歯列矯正 -06 マウスピース編(7/52個目)

本格的にマウスピース矯正が始まっておよそ2ヶ月。
明日からは7個目のマウスピースに突入するというタイミングで、定期検診の予約を入れた。
定期検診は、1.5~2ヶ月ごとに行い、その度に5000円+税の支払いが発生する。
この額は、昔旦那が歯列矯正をしていた頃と同額なので、そういう決まりでもあるのかな?

医者は、私に会うなり「抜歯の際は失礼しました」と言った。
え、まだそれ引きずるの?と驚いたが、昨年において最も大変な出来事だったらしい。
ということはすなわち、できたてのこの歯科医院にとって、最悪の出来事だったということだ。
よ、喜ぶべき・・・?

マウスピースをはずすと、まずは助手がクリーニングをしてくれた。
ほうほう、定期検診の度に、クリーニングをしてもらえるのか。
お掃除だけではなく、色素汚れも磨いてくれている。
ありがたや・・・。
マウスピースをしている間は水しか摂取していないし、マウスピースで覆われているから色素汚れなんて、と思ったが、使用済みマウスピースが新品マウスピースと比べて色味があることを思えば、同じだけ歯も染められているんだろうなと想像が付いた。
大事だな・・・定期検診。

肝心の矯正の進み具合は、バッチリだった。
いつものシミュレーション画像を今回も見る。
「始める前はこれで・・・今はこれです」
おお、だいぶ違うじゃないか!
やはり成果が目に見えるほうがやりがいがある。
「次に来てもらうのは11枚目あたりなので・・・ここまで変わります」
おお・・・すごいなシミュレーション。

こんな感じで定期的に通うということになるらしいが、多少動き方にズレが出てくることもあると言う。
なので、17~18枚目あたりで再度歯形をとって、必要であればその先のマウスピースを作り直すことになるらしい。
えええ・・・じゃあ、今ある52枚目までのマウスピースは、ゴミになっちゃうの?
もったいねぇ・・・。
かといって誰も使えねー。

というわけで、次は5月あたり。
ちなみに、今一番大変なのは、食べること
もっと噛んで食べたいのに、挟まって気持ち悪いのと噛み合わせが悪くてちっとも噛めないのとで、飲み込んでばかりいる。
従って全然味わえない。
これはいつ頃解消されるのか・・・。
緊急事態宣言が解除されたって、この事態が解消されないうちは私は外食できそうにないな、と思う。

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発達障害 -12 中学校

息子は、小学 5 年生の途中で通級を卒業してから、療育などで支援を受けることはなくなった。
そして、2021 年春には高校生になる。
とはいえ、中学時代に何も問題がなかったわけではない。
それ以前に比べれば些細なことではあるが、参考までに書いておこうと思う。

まず、彼は新品のジャージの膝を、初日に破いた
相当燥いでいたのか、どうやら膝スライディングをしたらしい。
状況はさっぱりわからない。
ただ、やりかねないと思ったし、やっても不思議ではないというか、そうきたかという感じではあった。
しかしながら、怒りもあったので、「この破れたジャージを 3 年間着なさい」と叱り、本当にそうした。

次に、彼は夏の制服の膝を、衣替えをした直後に破いた
笑うしかない。おまえはジャージで散々叱られたのにまだ破り足りないのか。
「裁縫」=「ボタン付け or 靴下の穴塞ぎ」である私に、膝の穴を覆い隠すなどという高度な補修ができるはずもない。
できるはずもないが、やらないわけにもいかない。
苦労の末、膝は、昔の漫画に出てきそうな見事なツギハギに仕上がった。
ふと気になって、先月まで着ていた冬の制服の膝を確認すると、テカテカにすり減っている。
なるほど、生地が厚くて助かった。
いや、そういう問題ではない。
おのれ小僧、この破れた制服も破れそうな制服も、3 年間着てもらうからな。
で、本当にそうした。

膝の次に狙われたのは、ボタンだ。
最初に取れてしまったときは、もともと縫い付けが甘かったのかもしれないと思い、私が付け直してやっていたのだが、しっかりと縫い付けたにもかかわらず数日後にまた取れ、再び直しても今度は 2 個いっぺんに取れたり、果ては 3 個全部が取れてしまったりして、これは違うぞと気が付いた。
しかし、息子が何ぞやらかしていることは間違いないのが、何をやらかしているのかは本人に自覚がないためわからない。
さすがに面倒になり、「自分で付けろ!」と突っぱねて、息子に付け直しをさせた。
小学校時代に家庭科でボタン付けの実習があったことは知っている。
とはいえ不器用で、出来映えは「なんじゃそりゃ!?」であったが、構うものか。自分の尻拭いは自分でするべきである。
ところが、その尻拭いが抑止力になることはなく、ボタン全部取れちゃう事件はその後も繰り返されていく。
おかげで、縫い付けるスピードはだいぶ速くなった。
ちがう、学習してほしかったのはそれではない・・・。

目に見えて身長が伸び始めた頃、「靴が痛いんだよね」と訴えてきた。
「今はかかと踏んでる」などと言う。
感覚が鈍いのか、昔から靴のサイズが小さくなってもちっとも報告しない子だったので、私がマメに気に掛けるようにしてはいたのだが、今回はこんな早期に、しかも自分から言ってきたなと思ったら・・・
「うわ!!」
靴擦れなんてもんじゃない、靴剥けとでも言おうか、真皮までズルリといってしまっている。
こんなの痛いに決まってる。
こんなになるまで何も言わないのが何故なのかはわからない。
そこまで痛みに鈍いのか、気にならないのか、面倒なのか・・・。
靴は即買い直し、靴剥けにはキズパワーパッドを貼ってやった。
「これすげえ! 痛くない!」
息子はキズパワーパッドを絶賛し、普通に靴を履けるようになったことを喜んでいる。
あのな、靴は普通、普通に履けるものなんだよ・・・。

洗いに出されていたズボンの膝に結構な血が付いていたことがある。
「あんた怪我してない?」と訊くと、何やらごにょごにょ言って誤魔化している。
とっつかまえて膝を見ると、
「うわ!!」
またしても強烈な怪我が、洗い流されもしないまま、泥を巻き込んでぐじゅぐじゅになっていた。
言いたいことしかない。
しかし、洗うことも処置することも報告することもせず隠し通そうとしていたのだから、どこから指摘したらいいのかわからない。
私が何事もギャンギャン言うから、これを言ったら怒られるとでも思ったのだろう。
この子には、今今の自分にとって楽な道を選ぶという習性がある。
あとで痛い目を見るとわかっていてもそうしてしまうのは、先のことを想像する力が弱いという発達障害の特性ゆえなのかもしれないが、「じゃあ仕方がない」というわけにもいかない。
「傷、ましてやこんな汚れた傷をそのままにしておくなんて、場合によっては命に関わる」と言って聞かせた。
食い込んでしまっているドロを取り除き、消毒をして・・・という作業に息子が悲鳴を上げるたび、「怪我した直後にやっていればこんなことにはなっていない」と言ってやる。
その後も、痛がるたびに、「酷い状態で放置していたからだ」としつこく言った。
学習できたかはわからない。
手応えはないが、繰り返していくしかないのかなと思う。

中学時代に起きたあれこれは、個人的なことに留まらない。
中学校という新しい場所でのきまりごとを理解できていなかったために起こったこともある。
定期テストだ。
とはいえ、模試や受験を経験してきたのだから、そういう場におけるルールはわかっていたはずだ。
しかし、それらとは大きく違う要素があった。
そこがいつもの教室で、周りがいつものメンバーだったことだ。
つまり、緊張感としては小学校でのテストと同等であったと推測できる。
そこで息子は、テスト中に隣の席の子に話しかけてしまった
小学校でもそれはいかんと思うが、たとえ見逃してもらえていたのだとしても、中学校ではそうはいかない。
行為は試験官に見つかり、不正行為として学校に報告され、私をも巻き込んだ事件へと発展した。
数日にわたる謹慎処分のあと、校長や生活指導の先生たちから親子揃って説教をされ、もうしませんと誓約書にサインまでさせられた。
不正行為というか、わかってなかっただけなんだけどなぁ、と私は思った。
定期テストなんてお堅いものは初めて受けるのだから、決まり事とか最初に教えてくれたらよかったじゃん?
わかっていて当然と思うのかな? でもなんで当然? 誰か教えた?
うちの息子は、教わりもしないものを空気読んで悟ったりしないよ?
不正行為としてこんなにも厳しく取り締まらなければならない重要なことなら、なんで最初に説明してくれなかったのだろう。
「申し訳ございませんでした」と書かされたけど、こちらこそ謝ってもらいたかった。

なお、息子はいじめのない学校生活を目指して中学受験を頑張ったわけだが、いじめというほどではなくても、嫌がらせやちょっかいはちょいちょいあったようだ。
「ちょっと変わっている」というのは、どうしても標的になりやすい
しかし、ちょっかい程度でも嫌だと言うので、私はこう言った。
「ちょっかい出すのが虚しいと思えるほど、高みに行けばいい」
中途半端に手の届く位置にいるから、邪魔したり意地悪したりして困らせてやろうと思われるのだ。おまえは、そいつが足元にも及ばないくらい上の人になってしまえ。そうして、相手してらんないんですけど? と見下してやれ。デキるヤツは一目置かれるから、周りも先生もおまえの味方になる。おまえにちょっかい出すのは面白くない、分が悪い、と思わせてやれ。
妥当とは言い難い助言である。
けど、私にしては穏当だ。
以後、それゆえに(かどうかはわからないが)息子は勉強を頑張り、上位の成績をキープし続け、いわゆる「デキる子」として周囲に認識されるようになった。
おかげさまで(かどうかはわからないが)ちょっかいはその後静まっていく。
息子も、その頃には仲良しグループができ、関心は徐々にそちらへ移行。
すると、目に見えて成績が下がってくるわけだが、すでに仲間がいるので不安はない。
たとえ嫌がらせを受けたとしても、彼らが味方になってくれる。
ちなみに、一度付いた「デキる子」というイメージは成績が下がっても失われず、試験のたびに本物のデキる子にライバル視されたり、個別面談のたびに先生に「もっとできるだろう」と言われたりすることになるのだが、本人は全く気にしなかった。
楽しく過ごせればそれでいいようである。
異論はない。

中学校生活は、だいたいそんな感じで過ぎていった。
なお、彼が中学生になって一番始めに特技(特性)を発揮したのは、バスだった。
バス通学の彼は、乗車する区間のバスアナウンスをすべて暗記した。
会社などの住所や電話番号に至るまで、一言一句違えず、すべて。
入学して間もない頃のことだ。
興味を持つということが彼のスイッチで、それが入ったときに彼がみせる業は、到底凡人では成し得ない。
将来何かスゴイことに興味を持ってくれたら面白いことになるんじゃないか!? とつい思ってしまうが、今のところそんな気配は全くない。
最近では、歌のメロディーと歌詞、ドラマやアニメの台詞なんかを、異常な感度で取り込んで、ひとりで再生(実演)して楽しんでいる。
まあ、その特技がいずれ何かの役に立てば儲けもの、くらいに思っておくのが正解かなと思う。
とりあえず、やかましい(笑)

さて、いよいよ高校生だ。
せめて、制服を破らないという成長が見られますように。

つづく。

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発達障害 -11 告知?

発達障害関連の本を読むと、告知は極めて大事だとか、慎重にするべきだとか書いてある。
なので私も、「そうなのか」と思って過ごしてきたが、今となっては「そうだろうか」と思えてならない。
なぜなら、私は告知をしなかった。
というか、告知をする必要がなかった

私は一般的なお母さんとは違う。
息子の中学校で、「自分を知る」という名目で行われた自己分析(性格判断)調査でもはっきり出たが、いわゆる「優しさ」が欠落しているのだ。
「協調性」の数値もかなり低い。
その分、「厳しさ」や「論理思考」「明るさ」などが極めて高くなっている。
その上、独特の価値観と信念を貫く INTJ だ。
一般的でないどころか、よくお母さんをやれているなぁとさえ思う。
私は無償の愛を提供する温かな存在ではないし、見本にしてはならないほど社会性に乏しい人間だ。
けど、それを欠点だとも思わない。

私は、息子が幼かろうが発達障害だろうが、ありのままの私でい続けた。
私は、息子が何かやらかすたびに、大人げもなく大騒ぎし、私が被る苦労を嘆いて顔を歪め、文句を言いながら渋々後始末をした。
不平不満不機嫌の類いを子どもに見せるべきではない、などと思ったことはないし、逆に、すばらしいと思ったときには、対象が人でも物でも自分でも、これでもかというほど褒めちぎった。同じことでも、話題に上るたびに何度だって熱を込めて褒めた。
相手の気持ちを察するのが苦手な特性がある子にとって日本のお察しください文化は酷だという思いもあったため、多少は意識的に表に出したところもあったかもしれないが・・・。
なんにせよ、私はこの十数年、ここぞとばかりに堂々と「一般的なお母さん」を放棄し、思考を恥ずかしげもなく垂れ流し、全身で喜怒哀楽を表現しながら、「お母さん」をやってきたのである。
それが息子に、「この人は正直すぎて面倒臭いが、わかりやすい」とでも思ってもらえていたならばしてやったりだ。

伝えたいことや伝えるべきことは、日常にいくらでもある。
いくらでもあるのだから、わざわざ「大事な話」などと身構えるより、私は日々にちりばめて伝えたい
何だって教えてやるから、逐一学んでほしい。
日常のすべてがタイミングだ。
私はそう思っている。

というわけで、私は息子の特性についても、日頃から容赦なく指摘をしてきた。
だから、わざわざ改めて教えなくても息子はわかっているのだと思う。
自分が、いわゆる「普通」ではないということを。
テレビで発達障害の特番があったりすると、私は「これは見とけ」と視聴を促す。
息子は「あー」と言う。
以前、その自覚をそれとなく訊いてみたことがあるが、返事はこうだった。
「まあねぇ」
それで十分だと思う。
自分は「障害」なのだと、深刻に捉える必要なんてない
また、深刻に捉えさせる必要もない。

そもそも、私には、境目のはっきりしないグラデーションのような症状をどこで線引きするのかがわからないし、線引きをする必要があるのかさえわからない。
程度の差こそあれ、誰にでも特徴的な部分はあるはずで、そのひとつひとつを「これは障害か?」と考えることなどまずないのに、ほんの少しそれが際立っていたら「障害」として線引きをするというのは、おかしくないか。
難があるなら、それについての対処を学ぶ。
線を引こうと引かなかろうと、やれることは同じだ。
なら、なぜ線を引くのだろう
どうして分けたがるのだろう。

ちょっと変わってる子なんて、昔からたくさんいたではないか。
「あいつ変わってるなー」で済んでたじゃない。
それを「障害」として区別してしまったら、途端に変わってしまうんだよ。
周りも。本人も。
見る目が変わるし、不要に傷付いてしまう。
もちろん、気付きや対処はとても大事だ。
でも、わざわざレッテルを貼る必要はないのではないか。
そんな区別よりも、息子の中学校で行われた自己分析調査のように、全員が自分自身を知ることのほうが有用なのではないか。
やってみればわかるが、誰にだって得手不得手はあるし、長所も短所もあるのだ。
その十人十色の折れ線グラフや円グラフをみんなで見せ合えば、多様な個性への気付きや理解にも繋がる
キミは「普通」、キミは「障害」と、どこで分けるのか、そもそも引く必要などあるのか、きっと疑問に思うだろう。
そういったことをすべての子供たちに経験させてあげられたらなら、無用で無益な慣習など、自然と消えていくのではなかろうか。

今回のタイトルの「?」には、そういった思いも込められている。
そんなに身構えなくてもいいんじゃないの? わざわざ大ごとにしなくてもいいんじゃないの? という。
ただ、隠し通すことだけはやってはいけない
大事なのは、自分の特性を知り、それに対処できるようになることなのだから。
保護者として護ることばかり考えていてはいけない。
子どもに自分の力で生きていくための社会性を身に付けさせてやることこそが、親の仕事だ。
私は息子に、「おまえはそこがダメなんだから工夫をしないといかんよ」と事あるごとに指摘をしてきたが、「わかってんだよ」と返されるようになってきたことを喜ばしく思っている。
言われなくとも自ら工夫するようになることが最終目標ではあるが、中学時代の私がそこまでできていたかといえばそうではないので、そこは焦らない
まずは、自覚があればいい
自分には工夫が必要なんだということをわかっていればいい

息子は最近(2021 年、15 才)、表現がストレート過ぎる私を面白がるだけでなく、呆れ顔で「およしなさい」「落ち着け」などと諭したりもするようになった。
人を客観視できるようになるとは大した進歩である。
そうなのだよ。ダメなところがあるのはキミだけではないのだよ。
無論、子どもだけでもない。
自尊心をもって前に進んでいってくれればと思う。

つづく。

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発達障害 -10 中学受験

小学 5 年生の始めに、前年度まで同じ通級指導教室を利用していた人と、卒業後の進路について話をする機会があった。
聞けば、その人の息子さんは私立の中学校に進んだという。
もともとは受験をさせようとは思っていなかったらしいが、環境を変えられるこの機に、うまくいっていない人間関係や偏見をリセットし、再スタートしたほうがいいのではないかということになったらしい。
息子さんも、その気になって塾通いを頑張ったのだそうだ。
今は電車に乗って楽しく登校していると教えてくれた。
中学受験なんて全く考えていなかったので寝耳に水だったが、なるほど、そういう考え方もあるかもしれないな、と思った。

うちの息子は、どちらかといえばいじめられっ子だ。
除け者にされたり意地悪をされたり、年下の子にさえ追い回されている。
しかし、なんだかんだ一緒に遊んでいるし、悩みをひとりで抱え込んでしまうようなこともなかったので、さほど問題視してこなかった。
ところが、改めて息子が進学することになる公立中学校について調べてみると、まるでいい話が出てこない。
その荒れっぷりが近隣では有名だということも、遅まきながら初めて知った。
偶然にも私の勤め先にアルバイトとして入って来たその中学校の卒業生に、「そんなに酷いの?」と訊いてみれば、「酷いっすね」と即答される始末。
これはさすがに真剣に考えなければいけないのではないかと思い、息子に相談してみた。
「あんたが行くことになる中学校は、だいぶ荒れているようだ。でも、友達の大半はそこへ通うし、家からも近い。そこへ行かずに私立の中学校に行くこともできるけど、友達とは別れることになるし、家からも遠い、何より受験をしなければならない。あんたはどうしたい?」
「いじめがあるのはいやだ」
「受験をするということか」
「する」
そういうことなら、とっとと動かなければならない。

私立中学校の情報を得るために、分厚い本を買い、合同説明会に足を運び、資料とにらめっこする日々が始まった。
また、私立中学の受験では、中学校で習うことを小学校のやり方で不自然に解かせる特殊な問題が当たり前に出題されるから、学校の勉強ができるだけでは太刀打ちできず、塾通いが必須であるということもわかった。
近隣の塾に探りを入れて、どこに通わせるか早急に検討しなければならない。
ちょうど、通級指導教室の卒業を決めた頃だった。
その時間を塾に充てられると思った。

塾はすぐに決まったが、塾長には「遅いです」と言われた。
私立中学の受験に、5 年生の夏から勉強するのでは遅いと言うのだ。
しかし、その遅れを挽回しようとしてくれたのか、塾はとびきりの先生を息子の担当にしてくれたのである。
東大卒の元中学校数学教師だ。
しかも大ベテラン。
現役引退後に塾のお手伝いをしてくれている、塾にとってもありがたい、神的な存在の先生だった。
息子はその先生に、算数のみならず他教科も、すべてマンツーマンで教えてもらえることになった。
学習環境は万全である。
あとは息子がどこまでやれるかだ。

先生は実にすばらしい人で、知識や教え方はもちろん、人柄や考え方までもが尊敬に値した。
先生は、息子の得手不得手を短期間ですっかり見抜いて、常に的確なアドバイスをくれた。
息子の変わりっぷりも、「面白いですよ」と楽しんでくれた。
加えて、そういった特性を「大事にするべき」と言ってくれた。
まさに、この上ない先生だった。
息子は、おだてられも呆れられもせず、必要なことを最短ルートでガンガン教え込まれた。
そうして休憩時間には、塾にある学習漫画を床に座り込んで読んだ。
席で読むよう何十回注意しても直らなかったと聞いている。
つまり塾は、注意はしても強制はしなかったのだろう。
塾での時間は、息子にとって価値のあるものだったと思う。

しかしここで、私は頑張る息子の姿に大きな見落としをしてしまう。
息子が発達障害であることを忘れたことなどないが、その行動が彼の意思であるのか特性であるのか判断が難しい場合もあって、それを読み誤ってしまったのだ。
すなわち、受験をすると決めたのは息子なのだから、頑張っているのは息子の意思だろう、と安直に思ってしまったのである。
塾はスタートの遅れを取り戻そうと、盛り盛りのプランを組んでくる。
夏休みもほぼ返上。
通級に通っていた時間を充てようと思っていた私は甘すぎで、毎週その 2 ~ 3 倍の時間を作り出す必要があった。
息子は頑張った。
文句も言わずに大量の宿題をやり、放課後も休日も塾のために失った
机に向かいながら、「遊びに行きたい」と口にしたときの息子の様子は忘れない。
「でもまだ終わっていないよ」と返すと、彼はポロポロと涙を流して
「じゃあぼくはいつ遊べばいいんだよ」と言ったのだ。
私は、はっとした。
私はこの子に何をさせているのだろうと思った。
遊ぶことこそが子供の仕事なのに、今しかできないことをさせずに、何をさせているのだろう。
卒業までの残り少ない貴重な時間に、友達と過ごさせてやれないなんて・・・。
このときになってようやく気付いたのだ。
これは彼の意思じゃない、特性だったのだと。
決められたことを愚直に守ろうとしていたに過ぎないのだと。
そこに意思がなかったとは言わない。
けれど、泣くほど辛くてもやり抜いてしまうのは、子供の意思にしてはあまりに強く、痛々しい。
もう少し大きくなれば反抗もできるようになるが、この時期はまだ言われたことが絶対で、ただ従うばかりだ。
帰ってくるなと叱ったら、本当に帰ってこなくなるような子なのだ。
出て行けと言われて、本当に出て行ってしまうような子なのだ。
知っていたのに、私は見誤ってしまった。
だけど、「やらなくていいよ」と言ってあげることはできなかった。
ここでやめてしまったら、これまでの苦労が水の泡になってしまうからだ。
いじめのない学校に行きたいという彼の希望は叶えてあげなければならない。
絶対に叶えてあげなければいけない。

この頃、志望校はまだ定まっていなかった。
けど、私は、彼がのびのびと過ごせるならどこだっていいと思うようになっていた。
もともと、「ここ」と思う学校があったわけではない。
ただ、塾通いを始めた頃、「成績が低めのところに楽々入るのと、賢い人たちが集まるところに頑張って入るのと、どっちがいい?」という私の質問に、「賢いほう」と息子が即答したことは、私にとって大きかった。
その希望も叶えなければ、と思ってしまった。
それゆえ、塾からの提案も丸ごと受け入れた。
でも、それは息子の本当の答えだったのだろうか。
息子は、「どっちがいい?」と問われたから一方を選んだだけかもしれないし、その選択だって、私の質問が「頑張って入る」ではなく「遊ぶ時間を削って入る」であったなら、違っていたかもしれない。
多くの学校の中から志望校を決めるにあたり、選択肢を狭めていくことは重要だ。
けど、その最初の一手として学校のランクを持ち出したのは浅はかだったと思う。
だって、これは何のための受験だったか。
息子は、何のために頑張ろうとしていたのか。

私は、選択は息子自身にさせてきた。
けれど、私はフェアではなかった。
偏った情報で選択させ、覚悟もなく失わせた掛け替えのないものたちが、惜しくて、惜しくて、堪らない。
この虐待は、起こるかどうかもわからないいじめよりマシだと言えるのか。
未知の災難を回避するために今を蝕むことが正しいと言えるのか。
この子に災いをもたらしているのは、むしろ私ではないのか。
受験なんてしなくてよかった。もっと遊んでいればよかったのだ。ずっと遊んでいればよかったのだ。
でもそれは言えない。
大事な時間を犠牲にし、信じて頑張ってきた息子にそれを言ってはいけない。
努力が実を結び、自分の力でいじめのない未来を勝ち取る喜びを味わわせてやらなければいけない。
受験をしてよかった、この学校を選んでよかったと思わせてあげなければいけない。
しかしこの段に来て、私にできることなどほとんどない。
私は何もしてあげられない。
だから、ただただ励ました。
「あんたはものすごく頑張っている」
「あんたは偉い」
「努力は絶対に無駄にはならない」
「楽しい未来が待っている」

最終的に、息子がだいぶレベルの低い学校を選んだときも、私は何も言わなかった。
息子は、自分がのびのびとしていられる場所を、自分で選んだのだ。
もとより、そのための受験だった。
意思であれ特性であれ、苦難を乗り越えたのは息子だ。
息子は、自分の力で道を切り開いたのだ。
目的は、十分に達成された。

合格発表で自分の番号を見つけたときの息子の笑顔は、最っ高だった。
おめでとう! おめでとう!
あんたは超頑張った!!
ほんっとうに偉かった!!
努力してきてよかったな!!
さあ、存分に楽しめ!!

つづく。

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発達障害 -09 通級指導教室

通級指導教室がある学校は少ない。
そのため、受け入れられる子供の数も少ない。
ところが、需要は多いため、大抵の場合は空きを待つことになる。
うちの場合もそうだった。
申し込んでから 1 年近く待ったと思う。
最初に空きが出たと連絡をもらったときは年度の途中だった。
クラス構成は何人で、何年生の子と一緒で、曜日と時間はこうで・・・と説明をされ、それでよければすぐに手続きを進めるし、途中参加はちょっとということであれば、次年度からにすることもできると言われた。
このときに参加していれば、待ち期間としては数ヶ月だったかもしれない。
けど、2 年生になって相性のいい担任のもと、だいぶ落ち着きを取り戻しているところだったので、次年度からでお願いすることにしたのだ。

いよいよ申し込むという段には、それなりに葛藤もあった。
指定された通級指導教室がある小学校は、そこそこ遠い
そこへ通うためには、授業を途中で抜け出す必要がある
学習面の心配もあるが、それ以上に、途中で抜けることが他の子たちにどう思われるか不安だった。
通級には、そういったリスクに見合うだけの価値や効果があるのだろうか?
「正直悩んでいる」と校長に伝えると、校長は「学校としては、是非行って欲しいと思っている」と言った。
そして、熱く語ったのである。
「行く価値があるかどうかは、行ってから考えればいい。今あなたが手にしているものは、チャンスだ。それが欲しくてたまらない人はたくさんいる。ぜひ活かしてほしい。行ってみておかしいと思ったら、いつでもやめて構わない。正直に言うと、学校としても通級とのパイプが欲しい。あなたが行くことでそれを手に入れることができる。専門的な学習をする機会が得られることは、先生たちにとっても大きなプラスだ」
こりゃ行くしかないと思った。

3 年生になり、いよいよ通級が始まった。
希望者が多いため、最多でも週 1 回しか通うことはできない。
息子は水曜日の午後のグループになった。
私は毎週水曜日、小学校まで自転車で息子を迎えに行き、4 時間目の途中で抜け出させて自宅で早めの昼ご飯を食べさせ、バスと電車を乗り継いで、約 10 km 離れた別の小学校まで息子を連れて行った。
いつもギリギリセーフだった。
それゆえ、自転車を封じられる雨の日は地獄であった。
なお、授業を途中で抜け出すときは、堂々と出るという方法をとった。
あらかじめ担任と話し合って決めたことだが、子供たちのノリは大変よろしく、教室を覗き込む私の顔を見つけると「あ! 迎え来たよ!」「行ってらっしゃーい!」「ばいばーい!」「最初はグー! じゃんけんポーン!」と、毎回明るく元気に送り出してくれた。
授業が中断されてしまうので、私は毎度先生に深々と頭を下げたが、おかげさまで息子はいつもニコニコと教室を出ることができた。
抜け出す理由として先生は、「特別に勉強したいことがあって、別の学校にも通っている」と説明したらしい。
なのでたまに「何勉強してんの?」「向こうの勉強難しい?」などと訊かれることがあったようだが、息子は「いろいろ」「難しくない」と答えて事なきを得ていたようである。

通級の 1 クラスは、6 名ほど。
各クラスは、同じ学年と、ひとつ違いの学年との 2 学年混合で編成されていた。
もう何年も通っている子もいれば、うちのように初めての子もいる。
彼らが教室で指導を受けている間、保護者は別室(待機室)においてその様子をモニターで見ながら、この 1 週間の出来事や相談事などを順番に報告した。
待機室には聞き役の先生がひとりいて、その報告を細かくノートに書き込む。
子供たちを指導する先生と一緒に、2 人で 1 クラスを担当するという仕組みだった。
指導が終わると、指導していた先生が待機室に入ってきて、その日の報告をしてくれる。
そのようなことが、年間 30 回くらい繰り返された。

待機室には、親同士の交流の場という役割もあった。
同じ程度の障害を持つ子の親だから似たような問題を抱えているし、その経験談には興味深いものが多い。
話をする側としても、それを吐き出すことで泣いたり笑ったりできるし、泣いたり笑ったりしてももらえるので、下手に抱え込まずに済むというメリットがあった。
個人的にいいと思ったのは、そういう交流が、そこ限りであったことだ。
通級に通っていることを人に知られたくないという人もいるため、この場を超えての付き合いを敬遠する空気があったように思う。
その分、その場においては包み隠さぬ暴露っぷりで、それがとてもよかった。
割り切れる場があるということは、誰にとってもありがたい。

ただ、面倒だったのは、人数が少ないにもかかわらず普通の PTA 並みの役割を分担しなければならなかったことだ。
そして、人数が少ないので一度やったら免除というわけにもいかない。
長く通っていたら何度もやることになる。
選出されるのは、各グループの代表や会計、通級指導教室全体としての代表や会計、書記や図書係などだ。
恐ろしいことに、係となった者は、通常業務に加えて OB 会のような団体とのやりとりや、別の通級指導教室との連携、講演会の企画なども行わねばならなかった。
加えて、アンケートや署名活動を行って自治体や国に支援の拡充を訴えていくような大きな活動もあった。
つまりは、その活動をまとめる団体の代表、役員、書記、広報といった立場もまた、皆で分担しなければならなかった。
絶対数が少ない中でそれらの係を決めるのは、それはそれは大変だった。
大抵の人は、通級の日に子供に付き添うという困難を乗り越えるので精一杯である。
その上、月 1 で役員会があったり、イベントで駆り出されたり、あちらの世話こちらの世話と面倒ごとをやらされるのではたまらない。
講演会や支援の拡充の訴えも必要なのかもしれないが、通級に通っている人たちは、日々目の前の問題でいっぱいいっぱいなはずだ。
私は通級在籍中ずっと、負担を増やすのは本末転倒では? プラス α の活動は余裕のある人たちが有志でやればいいのでは? と思っていたが、何一つ変えることができなかった。
結局、仕組みや制度を変えていくほうが大変で、そんな余力がある人など、ほとんどいなかったのである。

さて、肝心の指導内容はどうであったか。
親として思ったことは、こうだ。
「幼稚園みたい・・・」
私以外にも、同じ感想を持っていた人は多い。
とりわけ、通級 1 年目の親は、「期待していたものと違う」という落胆が大きかったように思う。
私もそのひとりだ。
通級とは、「こういうときにはこう」「こういう場ではこう」といった、こういう子たちが失敗しがちなシーンでの対応や、求められるモラルといった、具体的で実用的なことが教え込まれ、身についていく場だと思っていたのだ。
ところが、待機室のモニターに写る指導の様子は、まるで幼稚園
一言で言うなら、期待外れだった。
先生の話し方、接し方、行われているプログラム、どれもが幼稚園レベルだった。
見ていて、とてももどかしかった。
あんな姿勢になっている、話全然聞いてないけど注意してくれない、さっき言われたこともう忘れてるけど指摘してくれない、などなどなどなど。
だけど先生は怒らない。口調はずっと甘々。厳しいことも言わない。遊びのようなことばかりやらせている。まさに幼稚園だった。
体育の時間もあった。
順番を守る、みんなで成し遂げるといった「集団生活」という意味では、体育が一番学習っぽい時間であるように思えた。
夏にはプールの指導もあった。
しかしまあ、甘いので、うちの息子のように水に顔をつけようとしなくてもよしとされる。
潜らなければ取れないコインを拾い集めるゲームでも、ずるをして足で取っても怒られない。だめじゃん・・・。

そんな様子だったので、失望して通級を去った人もいる。
私も、これは授業を抜けてまで続ける価値があるのかと本気で悩んだ
息子に通級について訊けば、「楽しい」「好き」と言う。
そりゃそうだろう。なんせ幼稚園だ。参考にならない・・・。
結局、私にはわからないプラスがあるに違いない、と無理矢理思うことにした。
次年度のことを決める面談では、引き続き指導を受けさせたいか、また受けさせる必要があるかといった話が担当の先生からなされるのだが、1 年通って言われたことは、「継続した支援の必要があると感じている」というものだった。
空きを待っている人がたくさんいる中、継続を勧められるのだからそうすべきなんだろうと思い、次年度も通うことにした。

4 年時の通級も同じ日程で組まれた。
メンバーもほぼ一緒。
先生は替わったが、先生の甘さやプログラムの内容は変わらない。
そしてこの年度、私は役割を担わされることになった。
余談だが、こちらで役員を引き受けたあと、所属校の役員決めがじゃんけんにまでもつれ込んだときは冷や汗をかいた。
パートタイマーの私でもそんなだったのに、毎日朝から晩まで働きながらも子供を通級に通わせている人たちの役員ストレスは、比ではないだろうなと思った。

年度末が近付いたとき、また面談が行われた。
私は、学校での様子が落ち着いていること、相変わらずここでの時間がプラスになっていると思えずにいることなどから、次年度について消極的である旨を伝えた。
すると、日数を減らしてみてはどうかと提案された。
2 週に 1 度のグループがあるので、そちらに切り替えてみてはどうかと。
つまり、支援をここでやめてしまうことはお勧めできないという判断だ。
ではそれでやってみようかと、次年度も通うことにした。

5 年時の通級は、2 週に 1 度、金曜日の午後。
メンバーは 4 人。
2 週に 1 度のグループは、待機室を使えない。
週 1 のグループが使っているからだ。
したがって、毎回空き部屋探しから始まった。
モニターもない。
話を聞く先生もいない。
保護者 4 人でくっちゃべって指導が終わるのを待つ。
要は、通級の卒業を前提としたグループということだ。
いつ誰が抜けてもおかしくない。
3 年の時も 4 年の時も、私は所属校の担任の先生に「通級に通い続ける必要があると思いますか?」と見解を訊いてきたが、先生たちは申し合わせたように「お答えできない」としか言ってくれなかった。
「学校での様子などはいくらでも教えられるので、判断はそちらでしてほしい」と言うのである。
個人の見解を口にしてはいけないという学校側の方針があったのかもしれない。
こちらとしては、近くで見ている人の見解は是非とも知りたいところであるのに、融通が利かずイライラしたものだ。
しかし、それでも懲りずに訊いてしまう。だって知りたいじゃないか。
5 年生になって数ヶ月、今度の担任にも同じ質問をした。
「必要ないと思います」
え・・・!?
「全然問題ないですよ」
待ってましたーーー!!
「今まで誰も言ってくれなかったんですよ!『こちらからは言えない』とか言って!」
「え、そうなんですか? 言っちゃいましたね。やばかったのかな・・・」
「いいえ! その言葉を待ってました! すぐにやめます!」
息子にそのことを告げると、息子は「まあねぇ」と言った。
「人数も減ってやれることも減っちゃったし、2 週に 1 度だとあんまり仲良くもなれないし、ぶっちゃけ、もう行かなくてもいい」
よっしゃーーー!!
私はすぐに通級に電話をかけた。
所属校の担任の先生にも報告をする。
「はや!!」
「やめたいと思っていたので、いい後押しになりました」
「やばいな・・・言ってよかったのかな・・・」
「もちろんです! ありがとうございました!」
先生があとでお叱りを受けたかは知らない。
しかし、学校側が先生の見解を封じることには断固反対したい。
親は、子供と一緒にいすぎて特性に慣れてしまっているため、自分の判断にいまひとつ自信を持ちきれずにいる。
それゆえ、多くの子供を見ている人、とりわけ近くで長く見てくれている人の客観的な評価は、極めて重要なのだ。
学校は、学校側の責任を気にしてばかりいないで、もっと柔軟に対応すべきだと思う。

かくして 2 年半に及ぶ通級指導教室が終了した。
息子は今(2021 年)中学生だが、「通級行く意味あった?」と訊くと、こう答える。
「あった」「楽しかった」「息抜きになった」「支えになってた」と。
そうか、支えになってたのか・・・。
「じゃあ、役に立った?」と訊くと、
「立った」「あれでなかなか勉強になってたんだよ」と言う。
遊びを通して、人との接し方などを学べたという思いが本人にはあるらしい
そうか、学んでいたのか・・・。
安易に奪わなくてよかった

「成果」には、目に見えるものだけではなく、記憶や経験として刻まれて気付かないうちに役立ったり影響を受けたりするものもあるのだということを、私たちはわかっている。
わかっているのに、つい先を急いでしまうのよね・・・。
焦りや戸惑いが生じたとき、医師の予言のように、それは大丈夫と信じられるものがあったら、どれだけ心強いだろう。
だけど、時が過ぎて思うのは、もし目の前の子が笑えていたなら、それはきっと間違いではないということ。
「あのときはよかったなぁ」と楽しげに昔を思い出されてごらんなさいよ。間違いであったはずがない。
焦りも迷いも不満もあったけど、負けなくてよかった、やり切ってよかった、と心底思った。
まさに、短気は損気、急がば回れである。

つづく。

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発達障害 -08 小学校(事件)

発端は、息子がクラスメイトの女の子に怪我をさせてしまったことだ。
その子は掃除の仕方を教えようとしてくれていたのだが、その子に掃除道具を奪われると勘違いした息子が激しく抵抗し、結果そうなってしまったらしい。
したがって、故意ではなく事故だったのだが、こちらが「普通じゃない子」で、あちらが「女の子」であったことから、大変な騒ぎにされてしまった
なんであれ、怪我をさせてしまったことは謝らなければならないので、学校から連絡を受けてすぐに先方に電話をしたが、その時点ですでに「連絡が遅い」「何をしてくるかわからない子」という態度で、「うちの子は女の子なんですよ?」と意味不明なことをさも当然に主張してきたので、私も気分が悪くなった。
この人とはたとえこんな事が起こらなかったとしても絶対仲良くなれないと即座に悟ったため、謝るだけ謝ってとっとと終わらせたいと思ったのだが、その後も、ごくごく小さなことで「まだちょっかいを出されている」「反省が見られない」などと学校側に苦情を入れてきたらしく、私はまたしてもスクールカウンセラーの予約を入れることとなった。

学校という環境の中で起こったことは、基本的には学校の中で解決するべきなんじゃないのか。何があったのか、どうすればよかったのかをまず話し合わなければならないのは当人たちであって、親じゃないでしょう。そんなことをしていたら子供たちは失敗から学ぶこともできないではないか。
まくし立てると、カウンセラーはまた「仰るとおりです」と言った。
しかし、例え正論であれ、ここで騒いでも何も変わらないことは知っている。
それでも、私としては、こちらの見解を形に残しておかなければ気が済まなかった。

そして事件は続いてしまう。
人との距離感をつかむのが苦手な息子が、よりにもよって、その子との距離感を間違えてくれたのだ。
「遊具の上で、おたくの子に突き落とされそうになった」「なにしてくれんだ!!」という怒りの留守電に、私は大層驚いた。
すぐに折り返したが、謝るためではない。
状況の確認をしたかった。
証拠となるものが、「そう感じた」というその子の主張だけでは、本当のことはわからない。
そんな確証のない状態で、私が勝手に謝ってしまうわけにはいかない。
もし無実であったなら、息子を著しく傷付けることになるからだ。
すると、あちらの怒りが爆発した。
「謝りもしない!!」
「事実かどうかもわからないことで謝れません」
「うちの子が嘘をついていると言うんですか?」
「一方の言い分だけを鵜呑みにすることはできません」
「信じられない! 何も反省してないですよね!?」
「反省はしています。ですが、やっていないかもしれないことでは謝れません」
相手は怒るばかりだ。
しかし、だからといって折れることはできない。
息子の名誉がかかっているからだ。
そのうち相手は、私に殺意すら抱かせる言葉を吐いた。
「おたくの子は、授業中にフラフラしたり教室を出て行ったりしてるらしいじゃないですか」
「それとこれと何の関係があるんです?」
「つまりそういう子ってことでしょ」
「そういう子とはどういう意味ですか!?」
その先はさすがにエキサイトしてしまい、何を言ったか覚えていない。
ただ、こんな女、こんな親、こんな人間、と心の底から人を嫌ったのは、これが初めてだった

まだある。
同じ子とばかりそういうことが起こるのも変に思うが、今度は、その子が道路で息子に追いかけられて転んで怪我をしたと言う。
これでとうとう、現場にて直接話をすることになった
私に対して「あなたではだめだ、父親に叱らせろ」などと言ってきただけあって、あちらも父親と登場。
会って早々、母親が「留守電を聞いて折り返してきたくせに、謝らない」と文句を言ってきたので、
「それは、息子を犯人だと決めつけた留守電だったからです」と応じたら、母親は父親の顔をチラリと見て黙ってしまった。
どんな力関係があるのか知らないが、顔色一つで引っ込めてしまう程度の主張だったのかと唖然とした。
まあ、あちらはどうだか知らないが、うちは父親より私のほうが厳しいし怖いので、「父親に叱らせろ」は、そもそもおかしな提案だ。
自分の価値観を疑いもせず他人に押しつけられる人と、まともな話し合いができるとは思えない。

で、あちらの父親も、母親同様「女の子」を主張してきた。
似たもの夫婦かよ・・・。
じゃあなにか、男の子なら怪我をしてもいいと言うのか。ふざけんなよ?
あちらの父親は現場検証のようなことを始めて、息子の記憶が曖昧な部分を指摘して「その子は嘘をついている」と言い張った。
息子にしてみたら大して興味のないことを思い出せと言われてもわからない。
それなのに「それはどこだった」「そのときの位置はどこだ」などと問い詰められて、正確に答えられるはずもない。
また、スケーターだか何だかの名前を勘違いしていたことまで取り上げて「乗っていたのはそれではない、嘘をついている」と言い放った。
バカバカしい。
こちらとしては、二人でいるときに接触事故が起こって一方が怪我をしたという事実と、その原因について掘り下げたいところだ。
息子が故意に事故を起こす理由はないが、故意でないにしても事故に繋がるような行為があったなら反省させなければならないし、怪我をしてしまった側に謝罪をして、治療費とかが発生するなら負担する、という流れであってほしいのに、そういうことよりも、感情論や不毛な立証で迫ってくるので話が進まない。
また、相手の女の子が、こういうことが繰り返しあることで親にちやほやされたのか、やや調子にのっている感じが否めない。
途中から、「このとき私、本当はちょっと見えてたの!」と、ダメ押しのつもりか主張を始め、それが実にわざとらしい。
この発言は、さすがにあちらの親も嘘だと思ったようでスルーしていたが、おたくのお子さんも天使じゃないよね、と言ってやりたかった。

そんなこんなで何も解決しない
あちらにしてみれば、「故意じゃない、そんなつもりはないと言うけど、じゃあなんで何度もこういうことが起こるんだよ」という不信感が拭えない。
それに、大ごとであるにもかかわらず息子の記憶が曖昧であること、こんなことになっているにもかかわらず息子が目の前で全然違うことをして遊んでいられることが理解できない。
私たち夫婦は、息子の特性について話さずに問題を解決することは不可能だという結論に達した
それで、「言い訳と思われかねないので言うつもりはなかったのですが」と切り出し、息子が発達障害であること伝えた。
すると母親は、先の電話での暴言に勝るとも劣らない差別的な言葉を吐いた。
そんな子と同じクラスは困るんですけど
沈黙が流れた。

やがて、父親が「療育に通わせているんですか」と訊いてきた。
ちょっと驚いた。
そんなこととは無縁そうに見えるのに、そんな言葉を知っているなんて意外だった。
知っていた理由はわからなかったが、父親の態度は、うちの子が発達障害で療育も受けていると知ってから、がらりと変わった。
突然「理解者」になり、最終的には「何か助けになれることがあれば言ってください」とまで言った。
あまりの変わり振りに、こちらは拍子抜けしてしまう。
母親のほうは、娘に「わざとじゃないってよ」と伝え、幕を下ろしにかかった。
疑問も怒りも山ほど抱えていただろうに、「そういうことならもういいです」という感じだ。
発達障害は免罪符ではないのに。
言っても仕方がないと諦めてもらうために伝えたわけじゃない。
不可解で腹立たしく思えるであろう息子の行動にも、それなりの理由があるということ、悪意などないということを知ってほしくて伝えたのに。
私たちは理解されることを目指したが、されたのは諦めだった
「見逃してあげるべき」と判断したのだろうか。
だが、それは解決ではない。

常々思うのは、特性の有る無しは優劣ではないよねということ。
定型発達の人たちは、発達障害の人たちを下に見る傾向があると思う。
「生きにくくてかわいそう」「理解してあげなくちゃ」「手助けしてあげましょう」などと表現される度に、私は違和感を感じている。
感じ方の違い、捉え方の違い、価値観の違いに、正解も不正解もなかろう。
ただ、多数派と少数派があるというだけのことだ。
多数派は、そちらが正しくて、そうあるべきだと思い込んでいる。
私はそうではないと思う。
集団において多数派が基準とされるのは、それが正しいからではない。
そのほうが効率がいいからだ。
そうして少数派は、秩序を乱す厄介者のように思われていく。
日本は特に、その傾向が強いと思う。
とんだ石頭だよね。
多様性は可能性なのに。

そんなわけで、この事件はこれにてぱったり収まった
「何かあれば」などという付け焼き刃の助け合い精神で締められたものの、当然ながら関係の修復は不能。
今に至るまで、ご近所ゆえ互いを見かけることはあっても、言葉を交わすことはない。

小学校においては、これが最大かつ最悪の事件であった。
その後の学校生活は「ちょっと変わった子」程度の位置づけで、とくに苦もなく、笑顔で過ごすことができていたように思う。
その一助になったのが、3 年生から利用し始めた通級指導教室だ。
次は、その体験について書こうと思う。

つづく。

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発達障害 -07 小学校(低学年)

この上なく良好な状態でもって入学の日を迎えた息子であったが、そう上手くはいかないのが人生だ。
運が悪かったと言えばそれまでだが、息子は担任の先生との相性の悪さによって退化していくこととなる。

1 年のときの担任は、その年に転任してきたばかりの年配の人だった。
私は当初から発達障害のことを説明し、理解を求めてきたつもりでいたが、担任の心には伝わらなかったのだろう。
当初、息子は息子なりに、新しい環境で頑張っていたのだと思う。
だからその分、合間の休み時間は息抜きとしてとても重要だった。
息子はその時間に好きなこと(紙飛行機を作って飛ばす)をすることで、気分転換を図っていたのだと推察される。
ところが、それが奪われた。
息子のクラスは、突如として、休み時間に紙飛行機を飛ばしてはいけないということになったのだ。
「誰かの目に入ったら危ないので禁止にしました」「何かあったら私のせいになってしまうので」
楽しみにしていた時間を奪われて、息子は途端にやる気を失った。
授業中に席を立つようになった。
床に寝転がったり、全然違うことをするようになった。
そうなってしまってから、担任は私に言うのだ。
「困っています」と。

加えて、この担任は、息子が学校の敷地内で拾った小石(息子にとっては面白い形だったらしい)を持ち帰ることを禁じた。
「いますぐそこに戻しなさい」「学校のものを持ち帰ってはいけません」「何かあったら私のせいになるのだから」
さらには、気持ちが壊れつつあった息子が、何らかの叱責を受けてついに廊下でパニックを起こしたときも、この担任は、ただただ叱りつけるだけだったという。

私はたまらず、療育センターに電話をかけた。
このような相談をするのは初めてだった。
自分の声が震えていたのを覚えている。
この電話で、私はスクールカウンセラーというものの存在を知った。

予約をして、これまでのことをわーーっと話した。
相談の席には児童支援専任の先生も同席していて、メモをとっていた。
カウンセラーはうなずきながらじっと聞いてくれる。
私が「休み時間に紙飛行機を飛ばすことが、息子にとっては切り替えになっていたはずだ」と言うと、カウンセラーは「仰るとおりです」と言った。
また、小石を戻させられた話をすると、カウンセラーは「なぜ持ち帰ってはいけないのでしょう」と首を傾げた。
そうだよね? おかしいよね? 変なのは担任だよね?
私の頭はそればかりになった。
担任のカチカチ思考や保身のために息子の心は犠牲になっている。堪らない。あんなにいい状態で入学したのに何てことをしてくれたんだ。どうしてくれるんだ。
30 分くらいしゃべったと思う。
スクールカウンセラーというのは、保護者側の相談にも先生側の相談にものるから、板挟みといえば板挟みだ。
私の耳には入ってこなかったが、担任も、この人に何かしらぶちまけたりしたのかもしれない。
何が言いたいかというと、要は、相談しても何も変わらなかったのである。
ただ、翌年度、担任は着任わずか 1 年で、また転任していった。

しかし、時すでに遅しだ。
息子はもう、まともに授業を受けられなくなっていたし、ちっとも席に座っていられない、教室も出て行ってしまう、パニックも起こす・・・と、まるで幼稚園に入ったばかりの頃のような状態に戻ってしまっていた。
児童支援専任の先生が特別気にかけてくれていることはわかっていたが、常に付いていてもらえるわけでもない。
それで、入学当初は考えていなかった通級指導教室の利用を考えるようになった
療育センターで行われた説明会に参加し、承認を受けるための手続きを進めた。
その過程で、校長先生と話をする機会があった。
驚いたことに、先生は私に謝罪をした。
1 年時の担任が、廊下で息子を叱りつけているところを見たことがある。あまりにも酷い叱り方だったので「やめなさい!」と言ったのだが、言うことをきかなかった。私の方針に合わない方であったということで、1 年限りで転任いただいた。息子さんには本当に申し訳ないことをした。と。
本当に、運が悪かったとしか言いようがない。

しかし、その後の担任は素敵な先生たちばかりであった。
中でも、すっかり落っこちてしまった息子を見事に救い上げてくれた 2 年時の担任はすばらしかった。
新人の先生だったが、福祉を専攻していたのかと思うほど、特性のある子供への対応の仕方を知っていて、安心してお任せすることができた。

ところが、最低の状態を脱し、通級の手続きも進んでいた頃、事件が起きたのである。

つづく。

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発達障害 -06 幼稚園

最初の面談(担任の先生に専門機関の受診を促された)後の様子について書こうと思う。
ちなみに、個人面談は常に最後尾に組まれ、他の子の 4 ~ 5 倍の時間をかけて行われた。
本気で向き合ってくれていることがよくわかったし、そのおかげで十分に情報を共有することができた。
とても、とても、感謝している。

まずは、療育センターに通う前のことから。
担任以外の先生に話かけられる度にパニックになっていると聞いた私は、ひょっとしたら息子は知らない顔を怖がっているのではないかなと考えた。
なので、入園式で撮った集合写真を拡大し、机に飾ってみることにした。
子供たちの集合写真と、先生たちの集合写真、両方とも。
すると、息子はしょっちゅうそれを見るようになった。
先生たちの集合写真のほうを特に熱心に見ていたように思う。
で、どうなったか。
パニックを起こさなくなった。
ここまで効果が出るとは思っていなかったので、やった私が一番驚いた。
だって、ただ写真を飾っただけだ。
たったそれだけのことで、彼の幼稚園生活は一変した。
とはいえ、当時はまだ診断を受けていないので、この工夫に対する専門家の見解は不明だ。
けど、この一件が、状況はほんのちょっとの工夫で大きく変わるという実感を私にもたらしたことは間違いない。

次に先生が困っていたのは、切り替えができないということだった。
室内遊び、片付け、外遊び、学習、昼食・・・。
園では決まったスケジュールに沿って生活していくことになるのだが、その切り替えが息子にはできない。
やめさせようとするとモーレツに抗われ、外遊びからはいくら呼んでも帰って来ない。
これを解決したのは療育センターだった。
園でこういうことになっていると相談をしたら、実にあっさりと解決策を示された
「1 日の予定を、目に見える形であらかじめ教えてあげてください」
「できれば写真で」「もっと言えば本人の写真がいい」と言うのだ。
園にそれを伝えると、それを満たすスケジュール表がすぐさま作成された。
透明のポケットが取り付けられた縦長の表で、活動内容の札と、その活動をしている最中の息子の写真が、その日の予定に合わせて入れ替えられるようになっている。
息子は自らそのスケジュール表を眺めるようになり、一声かけるだけで作業を終わらせたり外から戻ってきたりできるようになったという。
これには先生もびっくりで、私と同じことを感じてくれた。
「ほんのちょっとの工夫でこんなに違うんですね」と。
また、このスケジュール表は、他の子たちもよく見ていたらしい。
そりゃ、発達障害じゃなくたって今日の予定には興味があるだろうし、写真ならわかりやすいよね。

次の困り事は読み聞かせなどをしている最中に席を立って別のことを始めてしまったり、みんなで一緒にするべきことに参加しなかったりすることだったが、これについては、それでよしとされることになった
というのも、「こういうときには席に座っていなければならない」と教え込むより、「それが苦手な子もいる」と知ってもらうことのほうが子どもたちには有益だ、と園が判断したからだ。
先生はこう説明したらしい。
「お絵かきが苦手な子もいるよね。かけっこが苦手な子もいるよね。それと同じで、じっとしていることが苦手な子もいるんだよ」「だから、そういうお友達を見たら、苦手なんだなって思ってあげてね」と。
息子は救われただろう。
私も救われた。

それから、息子は教室を飛び出して行方不明になるという迷惑もかけていたのだが、これについても園が対応してくれた。
園は、先生をひとり、巡回要員として配置してくれたのである。
先生は、飛び出してくる息子をキャッチする。
キャッチして、別の部屋へ連れて行く。
連れて行って、気が済むまで他のことをさせてくれる。
息子は、飛び出して捕まっても暴れることなく、職員室でおとなしくお絵かきをするようになった。
先生はいつも、息子の気が済むまで付き合ってくれたらしい。
感謝しかない。

報告を受けたことの中で、何の手も打たなかったのは弁当給食だ。
息子は、幼稚園での 3 年間、白いご飯にしか手を付けなかった。
はじめに報告を受けたときは、息子は自宅でも知らない料理や見慣れない形のものは口にしないので「そりゃそうなるか」と思ったが、このままでいいのだろうかという不安もあったため療育センターの担当医に相談すると、「気にしなくていい」と言われてしまったのである。
「そのうち、あれはなんだったのかと思うほど食べるようになりますから」と。
「栄養面は他の 2 食で補える」「無理に食べさせると心の面でマイナスになる」ということだったので、園にもそれを伝え、残してごめんなさいと謝った。
なお、担当医の予言が現実となったのは、小学 2 年生のときだ。

園ではそんな感じでお世話になりっぱなしだったから、療育手帳の発行時に「こういったお子さんを 2 人以上受け入れている幼稚園には、補助金制度がある」という説明を聞いたときは、「これだ!」と思った。
これは絶対にもらってもらわなければならない。
園が息子の他にもう 1 人以上受け入れているかはわからないが、せめてその制度をお伝えして、うちの療育手帳だけでも役立ててもらわなければ・・・。
個人面談でその話をすると、担任の先生は丁寧にメモをとってくれた。
やがて副園長先生から「申請させていただいてもよろしいでしょうか」と言ってもらえたときは、本当に嬉しかった。
補助額は、年間 80 万円足らずだったと思う。
巡回要員の人件費にもならない微々たるものだが、数々のご恩に対して他にお返しできるものがなかったから、この制度で救われたのは、むしろ私のほうだったかもしれない。

こうして息子は大変幸せな幼稚園生活を送ることができ、心身ともに健やかにのびのびと育ち、明るく元気いっぱいで卒園を迎えた。
とりわけ、心の面で目一杯プラスに振り切った状態で次のステージへと送り出してもらえたことは、どれだけ感謝してもし足りない。
年長時に、今まで一度も参加しなかった運動会の準備体操を、代表として前に出てまでやっている姿を涙なくして見ることはできなかったし、卒園式で、みんなと同じように並んで礼をして証書を受け取れるようになるなんて、入園当初には想像すらできなかった。
なんという成長。なんという喜び。
また、息子への配慮に留まらず、周りの子にも多様性を教えるいい機会と捉え、それを実践してくれたことは、この国の未来にも繋がることであり、心から称賛したい。
この先の社会で共に生きていく人たちの中に、そういった特性への理解が根付いている人が、少なくともクラスメイトの数だけはいる。
涙が出そうだ。

かくして、息子は最高の状態でもって、小学校へと上がることになった。

つづく。

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発達障害 -05 療育センター

地域療育センターには、数ヶ月に 1 回の頻度で通うことになった。
利用を希望する人があまりにも多いため、それが MAX だったのだ。
現状を知り、アドバイスをもらい、それを試して、報告する。
基本的にはその繰り返しなので、そのくらいが丁度いいようにも思う。

世話になった療育センターには、0 歳~小学 6 年生までを対象としたサービス(診療や相談など)が充実していた。
ここで息子は、「広汎性発達障害」として「心身の発達の遅れ」をフォローしてもらうことになった。
しかし、息子の場合は、療育プログラムやグループ診療といったサービスは除かれた。
支援計画は個別に立てられるため、その子に必要と判断されるサービスだけが提供される仕組みだ。
なお、療育センターにおける診療費等は、原則として保険適用である。

診療について書く。
医師、心理士、言語聴覚士などの専門家が、直接様子を見たり、細かな検査で発達の程度を数値化したりして、医学的診断や評価をする。
現状を正しく知り、どう向き合っていくかを考えるための第一歩と言える。
しかしながら、評価はあくまで今々の傾向なので、今々の対策の参考になる程度に捉えていたほうがいい。
それよりも重宝したのは、「その先」を知っている医師の助言だった。
多くの似たような子たちを診てきた医師の、「予言とも言える言葉には迷いがなく、その力強い物言いが私には救いだった。
「今これで悩んでいます」と伝えれば、「必ず収まります」と即答される、といった具合に。
そんなまさか! とてもそうは思えない! 信じられない! と思うのだが、本当にそうなっていく。
魔法のようであった。
なお、先に述べたような細かな検査が行われるのは、年に 1 度だけだ。
その結果は、診断や評価のほか、療育手帳の発行(任意)にも用いることができた。

相談についても書いておく。
相談の相手は、息子担当のソーシャルワーカーだ。
ソーシャルワーカーとは、言うなれば、福祉分野における相談と支援のエキスパートである。
私は、このサービスを主に幼稚園や学校との連携のために活用した。
例えば、専門家を幼稚園や小学校に派遣し、実際の様子を見てもらった上でアドバイスをもらえる仕組みがある。
例えば、療育手帳を取得したなら、所属している幼稚園が補助金を申請できる仕組みがある。
そういった制度を知っているか否か、活用できるか否かの差は、とても大きい。
ちなみに、各支援の手続きには、福祉保健センターや特別支援センターなどが絡んでくることもあって、結構ややこしい。
まとめて相談できる「担当者」ができたことは、実にありがたかった。

かくして、息子の幼稚園での様子は、知識と情報を合わせもった人たちと繋がれたことで、劇的に改善していくのである。

つづく。

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発達障害 -04 受診

幼稚園で指摘をされたものの、「専門機関」がわからない。
私はとりあえず、かかりつけの小児科医に相談した。
息子が乳児の頃からお世話になっているので、説明もしやすいと思ったのだ。

幼稚園でそのような指摘を受けたことを話すと、医者も看護師も「ああ」という反応をした。
その反応に、私こそ「ああ」と思った。
それっぽいと思ってはいても、指摘はしてくれなかったんだなぁ・・・。
なにゆえそう思ったのかについて訊きはしなかったが、思い当たることはある。
抱っこされている状態から突然大きく反り返って医者の机に後頭部を打ち付けそうになったり、注射の際にひどく暴れて大人が 3 人で押さえつけなければならなかったり、専門知識がある人から見れば、あれもこれも、それっぽかったのだろう。
馴染みの小児科医は、「そういう分野に詳しい先生が診察をする日があるから、その日にもう一度来るといい」と言った。

後日、再び同じ小児科を受診。
紹介された「詳しい先生」と話をする。
とはいえ、その人も「詳しい」だけで、いわゆる「専門家」ではない。
結局、「自分の知り合いに優秀な人がいる。そのクリニックに話を通しておくから診てもらうといい」と、専門医を紹介されただけだった。
とはいえ、どこへ行ったらいいかまるでわからなかったのでありがたい。
私は、言われるがまま、その個人クリニックへ行くことにした。

専門医を訪ねた日のことは忘れない。
土砂降りの雨の日だった。
最寄り駅に着いたときにはずぶ濡れで、すでに気分は最悪だ。
そこから 1 時間ほど電車に揺られ、ビルの 2 Fだったか、少し高い位置にあるクリニックに入った。
そのようなところを受診するのは初めてなので、仕組みも何もわからない。
待合室に成人男性が一人いるから、小児専門というわけではないらしい。
案内には、「心療内科・精神科」と書いてある。
幼稚園の先生が言った「専門機関」というのは、ここで合っているのかな・・・。
通された部屋は、診察室としてはかなり広い部屋だった。
壁一面の大きな窓には、足元までロールカーテンが下ろされている。
中央には長机があり、先生は壁側の席に座っていた。
私と息子は窓側の席を促され、先生と向かい合って座った。
専門医は「様子を見させてください」と言って、息子にあれこれ話しかけてくる。
息子はそれを無視。
先ほどまでそんなでもなかったはずだが、完全に機嫌が悪くなっている。
一旦こうなると、息子は何にも反応を示さなくなり、ひとりの世界に閉じこもってしまう。
様子を見るどころではないのでは・・・。
専門医は絵本を見せたり、興味を引くようなことを言ったりするが、息子はついには席を離れて窓に身を寄せ、そこから動かなくなった。
そうして、ただ、ロールカーテンのわずかな隙間から外を見下ろしている。
近寄ってあれこれ見せようとしても見向きもしない。
好きなトーマスの話やグッズをチラつかせても反応さえしない。
すっかり塞ぎ込んでしまった。
専門医は、その様子もじっと見ている。
「いつもこんな感じですか?」と訊かれ、「そうです。こうなっちゃうと戻りません」と答えると、専門医は小さな紙を取り出し、私に向かって話し始めた。
広汎性発達障害の疑いがあります。私のところではその診断をすることはできないので、療育センターで診てもらってください」
・・・うん??
知らない言葉が複数出てきて、何だかわからない。
私は、「広汎性発達障害」「療育センター」とメモ書きされた紙を渡された。
専門医は、「疑い」とは言ったが、「おそらく間違いない」とも言った。
「これまでに定期健診などで指摘されたことはありませんか?」
一度もなかった。

ここで定期健診でのことを少し書いておきたい。
区役所などで行われる乳幼児健診(4 ヶ月児、1 歳 6 ヶ月児、3 歳児)には、成長の節目に子供の成長や発達を確認して子育てを支援する、という目的があるらしい。
健診時、うちの息子は服を脱ぐのも着るのも嫌がって大泣きし、医者の前でも暴れて診察させない、身長も測らせない、などなど大迷惑だったのだが、発達障害は見逃されてしまった
それなのに、どういうわけか私の様子(冷淡さ?)には過剰に反応し、虐待のおそれがあるとでも思ったのか「ケアをしたい」などと言ってきた。
社交性のない私は心の底からお断りしたのだが、どうしても一度訪問すると言ってきかない。
それで結局来てしまったわけだが、別段うちにおかしなところはなく、私と息子もキャイキャイやっていたため、担当者はニコニコと帰っていった。
その際も、変な遊びや妙な反応など、息子は発達障害の特性をチラつかせていたのであるが、そこにはやはり気付いてもらえなかった。
はて、乳幼児健診の目的とは何であったか・・・。
親の様子を気にするなとは言わないが、まず気にするのは子供の様子であってほしかったと思う。

話を戻す。
診断名を確定させるのはここではないと言うのなら、ここで訊くべきはその病名のなんたるかより、「療育センター」が何であるかだ。
専門医はざっくりと説明した。
療育センターとは、障害のある子供の診療や支援などをする公的機関である。そこで正式に診断してもらって、必要なサポートを受けていくことをお勧めする。ただし、療育センターの予約は非常に取りづらい。数ヶ月は先になってしまうだろうから、すぐに動いたほうがいい。
私の頭の中は謎だらけだったが、つまりここも、幼稚園の先生が言った「専門機関」ではなかったということなんだなと思った。
随分遠回りをしているような気がする。
しかし、無駄だったということもない。
この遠回りで私は「療育センター」を知ったし、その療育センターにおいても、他機関での診断があったことで話がスムーズに進んだからだ。

家に帰り、自宅の住所がどの療育センターに属するかを調べ、電話をかけた。
聞いていた通り、初診の予約が取れたのは数ヶ月先だったと記憶している。

つづく。

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