友達の言葉 -02

仲のいい人と一緒にいても、会話が続かないときがある。
なんか気まずいと思って、無理に話題を振ったりしたことはないだろうか。
あるいは、無理に話題を振られて、碌な返事ができずに逆に気まずい思いをさせられる羽目になったり・・・。

大学生時代に、よく一緒に帰る子がいた。
同じ電車に揺られる1時間弱の時間を、話術に長けているわけでもない私が会話を途切れさせることなく乗り切るのはほぼ不可能だ。
それでも私は頑張ったと思う。
ある程度の期間は、沈黙することなく話をし続けられていたと記憶している。

だが、やはり無理があった。
いつ頃だったか定かではないが、あるとき本当に何にも話すことがなくなってしまった。
気まずい。ものすごく。何か言わなくちゃ。どうしよう。
それで苦し紛れに口に出したのがこれだ。
「沈黙しちゃったね」
そう言われて花咲く話題とは何か。
言ったほうも言われたほうも、苦笑いして更なる沈黙に甘んじるしかないセリフだ。
ところが、私の友達は違った。
表情を一切変えることなく、さも当然という体で、こう言った。

「沈黙が気になるのは、本当の友達じゃない」

え?
それは私が本当の友達じゃないということ?
いや、そうではない。
「私は沈黙など気にならない」と言ったのだ。
こんなラブコール(違う)が他にあるか!?
私は感動して語彙が死に、「そうだね」と答えることしかできなかったが、おそらくそれでよかったのだろう。
それ以降、私とその子の帰路は、話すときは話し、なんとなく黙ればそのまま沈黙し、気が向いたらまた話す、というとても自然な時間になった。
ストレスフリー!
私はますますその子が好きになった。

それを言われて以降、私は他の友達に対してもその言葉を思い出し、それを支えに沈黙を気にせず生きられるようになったので、あれは本当に救いの一言であったと言える。
正に名言!

なお、その名言は今も別の形で役立っている。
一緒にいるときの沈黙に止まらず、離れているときの沈黙にも適用されているのだ。つまり、無理に繋がろうと思わない
隙間なく絶えず繋がっている必要なんかないと思うのだ。
そうしたいと思ったときに、そうしたいと思う間だけ繋がれればそれでいい。
もっと言うと、相手にもそうであって欲しいとさえ思う。
だから私はLINEはやらない。
不便はないし不満もない。当然寂しくもない。
だって平気だもの。
その分、時間も有効活用できるし、友達に対して少なからず感じてしまうであろう「嫌」だとか「気まずい」だとかを感じずに済むのもありがたい。
自分の「好き」を大事にできるこの生活が、私は気に入っている。
私の人生をプラスに導いてくれた名言に、感謝。

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友達の言葉 -01

いくら深く考えても、自分からは到底生じ得ない発想や、自分では到達し得ない境地というものがある。
それを難なく無償で与えてくれるのが友達だ。
無償とか言うと友達を損得で選ぶみたいで感じが悪いが、選んではいなくても実際にはそうなっていたりするのではなかろうか。
だって、私の友達はみんな名言を吐く。
それが社会一般的に名言であるかはわからないけど。

そんな名言から、ひとつ。
あれは「ポケベル」が登場した頃であった。
外出先で連絡を受け取れるとは画期的!
私は早速飛びついた。
が、ショップに行ったはいいものの、どれを買うかで延々悩む。
それはそれは悩む。
こっちはこんな機能が、こっちはこんな表示が、こっちはこんな音が。
どうしたらいいんだ!!
その様子を見ていた友達がこう言った。

「今の生活に加えるだけのなのに、どうしてそんなに悩むの?」

え?と思った。
そうだ、ポケベルなんてない生活をずっとしてきたのだ。
それが普通だったのだ。
私は今、その普通から背伸びをしてちょっと贅沢をしようとしているに過ぎない。
新しい便利が、今に追加されるだけで十分ありがたいはずだ。
それなのに、僅かな差を気にしてどっちが便利かと悩むなんて、どれだけ強欲なんだよ。恥ずかしい。
「どうせならよりよい物が欲しい」「あっちにすればよかったと後悔したくない」
そりゃそうなんだが、この時点でそんなことがわかるはずもない。
あーだこーだ言うのは、それのある生活が普通になってからでもいいのでは?

結局、見かけが一番好きなものを選んだ。
一切後悔しなかった。

自慢じゃないが、私は人の意見に左右されることはほとんどない。
なぜなら、自分で考えたいタイプの人間だからだ。
人の意見を頭ごなしに否定する頑固とは違う(ここ大事)。
人の意見は大いに聞きたい、むしろ大好き、いっぱい言って!
でも、それに流されることはない。
それは私の参考になる。
私はそれを踏まえて自分で結論を出す。
それが私の思考パターンだ。
なので、たった一言で私を打ちのめすものは、私にとって紛れもなく名言である。

同じようなことしか考えない集団の中で、何の刺激もなく否定もなく、持ち上げ持ち上げられ、誤魔化し誤魔化されながらぬくぬくと生きていたってつまらない。
自分とは違う感性や価値観をもった友達は、人生の宝である。

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習い事【毒】

私はピアノを習ってきた。
11年くらいやったと思う。
幼稚園からだったので、みるみる上達した。
しかし、ピアノを好きだと思ったことはない。
だから、辞めたあとはほとんどピアノに触っていない。
そうして11年の努力が水の泡になっても何も思わない。
だって、大事じゃないから。

そもそものきっかけは、母親の嘆きだった。
「他の子は習い事をしているのに、あんたは何もしていないね」
私はその言葉を良くないイメージで、つまり、責められたかのように聞いたことを覚えている。
だから、つい言ってしまったのだ。「じゃあピアノを習うよ」と。
何故ピアノなのか。
たまたま隣に先生がいたからだ。

私はこの先生から、スパルタ教育を受けた。
レッスン時間も日数も、年を追うごとに増えていった。
一番ひどいときで、毎日2時間レッスン
音大を目指していたわけではない。
ピアノが好きで嵌っていたわけでもない。
単に先生が超熱心だったというだけだ。
なぜ私の親は、言われるがままこんな無謀なスケジュールを許したのだろう。
そのおかげで、私には常に時間が足りなかった。
友達と遊んでいても、誰よりも早く離脱しなければならなかった。
好きなテレビ番組をいつも最後まで見られなかった。
さらには、レッスン以外にも自主練習をするように言われ、その様子をチェックされているのだ・・・隣だから。
それで、怒られる。
「あんな弾き方をしていたら悪い癖がつく」
自分の好きな曲を弾いていても怒られる。
「そんなものを弾く暇があるなら、練習をしなさい」
とにかく不自由だった。

体育で突き指をすると、すごく嬉しかった。
喜々として報告し、堂々とレッスンを休んだ。
また、試験期間中も休みをもぎ取った。
私は試験が大好きだった。

ピアノが弾けるようになるということは、悪いことではない。
特技として役に立つし、難しい曲が弾けるようになれば、自尊心も高まる。
11年続けたことで、私にもそれなりの技術が身についた。
しかし、私は最も大事なことを教えてもらえなかったのだ。
音楽は楽しいということ。楽しむものだということを。
私がピアノに向かうときには、常にマイナスの気持ちがあった。
楽しいとは真逆の感情だ。
これは私の時間を奪うもの。私の自由を奪うもの。
好きになどなれるはずがない

「好きこそものの上手なれ」という言葉があるが、好きでなくても時間をかければある程度は上手になってしまうというのが現実だ。
そこで私はこう言いたい。
「好きこそものの大事なれ」と。
好きであることの強みは、その過程を楽しめるところにあると思う。
上手になるために費やす多大な時間を楽しめるか否か、その差は非常に大きい。
私は楽しいと思えなかったばっかりに、11年積み重ねてきたものを失っても惜しむこともできなかった。
私にとって大事な時間ではなかったから、思い入れがなかったのだ。
私の11年はなんだったのだろうかとさえ思う。
せめて「ピアノは楽しい」と思わせてもらえていたなら、辞めたからといって弾かなくなることはなかっただろうし、趣味のひとつして私の人生を豊かにしたことは想像に難くない。
とても残念だ。

これから何か習い事をしよう、させよう、と思っている人には、是非とも参考にしてもらいたい。
まずは、楽しんで
そこから始めて。

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いじめっ子【毒】

私は昔、いじめっ子であったらしい。
自覚はない。
ただ、強くはあった。
誰ともつるまず、ひとりで何にでも立ち向かい、闘える子だった。

気に食わない子がいた。
とにかく何にもしない。
宿題もしない、努力もしない、反省もしない。
しかし自意識だけは過剰にあるのか、自分を可愛いと思い込んでいるとしか思えない変なポーズをし、気持ちの悪い声を出す。
また、何かというと人に媚びたり、いい人アピールをしてくる腹黒さがあった。
そんなだからクラスメイトにも嫌われているんだが、それにはまるで気づいていないようだった。

私は筋の通っていないことが嫌いだ。
言ったことをやらないとか、やろうともしないとか、実力に見合わぬ自信だとか、他力本願だとか。
そして、嫌いなものに対しては攻撃的だ。
「何もかもがムカつく!!」という感情のみで攻撃を繰り出していたことは認める。
しかしそうであったとしても、これはあくまで私ひとりの闘いだった。
私が私の嫌いな子と闘っていたに過ぎず、ただ私が彼女より色々な面で優勢で気も強かったというだけのことなのだが、それが「いじめ」ということにされた

本来なら、私とその子と先生と、場合によっては親も含めて話し合って解決を目指すべき事案だと思う。
しかし何がなされたかというと、私は理由も聞かれないまま一方的に悪者扱いされて教室の後ろに立たされ、クラスメイト全員から、順番に罵倒されたのである。
もちろん、それを計画して実行させたのは担任の先生だ。
クラスメイトの誰もが私を悪いと思っていたとは思えない。
しかし、そのようなシチュエーションにおいて、そんなことを言える子はいない。
思ってもいないことを口にしなければならないなんて、戦時中かよ。
まるで、非国民をつるし上げる軍人と、それに従わざるを得ない民衆だ。
この時間が何の役に立ったのか、私にはさっぱりわからない。
言われたことは何一つ覚えていない。
私はただ無になって窓の外を見ていたような気がする。

さすがに今の時代にこんなことをする教師はいないと思うが、「いじめ」というものへの向き合い方は大して変わっていないのではなかろうか。
すなわち、いじめられている子のことばかり考えていないか?
いじめられている子に非などない、理不尽だ、かわいそう、気付いてあげなくちゃ、助けてあげなくちゃ。
その子がいかに酷い目に遭ったか、どう追い詰められ苦しんできたか・・・報道はそんなことばっかりだ。
じゃあ、いじめたほうは?
いじめたほうはどうしていじめたの?
その行動を事前に抑止する手立てはなかったの?
おふざけがエスカレートしていったパターンや、単なる愉快犯、そういった説明を耳にすることはあるけど、なぜそれで済ますの?
その行動の原因は何?
なんで根っこを探らないの?
どうして強く出た側が悪いと決めつけるの?
内容が理にかなっていないことを強行するのはもちろんよろしくない。
でも、その理由をなぜ追求しないの?
単に押さえつけて罰することに何の意味がある。
そんなもの根本的な解決にはならないし、逆に根に持たれる可能性のほうが高い。
こちらを知ろうとしてくれないヤツの言うことなんか聞くかよ。
100%悪いと決めつけられて、素直に反省する子などいるものか
反省したとみせかける裏表のある子になるか、失望して闇堕ちするか、どっちかだ。
「やり方は悪かった」と、おそらくいじめた側の子のほとんどが思っている。
その小さくとも確かにある良心に働きかけないでどうする!?
それなくして本当の解決などあり得ない。
それなのに、その小さな希望を潰してしまうんだよ。
おまえは悪だと決めつけて。

まあ、私はいじめられっ子とはされたものの、いじめたという自覚はないので、本当にいじめをやった子たちの心の内を代弁することはできない。
しかし、大きな力によって有無を言わさず「悪」とされ、こいつに石を投げつけることが「善」であるとされた経験は、私にひとつの価値観をもたらした。
「いじめる側が必ずしも悪いとは限らない」という信念だ。
そして私はそれを発信せずにはいられない。
命や心が守られるべきものであるなら、それはいじめる側であろうといじめられる側であろうと、平等でなければおかしいではないか。
まずは命を救う。それはもちろんそうだ。
しかしそのあとは、心を救えよ。双方の。

ちなみに、クラスメイト全員に罵倒された日のことを、私は家族に報告しなかった。
辱めを受けたような気がしていたのだと思う。
はっきりと覚えてはいないが、プライドが許さなかったのだろう。
私がそんな目に遭うなど、夢か幻だと思い込みたかったのかもしれない。
ところが、当時の教師が何を思ったのか30年近く経ってから私の母親に打ち明けてしまった。
子供たちにいじめのことを学ばせるいいチャンスだった。お嬢さんは強いから大丈夫だと思った」
母親激怒。
まあ・・・そりゃそうだわなぁ。
なんで暴露したのかはわからない。
それなりに反省があったのかねぇ?
見込み通り私は強かったもんでへこたれなかったけど、もし潰れてたらどうするつもりだったのか・・・。
補足をすると、この教師自体が過去にいじめを受けていたという経緯がある。
つまり、完全に「いじめられる側視点」だったわけよね。
いじめる側が100%悪いってやつ。
一言も聞かれてないからね・・・なぜいじめをしたのか。
いじめてないんだけどさ。

最後に、念のため付け加えておくが、壮絶ないじめを受けて自殺に追い込まれた人やその家族の痛みがわからないということではない。
そんなの辛いに決まっている。許せるわけがない。
しかし、このエッセイにおける論点はそこじゃない。
いじめを受けた側にだけ寄り添っていても、いじめは減らないということが言いたかった。
いじめをするヤツが悪だと思うなら、なぜ悪になったのかを掘り下げなければ何も解決しないし、同じパターンが何度でもどの世代でも繰り返されていくだけだよと。
弱者に寄り添い、同情を誘い、共通の敵をみんなで袋叩きにするような報道ばっかりだもんねぇ。
そんな伝え方をしているうちは、何も変わらないさ。

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歯列矯正 -06 マウスピース編(7/52個目)

本格的にマウスピース矯正が始まっておよそ2ヶ月。
明日からは7個目のマウスピースに突入するというタイミングで、定期検診の予約を入れた。
定期検診は、1.5~2ヶ月ごとに行い、その度に5000円+税の支払いが発生する。
この額は、昔旦那が歯列矯正をしていた頃と同額なので、そういう決まりでもあるのかな?

医者は、私に会うなり「抜歯の際は失礼しました」と言った。
え、まだそれ引きずるの?と驚いたが、昨年において最も大変な出来事だったらしい。
ということはすなわち、できたてのこの歯科医院にとって、最悪の出来事だったということだ。
よ、喜ぶべき・・・?

マウスピースをはずすと、まずは助手がクリーニングをしてくれた。
ほうほう、定期検診の度に、クリーニングをしてもらえるのか。
お掃除だけではなく、色素汚れも磨いてくれている。
ありがたや・・・。
マウスピースをしている間は水しか摂取していないし、マウスピースで覆われているから色素汚れなんて、と思ったが、使用済みマウスピースが新品マウスピースと比べて色味があることを思えば、同じだけ歯も染められているんだろうなと想像が付いた。
大事だな・・・定期検診。

肝心の矯正の進み具合は、バッチリだった。
いつものシミュレーション画像を今回も見る。
「始める前はこれで・・・今はこれです」
おお、だいぶ違うじゃないか!
やはり成果が目に見えるほうがやりがいがある。
「次に来てもらうのは11枚目あたりなので・・・ここまで変わります」
おお・・・すごいなシミュレーション。

こんな感じで定期的に通うということになるらしいが、多少動き方にズレが出てくることもあると言う。
なので、17~18枚目あたりで再度歯形をとって、必要であればその先のマウスピースを作り直すことになるらしい。
えええ・・・じゃあ、今ある52枚目までのマウスピースは、ゴミになっちゃうの?
もったいねぇ・・・。
かといって誰も使えねー。

というわけで、次は5月あたり。
ちなみに、今一番大変なのは、食べること
もっと噛んで食べたいのに、挟まって気持ち悪いのと噛み合わせが悪くてちっとも噛めないのとで、飲み込んでばかりいる。
従って全然味わえない。
これはいつ頃解消されるのか・・・。
緊急事態宣言が解除されたって、この事態が解消されないうちは私は外食できそうにないな、と思う。

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発達障害 -12 中学校

息子は、小学5年生の途中で通級を終わりにしてから療育や支援を受けることはなくなり、2021年春には高校生になる。
とはいえ、中学時代に何も問題がなかったわけではない。
些細なことではあるが、参考までに書いておこうと思う。

まず、彼は新品のジャージの膝を、身に着けた初日に破いた
どれだけはしゃいでいたのか、どうやら膝スライディングをしたらしい。
どのような状況だったのかはさっぱりわからない。
ただ、やりかねないと思ったし、やっても不思議ではないというか、そうきたかという感じで、しかしながら怒りもあったので、この破れたジャージを3年間着なさいと言い、本当にそうした。

次に、彼は夏の制服の膝を、衣替えをした直後に破いた
笑うしかない。おまえはジャージで散々叱られたのにまだ破り足りないのか。
「裁縫=ボタン付けor靴下の穴塞ぎ」である私に、膝の穴を覆い隠すなどという高度な補修ができるはずもない。
苦労の末、膝は漫画のような見事なツギハギに仕上がった。
ふと気になって冬の制服の膝を確認すると、テカテカになっている。
なるほど、冬服のほうが生地が厚い分、丈夫なんだなと感心した。
いやちがう、ジャージで怒られて数ヶ月は反省できていたのかと思ったがそうではなく、たまたま破れなかっただけで彼の行動は変わっていなかったということにガックリした。
おのれ小僧、このツギハギ制服も3年間着てもらうからな。
で、本当にそうした。

膝は破り足りたのか、次に狙われたのはボタンだ。
最初は「もともと縫い付けが甘かったのかもしれない」と渋々付け直しをしていたのだが、しっかりと縫い付けたにもかかわらず数日後にまた取れ、縫い直しても今度は2個いっぺんに取れたり、果ては3個全部が取れてしまったりして、これは違うぞと気が付いた。
何をしているのかは本人に自覚がないためわからない。
しかし、何かをしていることは間違いない。
付き合いきれず「自分で付けろ!」と言い放ち、自分で付け直させた。
息子が家庭科でボタン付けを習ったことは知っている。
ものすごく不器用で、なんじゃそりゃな出来だが、構うものか。
自分でしでかしたことは自分で尻拭いしてもらわねば。
その後、ボタン全部取れちゃう事件は何度か繰り返された。
自分で付け直すという手間がかかるとわかっているのにやっちゃうのだから、どうしようもない。
出来は相変わらず酷いが、縫い付けるスピードはだいぶ速くなった。
学習してほしかったのはボタン付けではないんだがな・・・。

目に見えて身長が伸び始めた頃、「靴が痛いんだよね」と訴えてきた。
「今はかかと踏んでる」などと言う。
感覚が鈍いのか、昔から靴のサイズが小さくなってもちっとも報告しない子だったので、私がマメに気に掛けるようにしてはいたのがだ、今回はこんな早期に、しかも自分から言ってきたなと思ったら・・・
「うわ!!」
靴擦れなんてもんじゃない、靴剥けとでも言おうか、真皮までいっちゃっている。
こんなの痛いに決まっている。
こんなになるまで何も言わないのが何故なのかはわからない。
そこまで痛みに鈍いのか、気にならないのか、面倒なのか・・・。
靴は即刻買い直し、靴剥けにはキズパワーパッドを貼ってやった。
「これすげえ! 痛くない!」
とキズパワーパッドを絶賛し、普通に靴を履けることを喜んでいる。
いやちがう、これがあれば大丈夫なんじゃない、こういう事態にならんようにしてもらいたいんだ・・・。

洗いに出されていたズボンの膝に結構な血が付いていたことがある。
「あんた怪我してない?」と訊くと、何やらごにょごにょ言って誤魔化している。
とっつかまえて膝を見ると、
「うわ!!」
またしても強烈な怪我が、洗い流されもしないまま、ドロを巻き込んでぐじゅぐじゅになっていた。
言いたいことしかない。
しかし、洗うことも処置することも報告することもせず隠し通そうとしていたのだから、どこから指摘したらいいのかわからない。
私が何事もギャンギャン言うから、これを言ったら怒られるとでも思ったのだろう。
この子には、今今の自分にとって楽な道を選ぶという習性がある。
あとで痛い目を見るとわかっていてもそうしてしまうのは、先のことを想像する力が弱いという発達障害の特性ゆえなのかもしれないが、「じゃあ仕方がない」というわけにもいかない。
「傷、ましてやこんな汚れた傷をそのままにしておくなんて、場合によっては命に関わる」と言って聞かせた。
食い込んでしまっているドロを取り除き、消毒をして、という作業に息子が悲鳴を上げる度、「怪我した直後にやっていればこんなことにはなっていない」と言ってやる。
その後も、痛がる度に、「酷い状態で放置していたからだ」としつこく言った。
学習できたかどうかはわからない。
手応えはないが、繰り返していくしかないのかなと思う。

中学時代に起きたあれこれは、個人的なことに止まらない。
中学校という新しい場所でのきまりごとを理解できていなかったために起こったこともある。
定期テストだ。
模試や受験という似たような状況を経験してきているのだからわかりそうなものだったが、大きく違う要素がある。
周りにいるのがクラスメイトだということだ。
だから彼は、テスト中に隣の席の子に話しかけてしまった
これが試験官に見つかり不正行為として学校に報告され、私をも巻き込んだ事件へと発展。
数日にわたる謹慎処分のあと、校長や生活指導の先生たちから親子揃って説教をされ、もうしませんと誓約書にサインまでさせられた。
不正行為というか、知らなかっただけなんだけどなぁ、と私は思った。
定期テストなんて初めて受けるのだから、決まり事とか最初に教えてくれたらよかったじゃん?
知っていて当然と思うのかな? でもなんで当然? 誰か教えた?
教わりもしないものを、空気読んで悟ったりしないよ?
不正行為としてこんなにも厳しく取り締まらなければならない大事なことなら、なんで最初に説明してくれなかったのだろう。
配慮が足りねぇんだわ。
「申し訳ございませんでした」と書かされたけど、私はそうは思っていない。
教えていなかったそちらこそ悪い。

なお、息子はいじめのない学校生活を目指して中学受験を頑張ったわけだが、いじめというほどではなくても、嫌がらせやちょっかいはちょいちょいあるようだ。
ちょっと変わっているというのはどうしても標的になりやすい
しかしそれも嫌だと言うので、私はこう言った。
「ちょっかい出すのが虚しいと思えるほど、高みに行けばいい」
中途半端に手の届く位置にいるから、邪魔したり意地悪したりして困らせてやろうと思われるのだ。おまえは、そいつが足元にも及ばないくらい上の人になってしまえ。相手にしてらんないんだけど? と見下してやれ。デキるヤツは一目置かれるから、周りも先生もおまえの味方になる。おまえにちょっかい出すのは分が悪いと思わせてやれ。
ゆえに(かどうかはわからないが)息子は勉強を頑張り、上位の成績をキープし続け、いわゆる「デキる子」として周囲に認識されるようになった。
おかげさまで(かどうかはわからないが)ちょっかいはその後静まっていたが、その頃には仲の良い友達(のグループ)ができていて、息子の関心は徐々にそちらへ移行。
そうすると成績が下がってくるわけだが、もはや自分を孤高にしなくても仲間がいるので、不安はない。
たとえ嫌がらせを受けたとしても、彼らが味方になってくれる。
ちなみに、一度付いた「デキる子」というイメージは成績が下がっても失われず、試験の度に本物のデキる子にライバル視されたり、個別面談の度に先生に「もっとできるだろう」と言われたりすることになるのだが、本人は全く気にしなかった。
楽しく過ごせりゃそれでいいのだろう。
異論はない。

中学校生活は、だいたいそんな感じで過ぎていった。
なお、彼が中学生になって一番始めに特性を発揮したのは、バスだった。
バス通学の彼は、乗車する区間のバスアナウンスを宣伝の電話番号に至るまですべて暗記した。
まだ入学して間もない頃のことだ。
興味を持つということが彼のスイッチで、それが入ったときに彼がみせる業は、到底凡人では成し得ない。
将来何かすげーことに興味を持ってくれたら面白いことになるんじゃないか!? と、つい思ってしまうが、今のところそんな気配は全くない。
最近では歌のメロディーと歌詞、ドラマの台詞なんかを異常な感度で取り込んで、ひとりで楽しんでいるようだ。
まあ、その特技がいずれ何かの役に立てば儲けもの、くらいに思っておくのが正解かなと思う。

さていよいよ高校生だ。
せめて、制服を破らないという成長を見せてもらいたいものだ。

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発達障害 -11 告知?

発達障害関連の本などを読むと、告知は極めて大事だとか、慎重にするべきだとか書いてある。
なので私も「そうなのか」と思って過ごしてきたが、今となっては「そうだろうか」と思えてならない。
なぜなら、私は告知をしなかった。
というか、告知をする必要がなかった

私は一般的なお母さんとは違う。
息子の中学校で「自分を知る」という名目で行われた自己分析(性格判断)調査でもはっきり出たが、いわゆる「優しさ」が欠落しているのだ。
「協調性」の数値もかなり低い。
その分、「厳しさ」や「論理思考」「明るさ」などが極めて高くなっている。
その上、幻の存在とさえ言われてしまうINTJ女だ。
一般的どころか、よくお母さんをやれているなぁとさえ思う。
私は無償の愛を提供する温かな存在ではないし、見本にされては困るほど社会性に乏しい人間なのである。
そしてそれを変える気もない。

私は、息子が幼かろうが発達障害だろうが、ありのままの私でい続けた。
私は、息子が何かやらかせば逐一ギャーギャー騒いで私が被る苦労を嘆き、文句を撒き散らしながら渋々後始末をした。
不平不満不機嫌の類いを子どもに見せるべきではないなどと思ったことはないし、逆に、すばらしいと思ったときには、対象が人でも物でも自分でも、これでもかというほど褒めちぎった。話題に上る度に、何度だって熱を込めて褒めた。
相手の気持ちを察するのが苦手な特性がある子にとって、日本のお察しください文化は酷だという思いもあったため、多少は意識的に表に出すようにしたところもあったかもしれないが・・・。
なんにせよ、私はここぞとばかりに「一般的なお母さん」を堂々と放棄し、大人げもなく考えていることを垂れ流し、全身で感情を表現しながら生活したのである。
「この人は正直すぎて面倒臭いけど、わかりやすい」とでも思ってもらえていたなら本望だ。

伝えたいことや伝えるべきことは、日常にいくらでもある。
わざわざ「大事な話」などと身構えるより、私は日々にちりばめて伝えたい
何だって教えてやるから、貪欲に学んでもらいたいというのが私の本音だ。

というわけで、私は彼の特性についても、日頃から容赦なく指摘をしてきた。
だから、わざわざ改めて教えなくても息子はわかっているのだと思う。
自分が、いわゆる「普通」ではないということを。
テレビで発達障害の特集が組まれたりすると、私は「これは見とけ」と視聴を促す。
息子は「あー」と言う。
以前、「あんた通級にも行ってたんだし、自分がなんかちょっと違うってわかってるよね?」と軽く訊いてみたことがあるが、返事はこうだった。
「まあねぇ」
それで十分だと思う。
自分は「障害」なのだと大袈裟に捉える必要なんてない

そもそも私には、境目のはっきりしないグラデーションのような症状をどこで線引きするのかがわからないし、線引きをする必要があるのかさえわからない。
程度の差こそあれ、誰にでも特徴的な部分はあるはずで、そのひとつひとつを「これは障害か?」と考えることなどまずないのに、ほんの少しそれが際立っていたら「障害」として線を引くというのは、おかしくないか。
難があるなら、それについての対処を学ぶ。
線を引こうと引かなかろうと、やれることは一緒だ。
なら、なぜ線を引くのだろう。どうして分けたがるのだろう。

ちょっと変わってる子なんて、昔からたくさんいたではないか。
「あいつ変わってるなー」で済んでたじゃない。
それを「障害」として区別してしまったら、途端に変わってしまうんだよ。
周りも。本人も。
見る目が変わるし、傷付いてしまう。
気付きや対処は大事だけれど、そのレッテルはいらないのではないか。
そんな区別よりも、息子の中学校で行われた性格診断のように、全員が受けて「自分を知る」ことこそ、大事なことなのではないか。
得手不得手の折れ線グラフや円グラフを、面白がってみんなで見せ合いっこすることで、多様な個性を知り、理解していくことには大きな意味がある。
そういうことを、柔軟な子どものうちに、是非やってもらいたいと思う。
「ここまでいったら障害」なんて境目などいらない。

今回のタイトル『告知?』には、そんな思いも込めている。
別に、一大事じゃないのよと。そんな深刻に捉えさせてどうすんのよと。
ただ、隠し通すことだけはやってはいけない。
大事なのは自分の特性を知り、それに対処できるようになることなのだから。
保護者として護ることばかり考えていてはいけない。
子どもに自分の力で生きていくための社会性を身に付けさせてやることこそが親の仕事だ。
私は、「おまえはそこがダメなんだから工夫をしないといかんよ」と事あるごとに指摘をし、息子から「わかってんだよ」と返されるようになったことを、嬉しく思っている。
言われずとも自ら工夫できるようになることが最終目標ではあるが、中学時代の自分が先を見通しながら生きていたかといえばそうではないので、そこは焦らない
まずは、自覚があればいい
工夫が必要なんだということをわかっていればいい

息子は最近(15才)、どストレート過ぎて大人げない私を面白がるだけでなく、「およしなさい」「落ち着け」などと諭したりするようにもなった。
人を客観視できるようになるとは大した進歩じゃないか。
ダメなところがあるのはキミだけじゃないんだよ。無論、子どもだけでもない。
どうか自尊心をもって、前に進んでいってほしい。

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発達障害 -10 中学受験

小学5年生の始めに、前年度の通級指導教室で同じ係として活動した人と、子供の進路のことで話をする機会があった。
引き継ぎをするために登校したので、その人の子供はすでに中学生になっている。
聞けば、私立の中学校だという。
もともとは受験をさせようとは思っていなかったらしいのだが、この機に環境を変え、うまくいっていない人間関係や偏見をリセットして、再スタートしたほうがいいのではないかということになったらしい。
息子さんもその気になって、塾通いを頑張ったのだそうだ。今は電車に乗って楽しく登校していると教えてくれた。
中学受験なんて全く考えていなかったので寝耳に水だったが、なるほど、いい機会ではあるかもしれないな、と思った。

うちの息子は、どちらかというといじめられっ子だ。
除け者にされたり追い回されたり、年下の子にさえなめられる。
しかし、なんだかんだ一緒に遊んでいるし、1人で抱え込んでしまうようなこともなかったので、さほど問題視してこなかった。
ところが、改めて息子が進学することになる公立中学校について調べてみると、まるでいい話が出てこない。
その荒れっぷりが近隣では有名だということも初めて知った。
私の当時の勤め先に、その中学校の卒業生がアルバイトとして入って来たので、ここぞとばかりに「そんなに酷いの?」と訊いてみたが、「酷いすね」と返される始末。
これはさすがに真剣に考えなければいけないのではないかと思い、息子に相談してみた。
「あんたが行くことになる中学校は、だいぶ荒れているようだよ。でも、友達の大半はそこへ通うし、家からも近い。そこへ行かずに、私立の中学校を選んで行くこともできるけど、友達とは別れることになるし、家からも遠い。何より受験をしなければならない。あんたはどうしたい?」
「いじめがあるのはいやだ」
「受験をするということか」
「する」
そういうことなら、とっとと動かなければならない。

私立中学校の情報を得るために、分厚い本を買い、合同説明会に足を運び、資料とにらめっこする日々が始まった。
また、私立受験では中学校の先取りを特殊なやり方で解く問題が当たり前に出題されるから、学校の勉強ができるだけでは太刀打ちできず、塾通いが必須であるということもわかった。
塾の情報も集めて、早急にどこに通わせるか検討しなければならない。
ちょうど、通級の卒業を決めた頃だった。
その時間を塾に充てられると思った。

塾はすぐに決まったが、塾長には「遅いです」と言われた。
私立中の受験に、5年生の夏から勉強するのでは遅いと言うのだ。
私立ならではの特殊な計算とはそんなにも難解なのだろうか・・・。
しかし、その遅さを挽回しようとしてくれたのか、塾はとびきりの先生を息子の担当にしてくれたのである。
東大卒の元中学校数学教師だ。
しかも大ベテラン。
現役を引退し、塾のお手伝いをしてくれている、塾にとってもありがたい神的存在の先生だった。
息子はその先生にマンツーマンで、算数のみならず他教科もすべて教えていただけることになった。
環境は万全だ。
あとは息子のやる気だけだった。

先生は実にすばらしい人で、知識や教え方は当然ながら、人柄や考え方までもが尊敬に値した。
先生は息子の変わりっぷりを、「面白いですよ」と言ってくれた。
そうして、そういう特性を「大事にするべき」と言ったのだ。
その上、息子の得手不得手をすっかり見抜いて、常に的確なアドバイスをくれた。
正に、この上ない先生だった。
息子は、おだてられも呆れられもせず、必要なことを最短ルートでガンガン教え込まれた。
そうして休憩時間には、床に座り込んで漫画を読んだ。
塾長に何十回怒られても、ついに直らなかったと聞いている。
塾での時間は、彼にとって、とても有意義であったと思う。

しかしここで、私は頑張る息子の姿に大きな見落としをしてしまう。
息子が発達障害であることを忘れたことなどないが、その行動が彼の意思であるのか特性であるのか判断が難しい場合もあって、このときは安直に、受験をすると決めたのは彼なのだから彼の意思で頑張っているのだろうと思ってしまったのである。
塾は遅れを取り戻そうと、盛り盛りのプランを組んでくる。
夏休みもほぼ返上。
通級に通っていた時間を充てようと思っていた私は甘すぎで、毎週その2~3倍の時間を作り出す必要があった。
息子は頑張った。
文句も言わずに大量の宿題をやり、放課後も休日も塾のために失った
あるとき、「遊びに行きたい」と口にしたときの息子の様子は忘れない。
「でもまだ終わっていないよ」と返すと、彼はポロポロと涙を流して
「じゃあぼくはいつ遊べばいいんだよ」と言ったのだ。
私は、ハッとした。
この子に何をさせているのだろうと思った。
遊ぶことこそが仕事の子供に、今しかできないことをさせずに、何をさせているのだろう。
卒業までの残り少ない貴重な時間に、友達と過ごさせてやれないなんて。
このときになってようやく気付いたのだ。
これは彼の意思じゃない。特性だったのだと。
決められたことを愚直に守ろうとしていたに過ぎないのだと。
そこに意思がなかったとは言わない。
けれど、泣くほど辛くてもやり抜いてしまうのは、意思にしてはあまりに強く、痛々しい。
もう少し大きくなれば反抗もできるようになるが、この時期はまだ言われたことが絶対で、ただ従うばかりだ。
帰ってくるなと叱ったら、本当に帰って来なくなるような子なのだ。
出て行けと言われて、本当に出て行ってしまうような子なのだ。
知っていたのに、私は見落としてしまった。
だけど、残念なことに「やらなくていいよ」と言ってあげることはできなかった。
ここでやめてしまったら、これまでの苦労が水の泡になってしまうからだ。
いじめのない学校に行きたいという彼の希望は叶えてあげなければならない。

この頃、志望校はまだ定まっていなかったと思う。
私は、彼がのびのびと暮らせるなら、どこだっていいと思うようになった
もともと「ここ」と思う学校があったわけではない。
ただ、塾通いを始めた頃、彼は「あんまり出来のよろしくないところに楽して入るのと、賢い人たちが集まるところに頑張って入るのと、どっちがいい?」という私の質問に対し「賢いほう」と即答していたため、「頑張るのは当然」という価値観が私の中には少なからずあった。
でもおそらく、それは彼の本当の答えではなかったのだろう。
なぜなら、当時の彼は犠牲になるものがあるなんて想定していなかったはずだ。
例えばその質問をしたときに、「遊ぶ時間を削って頑張る」と言っていたなら、答えは最初から前者だったかもしれない。

私は、選択は息子にさせてきた。
けれど、私は全ての情報を伝えずに彼を欺したのではないか。
彼が失った掛け替えのないものが惜しくて惜しくて堪らない。
これはいじめよりひどい。起こるかどうかもわからない災難より明確にひどい。
辛い目に遭わせているのは私だ。
受験なんてしなくてよかった。もっと遊んでいればよかったのだ。ずっと遊んでいればよかったのだ。
でもそれは言えない。
大事な時間を犠牲にし、信じて頑張ってきた息子にそれを言ってはいけない。
努力が実を結び、自分の力でいじめのない未来を勝ち取る喜びを味わわせてやらなければいけない。
受験をしてよかった、この学校を選んでよかったと思わせてあげなければいけない。
しかしこの段に来て、私にできることなどほとんどない。
私は何もしてあげられない。
だから、ただただ励ました。
「あんたはものすごく頑張っている」
「あんたは偉い」
「努力は絶対無駄にはならない」
「楽しい未来が待っている」

息子がだいぶレベルの低い学校を選んだときも、私は何も言わなかった。
彼が自分で選び、のびのびと楽しい時間を過ごせることより大事なことなんてない。
そりゃそうだ。
そのために受験を選んだのだ。
受験の波に流されて、目的を見失うところだったよね。
「どうせなら」と欲張るところだったよね。

目的は十分達成された
合格発表で自分の受験番号を見つけたときの息子の満面の笑み。
あれをこの先もずっと、忘れちゃいけないんだ。

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発達障害 -09 通級指導教室

通級指導教室は、かなり人気があるようだ。
すべての学校にあるわけではないし、受け入れられる子供の数も限られているから、大抵の場合は空きを待つことになる。
うちの場合もそうだった。
申し込んでから1年近く待ったと思う。
最初に空きが出たと連絡をもらったときは、年度の途中だった。
クラス構成は何人で、何年生の子と一緒で、曜日と時間はこうで・・・と説明をされ、それでよければすぐに手続きを進めるし、途中参加はちょっとということであれば、次年度からにすることもできると言われた。
2年生になって相性のいい担任のもと、だいぶ落ち着きを取り戻しているところだったので、次年度からでお願いすることにした。

いよいよ申し込むという段には、それなりに葛藤もあった。
指定された通級指導教室がある小学校は、そこそこ遠い
そこへ通うためには、授業を途中で抜け出す必要がある
学習面の心配もあるが、それ以上に、途中で抜けることが他の子たちにどう思われるか不安だった。
通級には、そういったリスクに見合うだけの価値や効果があるのだろうか?
「正直悩んでいる」と校長に伝えると、校長は「学校としては、是非行って欲しいと思っている」と言った。
「行く価値があるかどうかは、行ってから考えればいい。今あなたが手にしているものは、チャンスだ。それが欲しくてたまらない人はたくさんいる。ぜひ活かしてほしい。行ってみておかしいと思ったら、いつでもやめて構わない。正直に言うと、学校としても通級とのパイプが欲しい。あなたが行くことでそれを手に入れることができる。専門的な学習をする機会が得られることは、先生たちにとっても大きなプラスだ」
こりゃ行くしかないと思った。

3年生になり、いよいよ通級が始まった。
希望者が多いため、最多でも週1回しか通うことはできない。
息子は水曜日の午後のグループになった。
私は毎週、小学校にチャリで息子を迎えに行き、4時間目の途中で抜け出させて大急ぎで帰宅、昼ご飯を食べさせ、バスで駅まで行って電車に乗って、通級指導教室のある別の小学校まで息子を連れて行った。
チャリを封じられる雨の日は地獄だった。
なお、授業を途中で抜け出すときは、堂々と出るという方法をとった。
あらかじめ担任と話し合って決めたことだが、子供たちのノリは大変よろしく、教室を覗き込む私の顔を見つけると「あ!迎え来たよ!」「行ってらっしゃーい!」「ばいばーい!」「最初はグー!じゃんけんポーン!」と、毎回明るく元気に送り出してくれた。
授業が中断されてしまうので、私は毎度先生に深々と頭を下げたが、おかげさまで息子はいつもニコニコと教室を出ることができた。
抜け出す理由として先生は、「特別に勉強したいことがあって、別の学校にも通っている」と説明したらしい。
なのでたまに「何勉強してんの?」「むこうの勉強難しい?」などと訊かれることがあったようだが、「いろいろ」「難しくない」と素直に答えて事なきを得ていたようである。

通級のクラスは、6名。
各クラスは、同じ学年とひとつ違いの学年との2学年混合で編成されていた。
もう何年も通っている子もいれば、うちのように初めての子もいる。
彼らが教室で指導を受けている間、保護者は別室(待機室)においてその様子をモニターで見ながら、この1週間の出来事や相談事などを順番に報告した。
待機室には聞き役の先生がひとりいて、その報告を細かくノートに書き込む。
子供たちを指導する先生と一緒に、2人で1クラスを担当するという仕組みだ。
指導が終わると、指導していた先生が待機室に入ってきて、その日の報告をしてくれる。
そのようなことが、年間30回くらい繰り返された。

待機室には、親同士の交流の場という役割もあった。
同じ程度の障害を持つ子の親だから似たような問題を抱えているし、その経験談は興味深いものがある。
話をする側としても、それを吐き出すことで泣いたり笑ったりできるし、泣いたり笑ったりしてももらえるので、下手に抱え込まずに済むというメリットがあった。個人的にいいと思ったのは、そういう交流がそこ限りであったことだ。
通級に通っていることを人に知られたくないという人もいるため、この場を超える付き合いには発展しなかったのである。
その分、その場においては包み隠さぬ暴露っぷりで、それがまたよかった。
割り切れる場があるということは、隠したいと思っている人には特にありがたいだろうなと思う。

ただ、面倒だったのは、所属校に比べて非常に少ない人数の中、役割を分担しなければならなかったことだ。
また、一度やったら免除というわけにもいかない。
長く通っていたら何度もやることになる。
いわゆる、グループ代表や会計係、さらには、その通級指導教室全体としての代表、会計、書記、図書などの仕事だ。
OB会のような団体も存在したので、そちらとのやりとりや、別の通級指導教室の団体と連携して講演会などを企画することもあった。
また、もっと手を拡げてアンケートや署名活動を行い、自治体や国に支援の拡充を訴えていくような活動も。
当然ながら、その大きな活動をまとめる団体の代表、役員、書記、広報といった仕事もある。
絶対数が少ない中でそれらの役を決めるのは、それはそれは大変だった。
大抵の人は、通級の日に子供に付き添うという困難を乗り越えるので精一杯だ。
その上、月1で役員会があったり、イベントで駆り出されたり、あちらの世話こちらの世話と面倒ごとをやらされるのではたまらない。
講演会やら支援の拡充の訴えやらも必要なのかもしれないが、通級に通っている人たちは基本的に目の前の日々の問題で精一杯なんじゃないのかなぁ、負担を増やすのは本末転倒じゃない? プラスαは余裕のある人たちが有志でやればいいのに・・・と私はずっと思っていたが、今は少しは改善されたのだろうか。

さて、肝心の指導内容はどうであったか。
親として思ったことは、こうだ。
「幼稚園みたい・・・」
私以外にも同じ感想を持っていた人は多くいる。
とりわけ、通級1年目の親は「期待していたものと違う」と感じた人が多く、戸惑いを隠せなかった。
かく言う私もそのひとりだ。
通級とは、こういうときにはこう、こういう場ではこうといった、こういう子たちが失敗しがちなシーンでの対応や求められるモラルなど、具体的で実用的なことが教え込まれて身についていく、そういう場だと思っていたのだ。
ところが、モニターに写る指導の様子はまるで幼稚園
一言で言うなら、期待外れだった。
先生の話し方、接し方、行われているプログラム、どれもが幼稚園レベルだった。
見ていてとてももどかしかった。
あんな姿勢になっている、話全然聞いてないけど注意してくれない、さっき言われたこともう忘れてるけど指摘してくれない、などなどなどなど。
だけど先生は怒らない。口調はずっと甘々。厳しいことも言わない。遊びのようなことばかりやらせている。まさに幼稚園だった。
体育の時間もあった。
順番を守る、みんなで成し遂げるといった「集団生活」という意味では、体育が一番学習っぽい時間であるように思えた。
また、夏にはプールの指導もあった。
しかしまあ甘いので、うちの息子のように水に顔をつけようとしなくても問題ない。
潜らなければ取れないコインを拾い集めるゲームをするけど、ずるして足で取っても怒られない。だめじゃん。

そんな様子だったので、失望して通級を去った人もいる。
私も、これは授業を抜けてまで続ける価値があるのかと本気で悩んだ
息子に通級について訊けば、「楽しい」「好き」と言う。
そりゃそうだろう。参考にならない。
結局、私にはわからないプラスがあるに違いないと無理矢理思うことにした。
次年度のことを決める面談では、引き続き指導を受けさせたいか、また受けさせる必要があるかといった話が担当の先生からなされるのだが、1年通って言われたことは、「継続した支援の必要があると感じている」というものだった。
空きを待っている人がたくさんいる中、継続を勧められるのだからそうすべきなんだろうと思い、次年度も通うことにした。

4年生時の通級も同じ日程で組まれた。
メンバーもほぼ一緒。
先生は替わったが、先生の甘さやプログラムの内容は変わらない。
そしてこの年度、私は役割を担わされることになった。
何が大変て、こちらで役職を引き受けたからといって、所属校の役員を免除されたりはしないということだ。
ダブルで背負わされていたらどうなっていたかと冷や汗が出る。そうならなかったことは、最終的にじゃんけんまでもつれ込んだことを思うと、本当にラッキーだった。

年度末が近付いたとき、また面談が行われた。
私は、学校での様子が落ち着いていること、相変わらずここでの時間がプラスになっていると思えずにいることなどから、次年度について消極的である旨を伝えた。
すると、日数を減らしてみてはどうかと提案された。
2週に1度のグループがあるので、そちらに切り替えてみてはどうかと。
つまり、支援をここでやめてしまうことはお勧めできないという判断だ。
ではそれでやってみようかと、次年度も通うことにした。

5年生時の通級は,2週に1度、金曜日の午後。
メンバーは4人。
2週に1度のグループは、待機室を使えない。
週1のグループが使っているからだ。
したがって、毎回空き部屋探しから始まった。
モニターもない。
話を聞く先生もいない。
保護者4人でくっちゃべって指導が終わるのを待つ。
要は、通級の卒業を前提としたグループだということだ。
いつ誰が抜けてもおかしくない。
3年の時も4年の時も、私は所属校の担任の先生に「通級に通い続ける必要があると思いますか?」と見解を訊いてきたが、先生たちは申し合わせたように「お答えできない」としか言ってくれなかった。
「学校での様子などはいくらでも教えられるので、判断はそちらでしてほしい」と言うのである。
個人の見解を口にしてはいけないという学校側の方針があったのかもしれない。
近くで見ている人の見解は是非とも知りたいところであるのに、融通が利かずイライラしたものだ。
しかしそれでも懲りずに訊いてしまうじゃないか。
5年生になって数ヶ月、今度の担任にも同じ質問をした。
「必要ないと思います」
え・・・!?
「全然問題ないですよ」
待ってましたーーー!!!
「今まで誰も言ってくれなかったんですよ!? 『こちらからは言えない』とか言って!」
「え、そうなんですか? 言っちゃいましたね。やばかったのかな」
「いいえ! その言葉を待ってました! すぐにやめます!」
息子にそのことを告げると、息子は「まあねぇ」と言った。
「人数も減ってやれることも減っちゃったし、2週に1度だとあんまり仲良くもなれないし、ぶっちゃけ、もう行かなくてもいい」
よっしゃーーー!!!
私はすぐに電話をかけた。
所属校の担任の先生にも報告をする。
「はや!!」
「やめたいと思っていたので、いい後押しになりました」
「やばいな・・・言ってよかったのかな・・・」
「もちろんです! ありがとうございました!」
先生があとでお叱りを受けたかは知らない。
しかし、学校側が先生の見解を封じることには断固反対だ。
子供の近くにいすぎて特性に慣れてしまっているため、感覚が麻痺して自分の判断に自信が持てずにいる親はたくさんいるのだ。
多くの子供を見ている人の客観的な評価は極めて重要である。
学校は責任の有無を気にしてばかりいないで、もっと柔軟に対応すべきだと思う。

かくして2年半に及ぶ通級指導教室が終了した。
息子は今中学生だが、「通級行く意味あった?」と訊くと、こう答える。
「あった」「楽しかった」「息抜きになった」「支えになってた」と。
そうか、支えになってたのか・・・。
「じゃあ、役に立った?」と訊くと、
「立った」「あれでなかなか勉強になってたんだよ」と言う。
遊びを通して、人との接し方などを学べたという思いが本人にはあるらしい
そうか、学んでいたのか・・・。
安易に奪わなくてよかった。

経験や学びの成果は目に見えるものだけではなく、記憶や経験として刻まれて気付かないうちに役立ったり影響を受けたりするものもいっぱいあるということを、私たちはわかっている。
なのに、つい、先を急いでしまうよね・・・。
焦りや戸惑いが生じたとき、それは無駄じゃないんだと少しでも思えたなら、どれだけ気が楽だろう。
だから私は信じることにした。
目の前の子が笑えていたなら、それはきっと間違いではない。

時が過ぎて、「あのときはよかったなぁ」と楽しげに昔を思い出されてごらんなさいよ。
無駄だったわけがない!
そんな時間を与えてあげられた自分を、褒めてやりたいくらいだわ。

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発達障害 -08 小学校(事件)

発端は、息子がクラスメイトの女の子に怪我をさせてしまったことだ。
持っていたものを奪われると思い込んで激しく抵抗した際にそうなってしまったので、故意ではなく事故だったのだが、こちらが「普通じゃない子」で、あちらが「女の子」であったことから、大変な騒ぎにされてしまった
なんであれ、怪我をさせてしまったことは謝らなければならないので、学校から連絡を受けてすぐに先方に電話をしたが、その時点ですでに「連絡が遅い」「何をしてくるかわからない子」という態度で、「うちの子は女の子なんですよ?」と意味不明なことをさも当然に主張してきたので、私も気分が悪くなった。
この人とはたとえこんな事が起こらなかったとしても絶対仲良くなれないと即座に悟ったため、謝るだけ謝ってとっとと終わらせたいと思ったのだが、その後も、ごくごく小さなことで「まだちょっかいを出されている」「反省が見られない」などと学校側に文句を言ってきたらしく、私はまたしてもスクールカウンセラーの予約を入れることとなった。

学校という環境の中で起こったことは、基本的には学校の中で解決するべきなんじゃないのか。何があったのか、どうすればよかったのかをまず話し合わなければならないのは当人たちであって、親じゃないでしょう。そんなことをしていたら子供たちは失敗から学ぶこともできないじゃないか。
まくし立てると、カウンセラーはまた「仰るとおりです」と言った。
しかし、ここでワーワー騒いだところで何も変わらないことは知っている。
感情最優先の生き物に正論は通用しない。
ただ私としては、こちらの見解を形に残しておかねば気が済まなかったのだ。

そして事件は続く。
人との距離感をつかむのが苦手な息子が、よりにもよってその子との距離感を間違えてくれた。
「遊具の上で、おたくの子に突き落とされそうになった」「なにしてくれんだ!!」という怒りの留守電に、私は大層驚いた。
すぐに折り返したが、謝るためではない。
状況の確認をしたかった。
証拠となるものが、そう感じたというその子の主張だけでは、それが本当かどうかはわからない。
そんな確証のないことで私が謝ってしまうわけにはいかない。
もし何もしていなかったら、息子を著しく傷付けることになるからだ。
すると、あちらの怒りが爆発した。
「謝りもしない!!」
「事実かどうかもわからないことで謝れません」
「うちの子が嘘をついていると言うんですか?」
「一方の言い分だけを鵜呑みにすることはできません」
「信じられない! 何も反省してないですよね!?」
「反省はしています。ですが、やっていないかもしれないことでは謝れません」
相手は怒るばかりだ。
しかしだからといって折れることはできない。
息子の名誉がかかっているからだ。
そのうち相手は、決して許せない絞め殺してやりたいくらいの言葉を吐いた。
「おたくの子は、授業中にフラフラしたり教室を出て行ったりしてるらしいじゃないですか」
「それとこれと何の関係があるんです?」
「つまりそういう子ってことでしょ」
「そういう子とはどういう意味ですか!?」
その先はさすがにエキサイトしてしまい、何を言ったか覚えていない。
ただ、こんな女、こんな親、こんな人間、と心の底から人を嫌ったのは、これが初めてだった。

まだある。
その子とばかりそういうことが起こるのも変な話だが、今度は、道路で息子に追いかけられて転んで怪我をしたという。
ついに、現場で直接話をすることになった
私に対して「あなたではだめだ、父親に叱らせろ」と言っただけあって、ついにあちらの父親も登場。
会って早々、母親が「留守電を聞いて折り返してきたくせに、謝らない」と文句を言ってきたので、
「それは、息子を犯人だと決めつけた留守電だったからです」と応じたら、父親の顔をチラリと見て黙ってしまった。
どんな力関係があるのか知らないが、自分の主張が正しいなら堂々としていればいいではないか。
まあ、あちらはどうだか知らないが、うちに限っては父親より私のほうが厳しいし怖いので、「父親に叱らせろ」はちゃんちゃらおかしい提案だ。
自分の価値観を当然に他人に押しつけられるというだけで、この女の程度が知れる。

で、あちらの父親も「女の子」を主張してきた。
似たもの夫婦かよ。
じゃあなにか、男の子なら怪我をしてもいいと言うのか。ふざけんなよ?
あちらの父親は現場検証のようなことを始めて、息子の記憶が曖昧な部分を指摘して「その子は嘘をついている」と言い張った。
息子にしてみたら大して興味のないことを思い出せと言われてもわからない。
それなのに「それはどこだった」「そのときの位置はどこだ」などと問い詰められて、適当なことを口にしたに過ぎない。
また、スケーターだか何だかの名前を勘違いしていたことまで取り上げて「乗っていたのはそれではない、嘘をついている」と言い放った。
実にあほらしい。
こちらとしては、二人でいるときに接触事故が起こって一方が怪我をしたという事実と、その原因について掘り下げたいところだ。
息子が故意に事故を起こす理由はないが、故意でないにしても事故に繋がるような行為があったなら反省させなければならないし、怪我をしてしまった側に謝罪をして、治療費とかが発生するなら負担する、という流れであってほしいのに、そういうことよりも感情論で迫ってくるので話が進まない。
また、相手の女の子が、こういうことが繰り返しあることで親にちやほやされたのか、やや調子にのっている感じが否めない。
「このとき私、本当はちょっと見えてたの!」とか、ダメ押しのつもりかもしれないが、なんともわざとらしい。
この発言はさすがにあちらの親も嘘だと思ったようでスルーしていたが、おたくのお子さんも天使じゃないよね、と言ってやりたかった。

そんなこんなで何も解決しない
あちらにしてみれば、「故意じゃない、そんなつもりはないと言うけど、じゃあなんで何度もこういうことが起こるんだよ」という不信感が拭えない。
それに、大ごとであるにもかかわらず息子の記憶が曖昧で、その上こんなことになっているにもかかわらず目の前で全然違うことをして遊んでいられることが理解できない。
私たち夫婦は、息子の特性について話さずに問題を解決することは不可能だという結論に達した。
それで、「言い訳と思われかねないので言うつもりはなかったのですが」と切り出し、息子が発達障害であること伝えた。
すると母親は、先の電話での暴言に勝るとも劣らない言葉を吐いた。
そんな子と同じクラスは困るんですけど
沈黙が流れた。

やがて、父親が「療育に通わせているんですか」と訊いてきた。
そんな言葉を知っているとは意外だなと思った。
そんなこととは縁のなさそうなあちらさんが、なぜその単語を知っているのだろう?
理由はわからなかったが、うちの子がそういう子で療育も受けていると知ってから、父親の態度はがらりと変わった。
突然「理解者」になり、最終的には「何か助けになれることがあれば言ってください」とまで言った。
あまりの変わりっぷりに、こちらは拍子抜けしてしまう。
母親のほうは、娘に「わざとじゃないってよ」と伝え、幕を下ろしにかかった。
疑問も怒りも山ほど抱えていただろうに、「そういうことならもういいです」という感じだ。
発達障害は免罪符ではないのに。
言っても仕方がないと諦めてもらうために伝えたわけじゃない。
不可解で腹立たしく思えるであろう息子の行動にも、それなりの理由があるということ、悪意などないということを知ってほしくて伝えたのに。
私たちは理解されることを目指したが、されたのは諦めだった
「見逃してあげるべき」と判断したのだろうか。
だが、それは解決ではない。

常々思うのは、特性の有る無しは優劣ではないよねということ。
定型発達の人たちは、発達障害の人たちを下に見る傾向があると思う。
「生きにくくてかわいそう」「理解してあげなくちゃ」「手助けしてあげましょう」などと表現される度に、私は違和感を感じている。
感じ方の違い、捉え方の違い、価値観の違いに、正解も不正解もなかろう。
ただ、多数派と少数派があるというだけのことだ。
多数派は、そちらが正しくて、そうあるべきだと思い込んでいる。
私はそうではないと思う。
集団において多数派が基準とされるのは、それが正しいからではない。そのほうが効率がいいからだ。
そうして少数派は、秩序を乱す厄介者のように思われていく。
日本は特に、その傾向が強いと思う。
違うのに。
その多様性は宝なのに。

そんなわけで、この事件はこれにてぱったり収まった
「何かあれば」などという社交辞令で別れたものの、当然ながら修復は不能。
今に至るまで、互いを見かけることはあっても言葉を交わすことはない。

小学校においては、これが最大かつ最悪の事件であった。
その後の学校生活は「ちょっと変わった子」程度の位置づけで、とくに苦もなく、笑顔で過ごすことができていたように思う。
その一役を担ったのが、3年生から利用し始めた通級指導教室だ。
次は、その体験について書こうと思う。

つづく。

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