タオルとマスクの脱・柔軟剤

日中マスクはもう必須なんだろうけど、私は寝るときにもマスクをしている。
というか、私にとっては「寝るときマスク」のほうが日中マスクよりはるかに前から必須だった。
私の「具合悪い」は大抵ノドからで、ゆえに少しでもガードしたくて始めたことだが、かれこれ数年続いている。
その成果かどうかはわからないが、それ以降、風邪一つひいていない。
すごいんじゃね?

私が寝ているときに付けているマスクは、布マスクと呼ばれるタイプのものだ。
いろいろ試したが、呼吸がしづらかったり薄すぎて意味なかったりサイズ調整できなかったりヒモ痕ついちゃったり、「これだ!」と思うものには未だ巡り会えていない。
とはいえ、「まあいいか」と思えるものはそこそこある。
そのすべてが布マスクだ。

マスクの説明書やサイトなんかを見ると、ほぼ間違いなく「洗濯は手洗い」と書いてある。
けど、どうなんだろう・・・みんなそんなことしてるのかな。
私は面倒臭がりなので、マスクを手洗いしたことなど3回くらいしかない。
やったことがないとは言わない。少しはやった。
少しやって、「めんどくせ」と思ったのだ。
この先も毎日使い続けるのに、手間やストレスがあっては続かない
洗濯機に入れてしまうわけにはいかんのか?

入れちまえ。

マスクを小さな洗濯ネットに入れて普通の洗濯物と一緒に洗濯した。
脱水などによって多少よれる。そんなのは覚悟の上だ。
形を整えて干すマスクから香る柔軟剤・・・。
いかんかったのはソレだった。
匂いの好き嫌いではない。
マスクが柔軟剤まみれになっているということがいかんかったのだ。
それは当然ながら顔にもベッタリとつく。
だが、何よりいけないのは、マスクにその成分が存在しつづけているということだった
洗い立てでも、全然まっさらじゃない。
肌触りが良くなろうがいい香りがしようが抗菌を謳おうが、柔軟剤は付着物だ。
せっかく汚れを落としたところに、また余計なものをわざわざくっつけているわけで、そりゃ雑菌も繁殖するわな。
雑菌は熱湯消毒をすれば確実に死ぬが、根本解決ではないので、またすぐに臭うようになる。
つまり、キリがない。

これはタオルも同じだ。
柔軟剤の匂いのするタオル。
それに触れた顔や手からも香る。洗い立ての身体に柔軟剤を塗りたくる謎
そのうち雑菌臭がしてきてその度に殺菌処理をするが、いたちごっこ。
全く同じ。

これじゃダメだろ。

私は意を決して、柔軟剤の使用をやめた
衣類に関しては、匂いの気になるお年頃の旦那がどうしても使ってくれというので使い続けているが、タオル、マスク、バスマット等、衛生重視のものについては完全にやめた。
するとどうか。
祝!! 脱・雑菌繁殖!!
マジで。マジです。
かれこれ半年くらい経つが、タオルやマスクの殺菌処理は一度もしていない
柔軟剤を使わないことがこんなに効果覿面とは!!
いまや「香害」なんて言葉ができてしまうほど世間では柔軟剤が流行っているようだが、うちはそれに逆行しているな。
だがそれがなんだ。間違っていないぞ。
ただし、洗濯回数は1日最低2回になるので手間は増えた。どうしても柔軟剤使いたいって人がいるからさあ・・・。
しかし、そもそも1回で洗い切るには無理のある量だったから、むしろゆったり洗えるようになってよかったのだ。うん。
洗濯機派で、臭いに悩んでいる人がいたら是非やってみて。
あ、けど、もうすでに臭っているものは手遅れなので、新品に替えるタイミングか、もしくは熱湯消毒するなどして菌を死滅させた上でお試し下さい。

なお、柔軟剤使わないとごわごわするーって思ったら、干すときバタバタ振って糸ふんわりさせとけばちょっと改善します。
まあ、清潔のほうが大事なんで、私は気にしないけど。

人気ブログランキング エッセイ・随筆へ
にほんブログ村 主婦日記ブログ ひきこもり主婦へ

『MOTHERのことば』

『MOTHERのことば』『MOTHERのことば。』を購入。
ほぼ日の箱を開けたら
エスカルゴ運送の箱が入っていた。
シールブックも付いてきた。

これを読むのは大変なんだよ。
時間と心の準備が必要だから。
簡単には手を出せない。
新品だけど思い出が詰まっている。
なので、手元にあるだけで
とりあえず幸せ。

『MOTHERのことば』正面 『MOTHERのことば』背

人気ブログランキング エッセイ・随筆へ
にほんブログ村 主婦日記ブログ ひきこもり主婦へ

パルスイートどうなの

私はパルスイートを愛用してきた。
甘みは欲しいがカロリーはいらない。そういう理由で。
特に不満はなかった。
しかし、消費スピードがどんどん速くなるのだ。
なぜか。
多用するから。過剰に入れるから。
だって、甘みに慣れてしまうんだもの。
物足りないと思ってしまうんだもの。

入れる量が増えてきているという自覚はあった。
でも、そうは言っても砂糖で同じだけ甘くするよりはマシだろうと思い、特に自分を制するようなことはしてこなかったのだが・・・。
砂糖の3倍は甘いとされているにもかかわらず、砂糖の3倍くらいの量をヨーグルトに掛けてもなお甘みが足りないと感じている自分に気付いたときは、さすがにヤバいと思った。
明らかに甘みに鈍くなっている
体にいいとされているものだって過剰に摂取してはいけないと聞くのに、この人工甘味料を大量に摂って無害なはずがない。
私は目を背けていた現実と向き合うべく、ちょっと調べてみることにした。

結果。
糖質摂ってるじゃん!!

栄養素とカロリーの関係はよくわからない。
パルスイートのカロリーは確かに低い。
しかし、糖類はカットされているものの、糖質は容赦なく含まれていた(中には糖質までカットされた製品もあるようだが、価格が高い)。
砂糖より少ない量で砂糖より甘いわけだから、上手く使えば糖質だって砂糖を使うより減らせたのだろうが、私はカロリーしか見ていなかったため大量使いしてしまい、つまりは糖質をたっぷり摂りながら甘みを感じにくくなる訓練をしてしまっていたのだ。
バカでしょ・・・。
これは明らかに有害な状態だ。
思い立ったが吉日。
その日から、私はパルスイートを使うのをやめた

やめて真っ先に不安に感じたのは、「甘さ」への依存度。
いつもパルスイートをたっぷり入れて食べたり飲んだりしていたものを、おいしいと思えなくなってしまったらどうしよう・・・。
甘みが弱いことに満足できずに、砂糖やハチミツを過剰摂取するようになったりはしないか・・・。

結論。
杞憂。

私の舌(脳)は、常に供給されていた「甘み」を失い、本来の味や甘みを感じ取ることに躍起になってくれたようだ。
しかし、どんなに頑張ったところで、パルスイートのような強い甘みを感じることはできない。
けど、ちっとも物足りなくない
幸運にも、自然の甘みをおいしいと感じることができている
それは、「健全な食事」という、今までとは違った満足感をも私にもたらした。
それに、今までは全部同じ甘みだったものが、それぞれの甘みになったのは大変喜ばしいこと。
色んな味を楽しめるって、素晴らしい。

そんなこんなで数週間。
パルスイートとは完全に切れたままだ。
私にとっては、これが正解だったのだろう。

最後に、これだけは言っておかなければならない。
健康上の必然や、少量使いで、効果的にパルスイートと付き合えている人たちはたくさんいる。
私は、アンチパルスイートの旗を揚げようなどとは全く思っていない。
ただ、私には必要なかったな、というだけのことだ。
いや、私には使いこなせなかった、と言うべきか。
「こうすると便利だよ」と言われて、それに甘えてとことん寄りかかって依存して、折角のいいものを台無しにしちゃったのである。
うまい話などないと言うけど、うまい話はあったと思う。
ただ、上手く使えなかっただけで。
パルスイートが優秀なのは言うまでもない。
使う側がバカだったために製品が悪者扱いされるのは間違っている。
正しく知った上で、賢く使いたいものだ。

人気ブログランキング エッセイ・随筆へ
にほんブログ村 主婦日記ブログ ひきこもり主婦へ

バランスボールを椅子にする

ダイニングテーブルの椅子が壊れた。
座面の回る椅子だから使っているうちにネジが緩み、その都度ネジを締め直すという面倒くさいことを繰り返してきたのだが、ここ最近、締めても締めてもガタガタいうようになっちゃって。
とうとうネジがバカになっちゃったんだと思っていたけど、そうではなかった。
脚の付け根がもげかかっていたのだ。
こんなん・・・いつバキッといってもおかしくないじゃん!?
「まさか」と思うことほど起こるものだ。
起こってからでは遅いので、早急に椅子を替えることにした。

で、バランスボールだ。
時間の許す限りPCに向かっている私にとって、運動不足は切実な問題・・・。
どれほどの効果があるかはわからないが、不動の椅子より効果が低いということはあるまい。
それに、椅子に座って貧乏揺すりをするくらいなら、そのエネルギーを最大限生かせるものに座るべきである。

試しに通販サイトでバランスボールを検索してみたら、ピンキリだった。
ぱっと見、違いはよくわからない。
だからといって、この量を端から端までチェックするのは面倒だ。
とりあえず破裂は怖いので、アンチバーストなやつ・・・。
あとは色。これを決めればだいぶ絞れそう。
そして、サイズだ。
調べた結果、身長約160cmの私が、高さ70cmの机を使用する場合、椅子として丁度いいサイズは直径55cmのバランスボールだということがわかった。
初めてのバランスボールなので、とりあえずは安いものでいいだろう。
それで問題があったら、次はそれを考慮すればいい。
なお、注文時には小さな円形マットも一緒に購入した。
バランスボールをフローリングで使用して跡が付いたという人が複数いたからだ。

ミッフィーの丸形マット↑ ミッフィーの円形マット(直径38cmくらい)

届いたバランスボールに空気を入れる。
初日は8割入れて、24時間後にしっかり入れ直す、と書かれていたのでそうした。
なるほど、いい強度になったぞ。
早速椅子にしてみる。
おお・・・高さもバッチリ。
いいじゃん?
ぼよぼよ跳ねたり、ゆらゆら揺れたりしながら1日使ってみた。
ずっと座っていると疲れると書いている人がいたけど、全然そんなことない。
椅子みたいにお尻が痛くなることもないし、むしろ快適だった。
普通に座っているのに飽きて、ボールの上で体を転がして横になってバランスをとってみたりもする。
エコノミー症候群にもならずに済みそう。
夜中、眠気がやばい時にもいいかも?(寝ろ)

はたして、運動効果はあるのか!?
それはまだわからんけど、とりあえず楽しい。

人気ブログランキング エッセイ・随筆へ
にほんブログ村 主婦日記ブログ ひきこもり主婦へ

友達の言葉 -06

言われたときは「何それ」と思ったのに、そこから今に至るまで心に根を張り続けている言葉がある。
その言葉に対して抱いている感想は言われた当時と何ら変わらない。
ただ、それを言われた時と似た状況になるたびに思い出す。
それが役に立っているのかどうかはわからない。
ただ思い出す。

私はこんな性格なので、曖昧なことが好きじゃない。
とりわけ自分のことについては。
私はどう思っているのか、私はどうしたいのか、私はどうすべきなのか。
なので、それをハッキリさせて生きていると、周りからは気が強いとかキツイとか怖いとか思われる。
まあ、周りにどう思われるかなんてどうでもいいわけだが・・・だって自分のことだし。
だが、時によりそれは他者を巻き込む。
私が「誰を」「何を」どう思っているのか・・・それをハッキリさせることが、他者の不快や不利益に繋がることがあるのだ。
「のだ」とは書いたが、実は私はよくわかっていない。
いや、不快や不利益に繋がることはわかる。
けど、だったら何だと。
他者の不快や不利益を気にして私は明言を避けねばならないのか?
自分の感情なのに?
あるとき、友達が言った。

「『嫌い』と言う人は、心に余裕がない」

最初に書いたとおり、私は「何それ」と思った。
ついでに言うと、その場で反論もした。
そんなこと言うけどこんなだしあんなだし嫌いで当然じゃん、それでも言うなって言うの? そんなの無理、私は嫌い、と。
だけどそういうことじゃないんだわ。
友達は、嫌いと「思う」ことについては何も言っていない。
それを「言う」ことについて物申したのである。
わざわざ言う必要ないんじゃないの? 言わずにいられないなんて、心に余裕がないんだね、と。

間違っていないと思う。
白黒つけるのは勝手だが、なにゆえそれを公言してしまうのか
「私はそういうスタンスだから」と示す姿勢に、自分らしさを見出してしまっているのかもしれない。
あるいは、逃げようとしている。
何から?
それ以上の不快な情報、負の感情、厄介事から。
先手を打って批判することで、その「逃げ」を強がっているのではないか。
なるほど、心に余裕がないよね。

かといって、そんじゃみっともないから明言はしないようにしましょう、なんてことにはならない。
だって私は私だからね。
心に余裕がないのが私なんだろう。
「あなたは心に余裕がないから心に余裕を持ちましょう」
そんなことを言われて心に余裕を持てる人なんかいない。
だけど、自覚はできる。
私は心に余裕がない人なんだ。
だからつい、いらんことまで強気に発信してしまうんだ。
いや、心に余裕がないから強気なんだとは思っていないよ?
でも、そういう傾向があるということなんだろう。
その自覚は持てた。

結果として、私の言動はなんら変わっていない。
だけど、私の心の中にはいつでも友達の言葉がある。
私が何かに対して「嫌い」を発信しているときには必ず思い出す。
また言ってるぞ、相変わらず弱いなおまえは、と思っている。

人気ブログランキング エッセイ・随筆へ
にほんブログ村 主婦日記ブログ ひきこもり主婦へ

友達の言葉 -05

言われてハッとする言葉もあれば、言われてゾッとする言葉もある。
今回は後者。

といっても、言われたのは私ではない。
何があったかと言うと、こうだ。
大学時代の定期テスト前。
教授が試験の範囲などについてあれこれ説明していたんだわ。
そして最後にこう言ったのね。
「A4の紙1枚だけ持ち込みを許す」
つまり、その紙にびっしり勉強して来いよってことだ。
教室がざわついた。
私はふと疑問に思った・・・裏面もオッケー?
そのとき、誰かが教授に質問をした。
「紙は両面使っていいんですか」
直後に、私の後ろに座っていた友達が、小声でブチ切れた。

「余計なことを!」

私は、ちょうど疑問に思っていたことをタイムリーに質問してくれた誰かさんに、「よくぞ訊いてくれた」くらいの気持ちでいたので、その言葉に驚いた。
友達の怒りは収まらない。
「当然両面だよ! 当然両面なのに、わざわざ訊いて『片面で』って言われちゃったらどうしてくれんの!?」
私はようやく理解した。
と同時にゾッとした。
それを質問していたのは私だったかもしれないのだ。
というか、たぶん訊いてた。
あ、あぶねーーー・・・!!!!

咄嗟に頭が回る人はすごいなぁ。
そういうことに気付けない私は、今までそういう人たちをイライラさせてきたんだろうなぁ。
ひょっとしたら、この友達も。
こんな機会でも、その現実に気付けてよかったよ・・・。

この時は結局、両面オッケーてことになったけど、質問された教授が「あー、そうねぇ」と考える素振りをみせたときの、友達の「嘘でしょ!? 嘘でしょ!?」という祈るような呟きは忘れられない。
ほんとに、いらんこと訊くもんじゃない・・・。

どういう意図なのか、何を想定しているのか。
主催者の意向を気にしてそれに沿おうとするのは悪いことではないんだが、賢く生きようとしている人たちの足を引っ張ってはいかんよなぁ。
小さなことだけど、私は感心したもんね。
発言には気をつけましょう・・・。

人気ブログランキング エッセイ・随筆へ
にほんブログ村 主婦日記ブログ ひきこもり主婦へ

友達の言葉 -04

私には、めちゃくちゃ絵が上手い友達がいる。
絵が上手いというだけでは説明がつかないかもしれない。
彼女は十代前半の頃から、まっさらな画用紙とハサミ1本で、「長い階段の途中でガラスの靴が片方脱げてしまったシンデレラ」を切り出してみせるような子だった。

当時は、私もふざけた絵を描いて遊んでいた頃で、友達に見せて面白がったりしていたのだが、女の子とは面倒なもので、頼んでもいないお世辞を言ってくれるのだ。
「上手だね」
返す言葉は決まっている。
「そんなことないよ」
そう返せば事なきを得る。
いわゆるお決まりのパターン。崩しちゃいけないやつ。
だけど、それでも私は彼女に言わずにはいられなかったのである。
「すごく上手だね」と。
すると彼女はこう答えた。

「ありがとう」

か、
かっけぇーーーー!!!!
衝撃だった。
褒め言葉を謙遜しないことがこんなに格好いいとは
そうだよ、褒めてくれたんだから、喜べばいいんだよ!
喜んでもらえた私のほうが、なぜだかものすごく嬉しくなっている。
もっといっぱい褒めていい!?
つか褒めさせろ!! あんためっちゃ絵うまいんだよ好きだ!!!
実に幸せな時間だった。

これを、私も真似できないだろうか。
褒め言葉を喜ぶんじゃなくて、褒めてくれたことを喜ぶのであれば、例え「そんなことないよ」と答えるのが妥当と言わざるを得ない実力であったとしても、問題ないのでは?
そう自分に言い訳をして、次の機会に「ありがとう」と返してみた。
すごく気分がよかった。

今はTwitterなどで自分の絵をお気楽に投げて、ほいほい褒められて、ありがとうございまーす! なんて返すのをよく目にするから、いい時代になったなぁと思う。
ガチな褒め言葉に対して、謙遜じゃなくて感謝を示す絵師さんを見ると、すごく嬉しくなる。
お世辞と謙遜というのはある意味文化で、それが日本らしさであり美しいとされるのもわからなくはないんだけど、そこからは何も生まれないと私は思うんだよね。
「褒めてよかった」「褒めてもらえた」って双方が幸せになるほうが、当人たちにとっても、今後の日本にとっても遙かに有益なんじゃないかな。

「今時の子は慎ましさが足りない」?
そんな図太いことを平然と言ってのける人たちの慎ましさとは何か。
そんな人間になる前に、早々と私にその価値観を捨てさせてくれた「ありがとう」の衝撃。
まさに、ありがとう。

人気ブログランキング エッセイ・随筆へ
にほんブログ村 主婦日記ブログ ひきこもり主婦へ

『聖剣伝説LoM』リマスター版

2021年6月24日、『聖剣伝説 レジェンドオブマナ』が、HDリマスター版として登場するらしい。
詳しくはこちら → 聖剣伝説 Legend of Mana | SQUARE ENIX (square-enix.com)

これも古いゲームだよなぁ・・・22年前?
ジャンルはアクションRPG。
私はまず、水彩画のようなグラフィックにやられ、マナ、アーティファクト、宝石、精霊、果樹園、ペットといったメルヘンかつファンタジーな世界観に撃沈した。
その上、ゲームとしても面白いときては、嵌らざるを得ない。
地図のどこにマップを出現させるかを自分で決める「ランドメイク」。
配置で「マナ」が変わり、果物の育ちから物語に至るまで大きく影響を受けていくという仕組みで・・・つまり、遊びながら「次は違うところに置いてみよう」と思うわけだ。
実質エンドレス。
嵌ったなぁ・・・。

媒体がいくつかあるみたいだから、どれにするか考えておかなくちゃ。
とはいえ、プレステ4とスイッチはうちにはないので、このままだとSteam一択だ。
ゲーム機を新たに買うなんて考えもしなかったけど、ちょっと考えてみようかな・・・。
サボテン君に会える日が待ち遠しい。
したらな!

人気ブログランキング エッセイ・随筆へ
にほんブログ村 主婦日記ブログ ひきこもり主婦へ

『MOTHER』フランクリンバッジ

フランクリンバッヂの箱

↑ フランクリンバッヂの箱

今更だけど、ファミコンで出た最初の『MOTHER』が大好きなのよ。
何が好きって、シンプルなんだ。
キャラもお話もね、余計なものがない。
それでいて、すごく深いし、面白いし、悲しいの。
さらには音楽。これがとてもすばらしい。
とりわけ秀逸なのがオープニング。
真っ黒い背景に『M●THER』のロゴがあって、●の地球が回ってる。
そこへあの旋律ですよ。
思い出すだけで泣ける・・・。大好きだ。

フランクリンバッジは、『MOTHER』シリーズすべてに登場する重要アイテム。
ほぼ日『MOTHER』プロジェクト内のお店で購入できる。
ただし、ちょっと高い。しかし、すごくイイ。

フランクリンバッヂ

↑ フランクリンバッヂ

直径はおよそ3.5cmと小さめ。素材は真鍮、エポキシ樹脂。
愛知の伝統工芸、七宝焼の技法を応用したハンドメイドらしい。
テンション上がる・・・!
カバンに付けようと思っていたけど、そんな代物じゃないよ、宝物だよ。
フランクリンバッヂシャツも買えばよかったな・・・失敗した。

こういう、「いい買い物」は大好き。
それが、30年以上も前から愛して止まない『MOTHER』でできるなんて、令和っていい時代だね。
いろいろあるけどさ、私は好きだよ。

人気ブログランキング エッセイ・随筆へ
にほんブログ村 主婦日記ブログ ひきこもり主婦へ

友達の言葉 -03

私はこんな性格なので、一人でいることがものすごく好きだ。
人が恋しいと思ったことはないし、一人で寂しいなどと思うこともまあない。
別に人が嫌いなわけではない。
ただ、何事も自己完結というか、さほど人を必要としないというか、人を頼りにしていないというか、とにかく人との時間があまり自分の中で重要ではなかった。

そんな私に、彼氏ができた。
大学時代のことである。
ほぼ同じタイミングで一人暮らしを始めていた私は、一人の快適さに毎日打ち震えていたわけだが、それがそうはいかなくなったのだ。
なんせ彼氏だから・・・だいたい一緒にいるわけで。
一緒にいるのが楽しい反面、どんどんストレスが溜まっていってしまったんだよね・・・。
堪りかねた私は、友達にこう愚痴った。
「全然自分の時間がとれないんだよ」
友達は即答した。

「一緒の時間が自分の時間なんじゃないの?」

鈍器で頭を殴られたような衝撃、というよく聞く例えを実感した瞬間だ。
ぐうの音も出ない。
だってその通りだ。その通り過ぎる。何も言い返せない。
そういう生活を選択したのは私だ。
いやなら付き合わなければよかったではないか。
強制されたわけでもなし。

実際、その友達は「こいつ何言ってんだ?」と思っていたらしい。
立場が違うと、こんなにも見え方が違うのだねぇ。

なお、この言葉の影響力は今も健在で、つい「私の時間が・・・」と思ってしまう私に、「その時間も私の時間」と思い直させることに成功し続けている。
ただ、前述したとおり、私は元来一人でいることが大好きだ。その本質は変わらない。
したがって、「自分だけの時間」をゴリ押しすることも少なからずある。
でも、その場合においても、この言葉は役立ってくれる。
それが十分に得られなかったとしても「私は不自由だ」などと嘆かずに済んでいるのだ。
「一緒の時間も自分の時間なんだからさ」と自分を言い聞かせられるのは、本当にありがたい。

ちなみに、旧職場の主婦にもこの名言を教えてあげたら、私同様、絶句した。
自分の時間がないと常にプンスカしていた彼女が思いも寄らない真実に気付いたことは、彼女の家族にとっても有益であったに違いない。私いいことした。

こういう言葉って、同じ立場の人同士で集まって愚痴ったり慰めあったりしていても絶対に出てこないと思うんだよね。
現に、この名言をくれた友人は独り身だったし。
持つべきものは、違う状況に身を置く別視点を有した友人だよ。
ああ、ありがたや。

人気ブログランキング エッセイ・随筆へ
にほんブログ村 主婦日記ブログ ひきこもり主婦へ