大人なんだし、何を思っていようと最低限の礼はあるべきと私は思っているが、妹は私がやむを得ない理由で連絡をしたって返事もしないくせに、自分に用事があるときは、挨拶すら省いて唐突に「○○を送って」などと言ってくる。
どうしてそうなったのだろう。
同じ親の元で育ったはずなんだがな?
もっと言うと、小中高大まで全部一緒だったんだけどな?
家の中で違ったのは、私が長女で、彼女が次女(末っ子)だったということだけだ。
それはつまりどういうことかと言うと、彼女は、私からしたら異様なゆるさ、それこそ反吐が出るほど甘々に育てられたということだ。
私は自分で道を切り開かなければならなかった。
目の前のすべてと闘わなければならなかった。
何をするにも反対されたし、何をしても褒められなかった。
だって前例がないから。
つまり基準がないのだ。
基準がないなら、意見もいらない。
だから私は誰にも頼らなかったし、従わなかった。
全部自分で決めて、全部自分でやった。
そうやって自分という存在の価値や居場所を自分でつくってきたのだ。
ところがどうだ、妹はそんな努力などまるで必要なかった。
だって前例があるから。
すでに私が通った道なら文句を言われないし、安全確認もとれている。
その上、その先がどうなっているかまで見えている。
実に楽だ。
怒られない、闘わない、頑張らない。
根性の無い自己中心的な人間ができあがっても不思議ではない。
それでも、私は家族含め人の生き様に関心などないので、必要以上の関わりを持たずにきて、ゆえにこれまでさほど被害を受けることはなかった。
ところが数年前、つまらん喧嘩(母と妹)に巻き込まれて、その仲裁をしなかったとかいう意味不明な理由で、一方的に邪険に扱われるようになったのだ。
別に、邪険にされることは構わない。
そんな理由で文句を言われる筋合いはないし、そんなことを期待する気持ちなどわかりたくもないし、そもそも私が人の間に入ってやるような性格じゃないことすら未だにわかっていない家族ってなんだよいらねえわと思うし。
勝手に裏切られた気になって自分を被害者だと思い込んでいるようだが、付き合いきれないというのが正直なところだ。
いっそスッパリ切れてくれたらいいものを、冒頭で書いたように、要望があるときだけ連絡してくるのだから呆れてしまう。
なんちゅー大人じゃ。
「お姉ちゃんたちはちっともこっち(嫁ぎ先)に遊びに来ない」と言っていたかと思えば、孫の行事の度に遠路はるばる行く親に対しては、「迎えるのも手間なんだから正直迷惑」などと抜かすおまえは一体何様なのだ。
おまえには良識も常識も恥も外聞もないのか。
先日、姪っ子の入学祝いを贈ったが、届いたのかどうかもわからない。
ほんとアホくさい。
そのくせ、贈らなかったり誕生日から1日でも遅れてしまったりすると、「お姉ちゃんは忘れているのか」などと母親に愚痴るという。
なんなの・・・。
来年から、ハイ全部忘れましたよもうなーんにも覚えてないですゴメンナサイネー、でいったろか。
だいたいどこの家でも、こういう問題って下の子なんだよなぁ。
当然ながら、「下の子」をディスるつもりはない。
リスペクトできる下の子だっていっぱいいると知っている。大好きだ。
だけど、「上の子がこんなで困ってる」という話を私は聞いたことがない。
育児の二人目以降、いい具合で手を抜けたり気持ちに余裕を持てたりすることで、つい甘やかしてしまう親が多いのではないだろうか。
しかし、その代償をわかっておいでか。
可愛がりたいという自分本位な理由で子育てをするのは危険だ。
子供はただ可愛がってずっと面倒をみてあげていればいいペットとは違う。
その子はやがて1人で社会に出ていき、自分の力で生きていかなければならないのだから。
その子がどうやって生きていくかだけではない。
それと長々付き合わなければならない兄姉や知人や世間に、疎まれるような存在にしてしまってはいけないのだ。
兄弟姉妹というのは、戸籍上どう足掻いても縁を切ることができない。
そうなりたくてなったわけじゃないのに、いかなる理由があろうともご縁を繋げていなければならないなんて、ひどい仕組みだ。
まあ、私はそこまで思い悩んでいるわけではないけど、考えさせられるよね。
だって、親はそもそも「兄弟をつくってあげたい」と思って子供を複数産むわけだよ。
子供時代も大事だが、親が死んだとしてもひとりぼっちにならないように、何かあったときには助け合えるように、なんて考えてさ。
けどどうよ? いないでいてくれたらどれだけよかったかと本気で思っている兄弟姉妹は決して少なくない。
つまり、「兄弟を」なんてのは親のエゴだし、賭けだということだ。
それでも作ったからには、その兄弟が「お互いがいてよかった」と思えるような存在に育て上げる努力をするべきなんじゃないのか。
ただ可愛がって甘やかして人としてダメにしちゃうんじゃなくて。
その責任はあると思う。
ということもあって、私はひとりしか生んでいないのだ。
発達障害があったというのも大きい。
息子は軽度だったけど、そのように生まれたということは次の子もそうなる可能性が高いということなので、もし重度で生まれてしまったら、将来的には息子にその子の面倒を見させることになってしまう。
そんな苦労を負わせてたまるか。
もう一人欲しいとか、そういう親事情はどうでもいい。
うちは、息子の未来のことを考えて、一人っ子という選択をした。
その分、弟役は私がやってやる。
そうして息子に「はいはい、わかったわかった」「しょうがないなぁ」「落ち着きなさい」などと言われる時は、してやったりだ。
いやそんな話は今はいい。
生んだからには、1人目だろうが5人目だろうが、責任を持って育て上げるべき、と言いたかった。
人生も折り返しという段になって、この先を支え合い過去を語り合える唯一無二の存在と疎遠になるとは皮肉な話よ。
親が亡くなる未来がやってきたときに、果たして私たちは寄り添えるのであろうか。
それができないのだとしたら、兄弟姉妹とは何なのか。
甘やかしたツケはデカい。