。
恐ろしいことに、係となった者は、通常業務に加えて OB 会のような団体とのやりとりや、別の通級指導教室との連携、講演会の企画なども行わねばならなかった。
加えて、アンケートや署名活動を行って自治体や国に支援の拡充を訴えていくような大きな活動もあった。
つまりは、その活動をまとめる団体の代表、役員、書記、広報といった立場もまた、皆で分担しなければならなかった。
絶対数が少ない中でそれらの係を決めるのは、それはそれは大変だった。
大抵の人は、通級の日に子供に付き添うという困難を乗り越えるので精一杯である。
その上、月 1 で役員会があったり、イベントで駆り出されたり、あちらの世話こちらの世話と面倒ごとをやらされるのではたまらない。
講演会や支援の拡充の訴えも必要なのかもしれないが、通級に通っている人たちは、日々目の前の問題でいっぱいいっぱいなはずだ。
私は通級在籍中ずっと、負担を増やすのは本末転倒では? プラス α の活動は余裕のある人たちが有志でやればいいのでは? と思っていたが、何一つ変えることができなかった。
結局、仕組みや制度を変えていくほうが大変で、そんな余力がある人など、ほとんどいなかったのである。
さて、肝心の指導内容はどうであったか。
親として思ったことは、こうだ。
「幼稚園みたい・・・」
私以外にも、同じ感想を持っていた人は多い。
とりわけ、通級 1 年目の親は、「期待していたものと違う」という落胆が大きかったように思う。
私もそのひとりだ。
通級とは、「こういうときにはこう」「こういう場ではこう」といった、こういう子たちが失敗しがちなシーンでの対応や、求められるモラルといった、具体的で実用的なことが教え込まれ、身についていく場だと思っていたのだ。
ところが、待機室のモニターに写る指導の様子は、まるで幼稚園。
一言で言うなら、期待外れだった。
先生の話し方、接し方、行われているプログラム、どれもが幼稚園レベルだった。
見ていて、とてももどかしかった。
あんな姿勢になっている、話全然聞いてないけど注意してくれない、さっき言われたこともう忘れてるけど指摘してくれない、などなどなどなど。
だけど先生は怒らない。口調はずっと甘々。厳しいことも言わない。遊びのようなことばかりやらせている。まさに幼稚園だった。
体育の時間もあった。
順番を守る、みんなで成し遂げるといった「集団生活」という意味では、体育が一番学習っぽい時間であるように思えた。
夏にはプールの指導もあった。
しかしまあ、甘いので、うちの息子のように水に顔をつけようとしなくてもよしとされる。
潜らなければ取れないコインを拾い集めるゲームでも、ずるをして足で取っても怒られない。だめじゃん・・・。
そんな様子だったので、失望して通級を去った人もいる。
私も、これは授業を抜けてまで続ける価値があるのかと本気で悩んだ。
息子に通級について訊けば、「楽しい」「好き」と言う。
そりゃそうだろう。なんせ幼稚園だ。参考にならない・・・。
結局、私にはわからないプラスがあるに違いない、と無理矢理思うことにした。
次年度のことを決める面談では、引き続き指導を受けさせたいか、また受けさせる必要があるかといった話が担当の先生からなされるのだが、1 年通って言われたことは、「継続した支援の必要があると感じている」というものだった。
空きを待っている人がたくさんいる中、継続を勧められるのだからそうすべきなんだろうと思い、次年度も通うことにした。
4 年時の通級も同じ日程で組まれた。
メンバーもほぼ一緒。
先生は替わったが、先生の甘さやプログラムの内容は変わらない。
そしてこの年度、私は役割を担わされることになった。
余談だが、こちらで役員を引き受けたあと、所属校の役員決めがじゃんけんにまでもつれ込んだときは冷や汗をかいた。
パートタイマーの私でもそんなだったのに、毎日朝から晩まで働きながらも子供を通級に通わせている人たちの役員ストレスは、比ではないだろうなと思った。
年度末が近付いたとき、また面談が行われた。
私は、学校での様子が落ち着いていること、相変わらずここでの時間がプラスになっていると思えずにいることなどから、次年度について消極的である旨を伝えた。
すると、日数を減らしてみてはどうかと提案された。
2 週に 1 度のグループがあるので、そちらに切り替えてみてはどうかと。
つまり、支援をここでやめてしまうことはお勧めできないという判断だ。
ではそれでやってみようかと、次年度も通うことにした。
5 年時の通級は、2 週に 1 度、金曜日の午後。
メンバーは 4 人。
2 週に 1 度のグループは、待機室を使えない。
週 1 のグループが使っているからだ。
したがって、毎回空き部屋探しから始まった。
モニターもない。
話を聞く先生もいない。
保護者 4 人でくっちゃべって指導が終わるのを待つ。
要は、通級の卒業を前提としたグループということだ。
いつ誰が抜けてもおかしくない。
3 年の時も 4 年の時も、私は所属校の担任の先生に「通級に通い続ける必要があると思いますか?」と見解を訊いてきたが、先生たちは申し合わせたように「お答えできない」としか言ってくれなかった。
「学校での様子などはいくらでも教えられるので、判断はそちらでしてほしい」と言うのである。
個人の見解を口にしてはいけないという学校側の方針があったのかもしれない。
こちらとしては、近くで見ている人の見解は是非とも知りたいところであるのに、融通が利かずイライラしたものだ。
しかし、それでも懲りずに訊いてしまう。だって知りたいじゃないか。
5 年生になって数ヶ月、今度の担任にも同じ質問をした。
「必要ないと思います」
え・・・!?
「全然問題ないですよ」
待ってましたーーー!!
「今まで誰も言ってくれなかったんですよ!『こちらからは言えない』とか言って!」
「え、そうなんですか? 言っちゃいましたね。やばかったのかな・・・」
「いいえ! その言葉を待ってました! すぐにやめます!」
息子にそのことを告げると、息子は「まあねぇ」と言った。
「人数も減ってやれることも減っちゃったし、2 週に 1 度だとあんまり仲良くもなれないし、ぶっちゃけ、もう行かなくてもいい」
よっしゃーーー!!
私はすぐに通級に電話をかけた。
所属校の担任の先生にも報告をする。
「はや!!」
「やめたいと思っていたので、いい後押しになりました」
「やばいな・・・言ってよかったのかな・・・」
「もちろんです! ありがとうございました!」
先生があとでお叱りを受けたかは知らない。
しかし、学校側が先生の見解を封じることには断固反対したい。
親は、子供と一緒にいすぎて特性に慣れてしまっているため、自分の判断にいまひとつ自信を持ちきれずにいる。
それゆえ、多くの子供を見ている人、とりわけ近くで長く見てくれている人の客観的な評価は、極めて重要なのだ。
学校は、学校側の責任を気にしてばかりいないで、もっと柔軟に対応すべきだと思う。
かくして 2 年半に及ぶ通級指導教室が終了した。
息子は今(2021 年)中学生だが、「通級行く意味あった?」と訊くと、こう答える。
「あった」「楽しかった」「息抜きになった」「支えになってた」と。
そうか、支えになってたのか・・・。
「じゃあ、役に立った?」と訊くと、
「立った」「あれでなかなか勉強になってたんだよ」と言う。
遊びを通して、人との接し方などを学べたという思いが本人にはあるらしい。
そうか、学んでいたのか・・・。
安易に奪わなくてよかった。
「成果」には、目に見えるものだけではなく、記憶や経験として刻まれて気付かないうちに役立ったり影響を受けたりするものもあるのだということを、私たちはわかっている。
わかっているのに、つい先を急いでしまうのよね・・・。
焦りや戸惑いが生じたとき、医師の予言のように、それは大丈夫と信じられるものがあったら、どれだけ心強いだろう。
だけど、時が過ぎて思うのは、もし目の前の子が笑えていたなら、それはきっと間違いではないということ。
「あのときはよかったなぁ」と楽しげに昔を思い出されてごらんなさいよ。間違いであったはずがない。
焦りも迷いも不満もあったけど、負けなくてよかった、やり切ってよかった、と心底思った。
まさに、短気は損気、急がば回れである。
つづく。